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2015年6月2日のブックマーク (2件)

  • TVアニメの大半が深夜枠なのはなんでだろう - 仮想と現実

    1980年代まで、アニメは夕方5時台~6時台、夜7時台あたりが主流だったよね。日曜午前中の枠もあったか。もちろん当時のアニメが子供、ファミリー向けコンテンツとみなされていたということもあるのだろうけど。そもそも制作費を出す主体が変わってしまったのだよな。 もともとTV番組はスポンサーと契約したTV局が制作費を出してたわけで、アニメーションスタジオもTV局から仕事を受けてたわけだ。製薬会社や製菓会社、おもちゃメーカーなんかがスポンサーになって、アニメを見る人達がスポンサーの名前を覚えて商品を買ってくれることを見込んでいた。当然夕方からのゴールデンタイムは一家揃ってTVを見る時間であり、視聴率が高く、広告効果が見込めるので、潤沢な予算が使えたわけだ。ところが今はゴールデンのアニメはめっきり減ってしまった。 1990年代までは結構エヴァンゲリオンもあったしその影響を受けた後発の作品群も多く夕方に

    TVアニメの大半が深夜枠なのはなんでだろう - 仮想と現実
  • 人々を個人の集団ではなく「やつら」と見なすことが差別の本質じゃないのかなあ - 仮想と現実

    東大震災のとき、朝鮮人がデマに扇動された民衆によって虐殺されたのは歴史的事実だけど、日人雇用主のような日の知人によって保護されて助かった人たちの証言も残されている。その違いはなんだろう。雇用関係などで個人としての朝鮮人を知っていた日人は「この人が井戸に毒をまいたり攻撃しようとするはずはない」と思っていたから殺気立った自警団から隠したりして守ろうと思ったのだろう。 相手が自分と同じ人間であり、自分と同じように危機には恐怖し、自分と同じように考える生き物なのだと考える時、人は相手を容易に殺せなくなる。反対に相手を理解不能な行動原理を持つ自分たちとは異なる集団と考える時、人は容易に虐殺に手を染める。特定個人ではなく、「くくり」としての「○○人」は殺せるわけだ。 僕は「海外の反応」系ブログが好きだ。日のいろんなことを海外の人が見聞きしたり経験したりして、その感想や意見を書いたものを翻訳し

    人々を個人の集団ではなく「やつら」と見なすことが差別の本質じゃないのかなあ - 仮想と現実
    gonzales66
    gonzales66 2015/06/02
    “差別のもっとも初歩的な形態であると思うのだ。”