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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (137)

  • 橋本進吉 国語音韻の変遷

  • 寺田寅彦 電車の混雑について

    満員電車のつり皮にすがって、押され突かれ、もまれ、踏まれるのは、多少でも亀裂(ひび)の入った肉体と、そのために薄弱になっている神経との所有者にとっては、ほとんど堪え難い苛責(かしゃく)である。その影響は単にその場限りでなくて、下車した後の数時間後までも継続する。それで近年難儀な慢性の病気にかかって以来、私は満員電車には乗らない事に、すいた電車にばかり乗る事に決めて、それを実行している。 必ずすいた電車に乗るために採るべき方法はきわめて平凡で簡単である。それはすいた電車の来るまで、気長く待つという方法である。 電車の最も混雑する時間は線路と方向によってだいたい一定しているようである。このような特別な時間だと、いくら待ってもなかなかすいた電車はなさそうに思われるが、そういう時刻でも、気長く待っているうちには、まれに一台ぐらいはかなりに楽なのが回って来るのである。これは不思議なようであるが、実は

  • 青空文庫のXHTML,TEXTの読み方 | www.aozora.gr.jp

    青空文庫のXHTMLTEXTが読みにくい 青空文庫の作品を開いてみると、どうも読みにくい。 こんな横書きで表示しているものを、みんなスクロールして読んでいるんだろうか? いや、確かにこのままの状態で読み進めれば、ディスプレイの光も相まって、目がしょぼしょぼしてしまいます。とても長編をこのまま読んでいくのは無理でしょう。 じゃあ、どうすればいいの? 方法はいろいろあります。その方法を順次、ご紹介していきましょう。 XHTMLを読みやすくする方法 横書きで表示されている青空文庫のXHTMLページを縦書きで表示させる方法があります。 例えば「えあ草紙」を使えば、青空文庫の作品のURLを入力するだけで、縦書き、ページめくり、で読む事ができます。 このようにWebブラウザー上に縦書きで表示され、左右をクリックすることによってページを読み進めていく事ができます。これは別に青空文庫に限ったことではあり

  • 喜田貞吉 法隆寺再建非再建論の回顧

    余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が天智天皇九年庚午四月三十日夜半の大火に一旦焼失し、その後いつの頃からか再建築に着手して、奈良朝の初め頃までにはほぼ完成を見るに至ったものであることの前提の下に、所謂非再建論に対して素人の無鉄砲なる駁論を発表したのであった。しかもその論鋒が甚だ鋭利にして、文辞辛辣を極めたものであったが為か、図らずも当時の学界に一大センセーションを捲き起し、爾後数ヶ月間は甲論乙駁、盛んに雑誌の紙面を賑わしたものであった。しかしながら当時余輩に対する直接の反駁としては、畢竟非再建論者が主としてその芸術史的見地より、これらの建築物が到底大化以後の所産でありえないと云う実物上の立論を繰り返したもののみで、文献上より余輩の立論に対して、学界を首肯せしむる程の

  • 市島春城 読書八境

    古語に居は気を移すとあるが、居所に依つて気分の異なるは事実である。読書も境に依つて其味が異なるのは主として気分が違ふからで、白昼多忙の際に読むのと、深夜人定まる後に読むのとに相違があり、黄塵万丈の間に読むのと、林泉幽邃の地に読むのとではおのづから異なる味がある。忙中に読んで何等感興を覚えないものを間中に読んで感興を覚えることがあり、得意の時に読んで快とするものを失意の時読んで不快に感ずることもある。人の気分は其の境遇で異なるのみならず、四季朝夕其候其時を異にすれば亦同じきを得ない。随つて読書の味も亦異ならざるを得ないのである。今境に依り書味の異なるものを案じ、八目を選び、之を読書八境といふ。 (一)羈旅は舟車客館其総べてを包羅するのであるが、多くの侶伴のある場合や極めて近距離の旅は別として、大体旅中は沈黙の続く時である。無聊遣る瀬のない時である。シンミリ書物に親しみ得るは此時であらねばなら

  • 寺田寅彦 小爆発二件

    昭和十年八月四日の朝、信州(しんしゅう)軽井沢(かるいざわ)千(せん)が滝(たき)グリーンホテルの三階の堂で朝って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草(たばこ)に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。大砲の音やガス容器の爆発の音などとは全くちがった種類の音で、しいて似よった音をさがせば、「はっぱ」すなわちダイナマイトで岩山を破砕する音がそれである。「ドカーン」というかな文字で現わされるような爆音の中に、もっと鋭い、どぎつい、「ガー」とか「ギャー」とかいったような、たとえばシャヴェルで敷居の面を引っかくようなそういう感じの音が

  • 伊丹万作 政治に関する随想

    私は生れてからこのかた、まだ一度も国民として選挙権を行使したことがない。 私はそれを自慢するのではない。むしろ一つの怠慢だと思つている。しかし、ここに私が怠慢というのは、私が国民としての義務を怠つたという理由からではなく、たんに芸術家として、与えられた観察の機会をむだにしたという理由からである。すなわち、いまだかつて投票場に近寄つたこともない私は、投票場というものがどんな様子のものかまつたく知らない。したがつて作家としての私は投票場のシーンを描写する能力がなく演出家としての私は投票場のシーンを演出する能力がない。そして、それは明らかに私の怠慢からきている。このような意味においては私は自己を責める義務があるが、その他の意味においては少しも自己を責める義務を感じたことがないし、今でも感じていない。 「選挙は国民の義務である」ということは、従来の独裁政治、脅迫政治のもとにおいてさえ口癖のようにい

  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

  • 寺田寅彦 流言蜚語

    長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯(ガス)の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播(でんぱ)して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。これはよく知られた事である。 ところが水素の混合の割合があまり少な過ぎるか、あるいは多過ぎると、たとえ火花を飛ばせても燃焼が起らない。尤も火花のすぐそばでは、火花のために化学作用が起るが、そういう作用が、四方へ伝播しないで、そこ限りですんでしまう。 流言蜚語(ひご)の伝播の状況には、前記の燃焼の伝播の状況と、形式の上から見て幾分か類似した点がある。 最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しない事は勿論であるが、もしもそれを次へ次へと受け次ぎ取り次ぐべき媒質が存在しなけれ

  • 若山牧水 樹木とその葉 地震日記

  • 寺田寅彦 津浪と人間

    昭和八年三月三日の早朝に、東北日の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。 こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人

  • 小酒井不木 科学的研究と探偵小説

    私は幼い時分から探偵小説が好きで、今でも相変わらず読みふけっている。いつ読んでも面白い。ポーや、ドイルや、ガボリオの探偵小説は常に自分の座右に置かれてある。何度繰り返し読んでも面白い。紐育(ニューヨーク)に留学していた時分は週刊の探偵小説雑誌を買って、毎夜床(とこ)に入ってから夜更けまで読んだ。 ある時ハドソン河を隔てたジャーセー市に殺人事件が起こった。犯人は久しい間検挙されなかった。するとある日の紐育タイムス紙の論説欄に、官憲の手ぬるさを罵った傍ら、ポーの探偵小説「マダム・ロージェの怪事件」が引用してあった。すなわち事件の性質が似ているからである。 この小説は、ポーが費府(フィラデルフィア)に新聞記者をしている時、紐育の下町で評判の美人が殺されてハドソン河に捨てられてあった事件を、当時の貧弱な新聞記事を基として、仏国巴里(パリー)に起こった話として書きあげたものである。 この小説でポーは

  • 当用漢字字体表

    【当用漢字字体表】 ファイル作成者注記 ・当用漢字字体表を、JIS X 0213の包摂規準を受け入れてコード化しました。 ・このファイルには、JIS X 0213で定義された文字コードを使用しています。 ・表示用フォントに、JIS X 0213に対応したものを指定していない場合、この規格で新たに定義された文字は、正しく表示されません。(「内閣訓令」の前に使われている蛇の目記号、部首の「ぼう」、「やまいだれ」など) ・JIS X 0213に対応したフォント(Kandata)を用いて作成したPDF版を、ここに置いておきます。(629Kバイトあります。) ・JIS X 0213対応フォントをインストールしていなくとも、PDF版では、すべての文字を正しく表示できます。 ・PDF版を開くには、Acrobat Readerが必要です。 ・「尸」と思われる部首に「尺」とあるところは、「尺[#ママ]」とし

  • 坂口安吾 意慾的創作文章の形式と方法

    小説の文章を他の文章から区別する特徴は、小説のもつ独特の文章ではない。なぜなら小説に独特な文章といふものは存在しないからである。 「雨が降つた」ことを「雨が降つた」と表はすことは我々の日常の言葉も小説も同じことで、「悲しい雨が降つた」なぞといふことが小説の文章ではない。 勿論雨が「激しく」降つたとか「ポツポツ」降つたとか言はなければならない時もある。併(しか)し小説の場合には、雨の降つたことが独立して意味を持つことはまづ絶対にないのであつて、何よりも大切なことは、小説全体の効果から考へて雨の降つたことを書く必要があつたか、なかつたか、といふことである。 小説の文章は必要以外のことを書いてはならない。それは無用を通りこして小説を殺してしまふからである。そして、必要の事柄のみを選定するところに小説の文章の第一の鍵がある。 即ち小説の文章は、表現された文章よりもその文章をあやつる作者の意慾により

  • 光をかかぐる人々 (徳永 直)

    文学史でも印刷史でも言及されるテキストだが、現在日国内で所蔵する図書館が数十館しか無いと思われ、なかなか目にすることができない

    光をかかぐる人々 (徳永 直)
  • 岡本綺堂 年賀郵便

    新年の東京を見わたして、著るしく寂しいように感じられるのは、回礼者の減少である。もちろん今でも多少の回礼者を見ないことはないが、それは平日よりも幾分か人通りが多いぐらいの程度で、明治時代の十分の一、ないし二十分の一にも過ぎない。 江戸時代のことは、故老の話に聴くだけであるが、自分の眼で視(み)た明治の東京――その新年の賑(にぎわ)いを今から振返ってみると、文字通りに隔世の感がある。三ヶ日は勿論であるが、七草を過ぎ、十日を過ぎる頃までの東京は、回礼者の往来で実に賑やかなものであった。 明治の中頃までは、年賀郵便を発送するものはなかった。恭賀新年の郵便を送る先は、主に地方の親戚知人で、府下でもよほど辺鄙な不便な所に住んでいない限りは、郵便で回礼の義理を済ませるということはなかった。まして市内に住んでいる人々に対して、郵便で年頭の礼を述べるなどは、あるまじき事になっていたのであるから、総ての回礼

  • 宮城道雄 声と性格

    私は盲人であるので、すべてのことを声で判断する。殊に婦人の美しさとか、若い乙女の純な心とかは、その声や言葉によって感じるわけである。従って、声が美しくて、発音が綺麗であると、話している間に、春の花の美しさとか、鳥の鳴き声をも想像する。 それで、私はなるべく婦人の言葉は優しいことを希望する。あまり漢語などを沢山使わず、ごく平易な、女らしい言葉を用いて貰いたいと思うのである。近ごろは言葉も複雑になって、同じ婦人のうちにも、職業や境遇の相違によって、いろいろ話す言葉も違っているらしい。また年齢によってかなり違うように思う。同じ家庭でも官吏であるとか、実業家であるとか、その他各々の勤めによって、家庭で用いる婦人令嬢の言葉が違うように思われる。また同じ土地のうちでも、場所によって言葉の使い方が違っている。東京を例にとっていえば、山の手と下町とを比較すると、山の手の言葉はどことなく気品があっておちつき

  • 岸田國士 著作者側の一私見 ――出版権法案について――

  • 一円本流行の害毒と其裏面談

    宮武外骨 [表記について] ●ルビは「(ルビ)」の形式で処理した。 ●二倍の踊り字(くの字形の繰り返し記号)は「/\」で代用した。 ●[#]は、入力者注を示す。 ●底の旧仮名づかいは現代仮名づかいに、常用漢字表に掲げられた漢字は新字体にあらためた。 ●底に多用されている圏点は、省略した。 著作界の売名家、奇人変人中のニセ悪人 雑学大博士 外骨先生著 近来にない簡潔犀利の力作 熱烈の筆 痛快の論 辛辣と皮肉 好謔と善罵 拍案拍掌 愉絶壮絶 溜飲の薬にもなる (一冊定価金タッタ十銭) 著者自序 書の著者は彼是と多忙の身であるが、現在の円流行を黙過すべからざる害毒問題として、天下に吼号し、以て読書界の進展と出版界の転機を促さんとするのである、これがため著者は、円出版屋の怨恨と憎悪を受けて、ヤミウチされるかも知れないが、著者は再生外骨として一二の国家的事業を遂げね

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