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かつて大田区の中心は蒲田でなく「大森」だった
時代をさかのぼること70年前、1949年の大田区は大いに揺れていた。 大田区は1947年に大森区と蒲田区が統... 時代をさかのぼること70年前、1949年の大田区は大いに揺れていた。 大田区は1947年に大森区と蒲田区が統合して誕生。新たな区名は、それぞれから“大”と“田”を一文字ずつとって大田区とした。 大田区の誕生から、わずか2年。まだ特別区に馴染んでいるとは言い難い状況で、大田区は自治権が制限されている特別区から脱して、新たに大田市になることを区議会で議決する。区議会の決議で、大田区は庁内に大田市制施行促進本部を設置。市制施行への準備を進めた。だが、大田区の念願は叶うことなく、今に至っている。 大森は大田区の中心だった 今般、大田区は町工場の街、羽田空港の門前町といったイメージで語られることが多い。それは平成の30年間で強くなったイメージであり、昭和50年代までの大田区はものづくり産業だけではなく、商業地域としてもにぎわい、海苔の養殖なども盛んだった。なにより、高級住宅街が広がる住民自治意識の高
2019/07/11 リンク