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だから「いじめ」はなくならない…この国で「人の命よりその場のノリが重視」される実態(内藤 朝雄)
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だから「いじめ」はなくならない…この国で「人の命よりその場のノリが重視」される実態(内藤 朝雄)
学校とはどのような場所なのか、いじめはなぜ蔓延してしまうのか。学校や社会からいまだ苦しみが消えな... 学校とはどのような場所なのか、いじめはなぜ蔓延してしまうのか。学校や社会からいまだ苦しみが消えない理由とは。 いじめ研究の第一人者によるロングセラー『いじめの構造』で平易に分析される、学校でのいじめ問題の本質――。 「よい」は「みんな」のノリにかなっていること 小社会では独特の「よい」と「悪い」が成立している。彼らは、自分たちなりの独自の「よい」「悪い」に、大きな自信と自負を持っている。それは、きわめて首尾一貫したものだ。 この倫理秩序に従えば、「よい」とは、「みんな」のノリにかなっている、と感じられることだ。 いじめは、そのときそのときの「みんな」の気持ちが動いて生じた「よい」ことだ。いじめは、われわれが「いま・ここ」でつながっているかぎり、おおいにやるべき「よい」行為である。いじめで人を死に追い込む者は、「自分たちなり」の秩序に従ったまでのことだ。 大勢への同調は「よい」。ノリがいいこ