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戊辰戦争150年、新政府軍に最後まで抵抗した会津藩のその後の“苦しみ”とは!? « ハーバー・ビジネス・オンライン
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戊辰戦争150年、新政府軍に最後まで抵抗した会津藩のその後の“苦しみ”とは!? « ハーバー・ビジネス・オンライン
「戊辰戦争は明確な侵略戦争。民に塗炭の苦しみを与えることが分かっていて、なぜ推し進めたのか理解で... 「戊辰戦争は明確な侵略戦争。民に塗炭の苦しみを与えることが分かっていて、なぜ推し進めたのか理解できない」と憤るのは会津松平家14代当主の松平保久(もりひさ)氏だ。 10月21日に会津大学(福島県会津若松市)で開催された、明治維新ならぬ「戊辰150年」に合わせた歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」でのパネル討論でのこと。このパネル討論には会津・庄内両藩や奥羽越列藩同盟で主力を担った各藩の当主が出席し「戊辰戦争が新政府軍の『大義なき侵略』を目的に行われた」と指摘した。 会津藩と(福島県)といえば戊辰戦争時の少年20人が飯盛山で自刃した白虎隊の悲劇が有名だが、150年経っても薩摩や長州を中心とする新政府軍・明治政府への不信感を募らせるのは理由がある。その一端が分かるのは『斗南藩』(星亮一著・中公新書)だ。 「会津藩士一同は朝敵として処罰され、上越高田や東京の寺院などに分散収容されていたが