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昭和100年の問い──日本人が失ったこと|池永寛明|社会文化研究家
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昭和100年の問い──日本人が失ったこと|池永寛明|社会文化研究家
大阪・関西万博2025が開幕して1ヶ月が経った。今年は昭和になってちょうど100年。その真ん中に近い昭... 大阪・関西万博2025が開幕して1ヶ月が経った。今年は昭和になってちょうど100年。その真ん中に近い昭和45年に、Expo'70大阪万博が開催された。昭和100年に2つの万博がある 昭和100年の歴史を語るとき、その語り手の背景によって、語られる物語は大きく異なる。「人は過去において神になる」という言葉があるように、人は過去を語るとき、しばしば美化し、脚色して“物語”を紡ぐ また過去を振り返ると、あのとき、あれをしたらよかった、あれをしなければよかったということがあるが、「あれ」はなかった 「あれ」がなかったから、「現在」がある 1 私たちが失ったことがある100年の風景変化とは、たんなる物理的・外形的変化ではない。 風土の変容は、私たちの感性に直接的な影響を及ぼし、それが積み重なることで文化の変容を引き起こす。文化は無から突然に生まれるのではなく、風土が感性を育て、その結果として文化が形