真田の城と言えば? 真っ先に上田城を思い浮かべる方が多いと思われます。 徳川軍の猛攻を二度に渡って跳ね返した【第一次上田合戦(1585年)】と【第二次上田合戦(1600年)】。 いずれも寡兵が大軍を破るという痛快劇で、さながらマンガのようでもあり、真田ファンに支持される要因の一つでありましょう。 しかし! 上田城を念頭に置いて私が注目したいのは【天正壬午の乱】であります。 当時の真田家当主だった真田昌幸が、上杉、北条、徳川相手にコロコロと立場を変え【表裏比興の者】と称されたことでも知られる大きな戦乱。 一つ間違えれば真田家全体が滅ぼされかねない状況で、昌幸は非常にクレバーかつアグレッシブな戦略でついには生き残ったのです。 実は、この戦乱の最中に上田城も作られており、後に、真田信之が大名として生き残れたのも、天正壬午の乱を生き抜いたからにほかなりません。 3つの大国に囲まれた真田は、いかにし