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光源氏のモデルは藤原道長ではなくその父だった可能性…父・兼家の恋愛は妻の日記によって暴露されていた 左遷後に中央に返り咲いた兼家は光源氏と重なる
『源氏物語』の主人公・光源氏は、須磨に左遷させられるも、後に中央に返り咲く。古典文学の研究者であ... 『源氏物語』の主人公・光源氏は、須磨に左遷させられるも、後に中央に返り咲く。古典文学の研究者である木村朗子さんは「紫式部を雇った藤原道長が光源氏のモデルと言われているが、道長の政治キャリアは終始、順風満帆だった。挫折があったという点では、道長の父・兼家のほうが光源氏と似た経緯をたどっている」という――。 ※本稿は、木村朗子『紫式部と男たち』(文春新書)の一部を再編集したものです。 通説では光源氏イコール藤原道長と思われているが…… 光源氏のモデルには、紫式部に『源氏物語』を書かせたパトロンたる藤原道長の名もあがっている。たしかに道長の栄華は晩年の光源氏像を思わせる。しかし政界における道長の道程は終始、順風満帆だったのであり、左遷されて帰還したなどという後ろ暗い過去はなかった。左遷されたという意味では、むしろ道長に排斥されて大宰府に送られた中宮定子ちゅうぐうていしの兄、藤原伊周これちか像が光



2026/02/16 リンク