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朝鮮と日本の歴史を31年間教えた千葉大学を3月末で定年退職し、この本を出した。「歴史学をなりわい... 朝鮮と日本の歴史を31年間教えた千葉大学を3月末で定年退職し、この本を出した。「歴史学をなりわいとした者の責任として、仕事の仕上げができたかとほっとしています」 在日2世で、両親は韓国・済州島から日本に来た。父は廃品回収業を営み、十数人のバタヤ(くず拾い)と言われた人たちと住んでいた。 将来を決められずに大学に行き、自分のアイデンティティーを探るため朝鮮史を学んだ。何かを見つけられるかと思って大学院へ進んだが、一時は兄と魚屋を開業。半年で失敗し、研究生活に戻った。 31歳で東京都立大学の助手になってからも、悶々(もんもん)としていた。「在日1世は困難な生活の中でいい研究を残しています。私は学問をする覚悟もなく、こんなみっともない在日2世はありえねえな、という自己嫌悪でした。最底辺の人たちと暮らした過去もあるし、1世に負けないことをやらなきゃいけないと思って」 38歳から研究に打ち込み始めた
2021/01/11 リンク