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地下壕の壁面に日本兵の骨片がびっしり…2万人超が玉砕した「悲劇の島・硫黄島」の驚きの光景 いまだ1万人の遺骨が島内に残されている
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地下壕の壁面に日本兵の骨片がびっしり…2万人超が玉砕した「悲劇の島・硫黄島」の驚きの光景 いまだ1万人の遺骨が島内に残されている
太平洋戦争で日米両軍の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)には、現在も1万人の遺骨が残されている... 太平洋戦争で日米両軍の激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)には、現在も1万人の遺骨が残されている。民間人の上陸は原則禁止だが、北海道新聞記者・酒井聡平さんは4度上陸し、徹底した取材を重ねた。著書の『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』(講談社)より、一部を紹介する――。 致死率95%に達した「硫黄島の戦い」 「硫黄島の戦い」とは一般に、米軍が上陸した太平洋戦争末期の1945年2月19日から、日本側守備隊が最後の総攻撃を行った3月26日までの36日間の地上戦を指す。1日も早く硫黄島の飛行場を占領して日本本土爆撃を進めたい米軍と、1日でも長く飛行場を死守して本土侵攻を阻止したい守備隊が激突した。 組織的戦闘が終わっても、守備隊側の生存兵の多くは投降せずに地下壕ごうに籠もった。川のない渇水の島で、死よりもつらい喉の渇きにもがきながら、次々と絶命した。結果、守備隊2万3000人のうち2万2000人が死