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RTAF情報部の不定期情勢報告: 第三百九十二段 韓国併合101年目に思ったこと
2011年8月22日は韓国併合101周年という日であったりする。 過去の歴史を振り返れば、大和朝廷の昔から朝... 2011年8月22日は韓国併合101周年という日であったりする。 過去の歴史を振り返れば、大和朝廷の昔から朝鮮半島の動向が日本列島の政権にとって大きな安全保障上の課題であり、更には変革をもたらす要因ともなってきたことに改めて気付かされる。 7世紀後半、長年続いた高句麗、百済、新羅の三国鼎立時代から新羅統一時代への転換点に当たる白村江の戦いでは、大和朝廷も百済側として参戦し新羅・唐連合軍に大敗。その衝撃が豪族の連合政権「大和朝廷」が律令国家「日本」へと脱皮する引き金となった。 13世紀後半には、高麗王家の王氏が武臣勢力に対抗するためにモンゴルと手を結ぶと決断したことが、モンゴルの日本侵攻、所謂「文永・弘安の役」への伏線の一つとなったし、その「文永・弘安の役」の負担が鎌倉幕府の崩壊の一因ともなった。 16世紀末には、豊臣秀吉の朝鮮、唐、天竺までも支配下に置こうという意図の下、豊臣政権の朝鮮出兵
2012/12/09 リンク