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「私が死んだら血の涙を流して」寵愛されるも勢力争いに翻弄され25歳で産褥死した皇后・定子の辞世の歌と遺書 清少納言は「枕草子」で定子の"リア充"な時だけを書いた
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大河ドラマ『光る君へ』(NHK)で脚光を浴びた一条天皇の皇后・藤原定子。平安時代の研究者である服藤早... 大河ドラマ『光る君へ』(NHK)で脚光を浴びた一条天皇の皇后・藤原定子。平安時代の研究者である服藤早苗さんは「定子は若き天皇に深く愛されるが、父や兄という後見人を失った。兄の政敵であった藤原道長が娘の彰子を入内させたときに、ようやく皇子を産むが、最期は出産で力尽きたように亡くなってしまった」という――。 定子の兄・伊周は出世レースから勝手に脱落していった 一条天皇の妃であった藤原定子と藤原彰子。定子は関白・道隆の長女で、彰子は道隆の弟・道長の第一子。従兄妹同士でもあるふたりですが、それぞれ入内した後は顔を合わせることはなかったでしょう。しかし、「事実は小説より奇なり」と言いますが、まさにこのふたりの妃の運命は、絵巻の物語のようにドラマティックに交錯しました。 大河ドラマ『光る君へ』(NHK)で描かれたように、道隆亡き後、内大臣であった定子の兄・伊周これちかと弟の隆家たかいえが「長徳の変」で

