電車内で写メを撮られたことに怒り、男性会社員(36)に暴行したとして暴行の現行犯で逮捕された「みちのくプロレス」の会長兼レスラー、ザ・グレート・サスケ(本名・村川政徳)氏(39)=前岩手県議=が21日、処分保留のまま警視庁南千住署から釈放された。直後、友人の出版プロデューサー、高須基仁氏(59)の元を訪れ“出所祝い”。席上、サンケイスポーツの独占インタビューに応じ「留置場で自殺も考えた」と衝撃告白した。(聞き手・松原輝明記者) ――早い釈放となりました 「20日ぐらいの拘留は覚悟していました。処分保留のまま釈放ということですが、これからはどうなるか私自身よくわかっていませんけど、早く出られて良かった」 ――いま“出所祝い”で食べている天ぷらそばとビールの味は 「酒は2日間だけ絶っていたとはいえ、いや~、おいしいですね」 ――岩手県議時代に県議会でも脱がなかったマスクを、南千住署で脱がなけれ
JR常磐線の車内で乗客の男性に暴行したとして、警視庁南千住署は、暴行の疑いで、プロレスラーで元岩手県議、ザ・グレート・サスケ容疑者(39)=本名・村川政徳=を現行犯逮捕した。同署によると、サスケ容疑者は「もみ合いにはなったが、暴行はしていない。詳細は覚えていない。おれにも肖像権がある」などと容疑を否認しているという。 同署の調べによると、サスケ容疑者は19日午後11時50分ごろ、常磐線北千住-南千住駅間の快速電車内で、マスク姿のサスケ容疑者を携帯電話のカメラで撮影した荒川区内の男性会社員(36)から携帯電話を取り上げて床に投げつけ、男性の胸ぐらを両手でつかんで電車のドアに押しつけたり、左ひざ付近をけるなどした疑いがもたれている。 同署によると、2人は南千住駅で下車。サスケ容疑者はほかに写真を撮影されていないか確認するために男性のバッグを取り上げて中身を確認した後、去っていった。通報で駆けつ
新日本のリングで活躍した星野勘太郎氏(65)が、脳梗塞(こうそく)で倒れ、都内の病院に入院中であることが18日までに分かった。 関係者によると、星野氏は4日早朝、都内で知人と会っていた際に倒れ、救急車で都内の病院に搬送された。脳梗塞と診断され、現在も集中治療室(ICU)で治療を受けているという。入院2日目に肺炎も併発して、一時は命も危険な状態に陥ったが、何とか持ち直し、現在はまだ言葉は話せないものの、手足のしびれもなく、文字も書けるようになったという。 星野氏は61年12月に日本プロレスでデビュー。74年から参戦した新日本では小柄ながら荒々しいファイトで「突貫小僧」の異名を取った。95年2月に引退してからはプロモーターとして興行に携わる一方、02年8月から04年9月まで武闘派ヒール軍団「魔界倶楽部」総裁として現場復帰。「ビッシビシ行くぞ!」の名フレーズでマットを席巻した。昨年12月18
今から33年前に行われた伝説の異種格闘技「アントニオ猪木vsモハメッド・アリ」が7日(土)、『テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負〜いま明かされる舞台裏の真実』(テレビ朝日系)で遂に封印が解かれる。これまで権利の問題で放送できなかった伝説の戦いが同局の開局50周年を記念し、遂にフルラウンドをダイジェストで放送。番組では当事者であるアントニオ猪木がVTRを見ながら当時の状況を振り返る。 舌戦が繰り広げられた調印式の模様&そのほかの試合カット 1976年6月26日、20世紀最大の戦いのゴングは鳴った。37ヵ国で衛星生中継され、世界14億人がテレビの前で釘付けとなった夢の対決はいかにして実現したのか? そもそもの始まりは、当時ボクシング世界王者だったアリが、「100万ドルの賞金を出すので、日本人で挑戦する者はいないか」というマスコミ向けに言い放ったジョークだった。この発言に名乗りをあげたの
新春恒例の新日本プロレス1.4東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM III」の前日記者会見が3日、都内・ホテルで行われた。会見に先立ち、第8試合のIWGPタッグ選手権試合3WAYマッチに出場を予定していた天山広吉が、右目の網膜はく離により同大会を欠場することが発表された。欠場会見には菅林直樹社長とタッグパートナーの小島聡が出席。沈痛な面持ちで経緯を説明した。 菅林社長によると天山は昨年12月29日に右目に異常を感じ、病院へ駆け込んだところ網膜はく離と診断された。天山自身はドーム大会出場に強い意欲を見せたものの、「この状態で衝撃を受ければ取り返しのつかないことになる」と医師から説得され、30日に入院。31日には手術を受けた。手術は無事成功し、現在もレーザー治療などで右目の回復を図っているという。天山は書面で「こんな大事な時に、なぜなんだと自分自身を恨みました」と無念をにじませたコ
国際プロレスなどで活躍した往年の名レスラーで、がんと闘病中だったグレート草津さん(本名草津正武=くさつ・まさたけ)が21日午後1時5分、入院先の静岡県内の病院で死去した。66歳だった。草津さんは昨年5月に食道がんで入院。肺や肝臓などに転移し療養していた。通夜は23日午後7時から、葬儀・告別式は24日午前11時から、ともに静岡県駿東郡長泉町下土狩71の11、セレモニーホールみしま平安会館で。喪主は妻智子(ともこ)さん。 草津さんはラグビー日本代表に選出された身体能力を生かして65年にプロレスラーに転向。国際プロレスには68年1月の旗揚げから参加した。「鉄人」ルー・テーズと死闘を繰り広げ、81年に同団体が消滅するまでラッシャー木村らと主力選手として支えた。 05年秋に脳出血で倒れ、昨年に食道に腫瘍(しゅよう)が発見された。苦しい闘病生活を続けたが、かつての付き人で2週間前に見舞いに訪れたアニマ
国際プロレスなどで活躍した往年の名レスラー、グレート草津(本名・草津正武=66)が、がんと闘病中であることが20日、分かった。元K-1ファイターで次男の賢治さん(31)によると、昨年5月に食道がんで緊急入院し肺や肝臓などに転移。現在は静岡県内の病院で療養を続けている。 最初に異変が起きたのは05年の秋だった。脳出血で倒れて入院。強靱(きょうじん)な精神力と体力で手術せずに一命をとりとめて、その後は回復の兆しを見せていた。しかし、昨年の検査で食道に腫瘍(しゅよう)が発見されて、再入院した。 熊本工、八幡製鉄所ではラグビー選手として活躍。100メートル走11秒0の快足ロックとして日本代表にも選出され、キャップ1を獲得した。プロレスラーに転向し、65年に日本プロレスに入門、ジャイアント馬場の付き人を経験して66年3月にデビューした。同年中に退団し、68年1月の国際プロレス旗揚げに参加。「鉄人」ル
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