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literatureに関するhatayasanのブックマーク (80)

  • NET EYE プロの視点

    ケータイ小説はなぜここまで売れるのか。2007年の文芸書の売り上げベストテンのうち5作を占め、しかも上位3位をこの新勢力が独占するに至り、議論が活発になってきた。マーケティングという面から見た特徴は2点。ひとつは書き手と読み手の相互作用。もうひとつは「ヤンキー市場」の顕在化だ。 「逆メディアミックス」のPR ケータイ小説とは携帯電話の画面で細切れに公開される長編小説を指す。執筆も携帯電話による作品が多い。昨年は「恋空」「赤い糸」「君空」という3つのケータイ小説が文芸書売り上げの1、2、3位を占めた。首位の「恋空」は06年にも3位にランクインしており息が長い。昨年秋には映画も公開され、大方の予想を裏切り大ヒットとなった。地方在住の女子中学生、高校生が主な読者だ。 ケータイ小説の元祖は2000年に携帯電話での公開が始まったYoshi氏の「Deep Love」。02年に書籍化され、売り上げ

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/27
    内容的に共通する要素は「売春、性的暴力、妊娠、薬物、不治の病、自殺、最後に真実の愛による救い」の7つ。「背伸びした大成功より、足るを知る。そんなライフスタイル」
  • その日を摘め: 詩集『はだか』谷川俊太郎より、「さようなら」

    さようなら ぼくもういかなきゃなんない すぐいかなきゃなんない どこへいくのかわからないけど さくらなみきのしたをとおって おおどおりをしんごうでわたって いつもながめてるやまをめじるしに ひとりでいかなきゃなんない どうしてなのかしらないけど おかあさんごめんなさい おとうさんにやさしくしてあげて ぼくすききらいいわずになんでもたべる ほんもいまよりたくさんよむとおもう よるになったらほしをみる ひるはいろんなひととはなしをする そしてきっといちばんすきなものをみつける みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる だからとおくにいてもさびしくないよ ぼくもういかなきゃなんない (詩集『はだか』谷川俊太郎より) こんな詩に出会いました。 前つんのめりの、焦るリズムが、読んでいて苦しい。 少年は、「どこへいくのかわからないけど」「いかなきゃなんない」。 さ

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    hatayasan 2008/02/14
    「「どこへいくのかわからないけど」「いかなきゃなんない」。さらに、「ひとりでいかなきゃなんない」。」谷川俊太郎の詩から、2004年12月。
  • ケータイ小説の起源 - 倫敦橋の番外地

    ケータイ小説をなめてはいけない──日近代文学と「女学生」 -猪瀬直樹の「眼からウロコ」 ビジネススタイル - nikkei BPnet http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/inose/071211_20th/index.html はてBで見つけた。 それなりに面白い指摘ではある。 しかし男性作家が書く「女学生」のことは、また別の話だろうに。 オヤジがギャルに翻弄されるのは定番過ぎる古典的なお話だ。 魔性の女、謎の女なんてのも同様。その昔、女子大生ブームがあったころ夕暮れ族も、似たようなものだろ。 夕暮れ族 夕暮れ族とは、中年男性と若い女性のカップルのこと。 【年代】 1979年  【種類】 若者言葉 夕暮れ族の解説 夕暮れ族は、吉行淳之介の『夕暮れまで』(1978年)という著書に描かれたカップルを取り上げて出来た言葉で、中年男性と若い女性のカップルを意

    ケータイ小説の起源 - 倫敦橋の番外地
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    hatayasan 2008/01/02
    「オヤジがギャルに翻弄されるのは定番過ぎる古典的なお話だ。 魔性の女、謎の女なんてのも同様。」近代文学史の周辺など。
  • ケータイ小説をなめてはいけない──日本近代文学と「女学生」 - ビジネススタイル - nikkei BPnet

    ケータイ小説をなめてはいけない──日近代文学と「女学生」 トーハンが、書籍の「2007年 年間ベストセラー」を発表した。文芸部門では、女子中高生が愛読するケータイ小説がベスト3を独占。ベスト10のなかに5作がランクインした。 この現象について、英国紙タイムズから取材を受けた。海外のメディアも注目する現象なのだ。日の純文学の関係者は、「素人が書いており文章がつたない」「ストーリーが型にはまりすぎ」などとケータイ小説を酷評している。だが、「くだらない」の一言で切り捨てることはできない。 このブームの根底にあるものを読み解くには、日の近代文学史、それも教科書では教わらない、近代文学のほんとうの誕生について知る必要がある。意外かもしれないが、ケータイ小説は、近代日文学の伝統の流れの延長に位置するものなのだ。 「女学生」の投稿雑誌、オフ会は明治時代から存在していた 文芸部門のランキ

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    hatayasan 2008/01/02
    「ケータイ小説を読んでいるのは若い女性が中心だ。彼女たちの言葉は、大人になる直前の、少女と大人の境目でだけ発揮できる“無意識”から生まれる」田山花袋『布団』にまつわるエピソードなど。
  • 坂のある非風景 泡沫のように生滅せよ

    小学4年生の子どもが作文の問題をしていて、ただ、誰かになにか言われてうれしかったことを書けばいい、そういう他愛ないものだったが、子どもは、悪口を言われてくやしかったことは何度もあるが、なにか言われてうれしかったことは一度もないと言って、そこで止まってしまった。 この設問は「物語」の作成だった。きわめてイデオロギー的な、つまり合社会的な文脈で、生活の中からむりやりに「よい話」を作り出させようとする意図がぷんぷんと匂った。誰にだって「うれしかった」ことくらいあるだろう、そういう常識と呼ばれる物語の強制である。 わたしたちは誰でも、めいめい日常のあいだに物語を語り、聴き耳をたて、ひそかにじぶんでも物語を作りながら生活している。それぞれが物語にかこまれ、物語をのこし、物語をべ物みたいに呑みこんで、日々を繰返す。だが不思議なことに、この日常世界には物語めいたことが少なすぎるとおもっている。生活の繰

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    hatayasan 2007/12/22
    「物語の本質は、作品化されることにあるのではなく、一瞬語られて、二度と思い出すことのできない消失の運命につき従う、そこにこそあるのではないだろうか。」
  • 「兄の人生の物語」と「ある個人史の終焉」 - 琥珀色の戯言

    まさか「兄の人生の物語」をリアルだと思って読む人がそんなにいようとは - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記 発端は、この『兄の人生の物語 - ロハスで父が死にました』というエントリなのですけど、僕自身は、このエントリを読んで、なんというか、すごくもぞもぞとした感触、短くまとめてしまえば「やるせなさ」とか「居心地の悪さ」しか感じられなかったんですよね。いや、これをリアルな話として捕らえた場合、最後の一文に「感動」するのって僕にはとても難しい。この話の後に続くのは、なんらかの「破綻」であることは目に見えているのだから。 僕がこれを読みながらずっと考えていたことって、「自分の子どもがこういう感じだったら、はたして愛せるだろうか?」とか、「こういう人に自分の恋人がレイプされたりしたら、いったいその悔しさはどこにぶつければいいのか?」ということでした。正直、どこに、何にそんなに「感動」できるのかよく

    「兄の人生の物語」と「ある個人史の終焉」 - 琥珀色の戯言
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    hatayasan 2007/12/12
    「「フィクション」か「ノンフィクション」か、じゃなくて、「面白い」か「つまらない」かだけで「評価」すれば?/「フィクションだからと腹を立てる」=「友達のはずなのに、なんで嘘つくんだ!」みたいな感じ。」
  • ケータイ小説と国語力。 - みんなの25時

    読書, しごとベア速 mixiのレビューで見る恋空読者の国語力>>1良く頑張った!スレ住人も脊髄反射的なスイーツ(笑)叩きじゃなしに冷静にレスしてるのがよいですね。中でもほほうと思い、ケータイ小説を考える上で参考になりそうな考察(強調は引用者148 名前:乱交☆うさぴょん ◆3P5PmUSAGI [] 投稿日:2007/11/24(土) 17:50:09.11 ID:LX0x8OX80ケータイ小説を色々読んだことあるわけじゃないので、基的に恋空に限った話にしとく。あれは文学かって論議が各地で見られるけど、ちょっとそういう論議の対象外だと思うんだよね。まず、全体的にただの状況説明と会話文しかない。要するに表現がないんだよね。表現してない。んでま、なんか多くの人が感動したっていうんだけど、その感動がわからない人にはわからないから、話がこんがらがるんだけど、あれは読むと感動するんじゃなくて、感

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    hatayasan 2007/11/26
    手軽にどこでも感動できるのがケータイ小説、という理解でOKなんだろうか?
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

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    hatayasan 2007/11/13
    「源氏物語と紫式部日記に関する書物の収集を始め、現在は日本語のほか、英、仏、独、露、中、伊、スペイン、スウェーデンの各言語の翻訳書を所蔵」こんな多方面に翻訳されていたのか。
  • 趣味の悪さというもの - good2nd

    女の子の部屋に行って壁に架けてあるのが動物写真のカレンダーなんかだったら害がなくていいのですが、ラッセンの絵が貼ってあったら僕は「うわ、趣味悪いな」と思わずにはおれないでしょう。決して「この子は自分とは好みが違うんだな」ではない。口では「僕とは好みが違うかなぁ」と言うかもしれないけど、実際には「趣味が悪い」と思うのであって「自分と違う」と思うのでは絶対にない。 ある作品なり何なりを良いと思うかどうかは人によって違いますが、それが人気があるかどうかということと同様に、それが優れたものであるかどうかということもまた別の話です。「優れているかどうか」という評価も人によって差があることは確かですが、それはある程度までであって、完全に相対的ではありません。つまり、駄目なものがあり、駄目なものを好む人がいる。 趣味の悪さを指摘されると「自分の価値観を押しつけるな」などと言う人がいるわけですが、そうでは

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    hatayasan 2007/11/12
    「好みと人気と優劣は、すべて別々の要素です。好みはその人自身が判断するだけだし、人気は客観的に言えるでしょうが、優劣はそうはいかない。」
  • 誤読できるのが、いい詩である

    誤読できるのが、いい詩である 正直に言って私はそもそも現代詩なんてものがよく分かっていない。なにかほかのものとは違うというのなら、それはその「ほかのもの」を理解していなければならず、そして、ほかのもの、というのはつまり近代詩、なのだろう。歴史的には。 この点について、試みにもっともお手軽なネット上のフリー百科事典『ウィキペディア』を引いてみるとこんな具合にとてもよくまとまっている。よっぽどてだれた人が書いたんだろうから、長くなるけれど、かいつまんで引用してみます。 「現代詩は近代詩の形式主義化、耽美化などへの反省により、二十世紀初頭に生まれた詩をさす。現象学・実存主義に影響を受けた哲学的な内容、性や暴力など近代詩が扱わなかったタブーへの切り込み、日常とかけ離れた特異な言葉遣いによる異化作用、などが特徴的である。各詩人詩人によって、作風が大きく異なり、共通するものが少ない「分散性」が現代詩の

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    hatayasan 2007/11/08
    「文学書、というかテクストを読む快楽はきわめて個人的な解釈、自由連想、あるいは意図的な誤読にこそあります。そして、そういうことができるものほど上質のテクストです。」そういうものなのかなあ。
  • 俺は自分の中の鬼が怖くてならない

    hatayasan
    hatayasan 2007/11/08
    「自分の中の鬼がうずく うずきやがる このまま埋もれていくのが恐ろしさに」熱いな。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ナミビアの砂漠 冒頭カナ(河合優実)が「どうしたの、元気ないね、べてないじゃん」と女友達のドリンクを一口すくって差し出すのは自分もやりそうだと思う、何となく。「ぼく?」「すぐに?」とハヤシ(金子大地)の言葉をそのまま繰り返すのも自分がやりそうだと思う、分かってい…

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    hatayasan 2007/10/28
    「春樹をはじめとする純文学で成功した作家のやったことは、我々の基本OSとは別のOS、しかも極めて汎用性の低い独自OSを、読者の脳みその中に刷り込んだことに相当する」"OS"。
  • 村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読む: asyuu@forest

    村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」を読了。 フルマラソンってハードなスポーツ。とても私は走ることはできない。マラソンランナーに喫煙者がいないのは、そのハードさに心肺機能が悲鳴を上げるからだろう。 村上春樹は「走る意味」について次のようにいう。 -------------------------------------------------------- 僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的に空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。(同書32頁) 僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝は知ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。(同書113頁) -------------------------------------------------------- 村

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    hatayasan 2007/10/17
    「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。つまり不健全な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ」村上春樹かあ。
  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

    au one netのブログサービス 『LOVELOG』は2014年6月30日をもちまして提供を終了致しました。 永らくのご利用、誠にありがとうございました。 引き続きau one netをご愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※お手数ではございますが、新ブログにて閲覧の皆さま向けにブログURL変更等をご周知いただけますよう、お願い申し上げます。

    hatayasan
    hatayasan 2007/10/17
    「雪はおのれをどうしたら 欺かないで生きられるだろう」
  • 村上春樹「ノルウェイの森」を読む: asyuu@forest

    関西地方は残暑が厳しい。静かな土曜日の始まりだ。 村上春樹「ノルウェイの森」を読了。 37歳の僕(ワタナベくん)が大学生活を振り返るシーンから始まる。 ワタナベくんは親友のキズキの自死によって「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」という諦観を持つ。キズキ・直子(キズキの恋人)・ワタナベというトライアングル(死んだ者も生者の中で生きるのだ)の中で、ワタナベは直子を愛するようになるが、彼女は死の方に惹かれ心を病んでいく。 いっぽう大学の同窓である緑は死を受け止め、それに圧倒されない強い女性として描かれている。我々の生に潜んでいる死の影に翻弄されることを拒否する強さだ。 「ノルウェイの森」が多くの読者の支持を得たのは,ある者はワタナベに、ある者は直子・緑に自分の姿を投射することができたからだろう。 ワタナベくんは、療養のため京都の療養所(といってもそれはコミューンのよう

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    hatayasan 2007/09/30
    「日々の残酷さはまわりだけではなく、あなた自身から発するものもある。だからこそ,きちんと生きましょう。疲れていても歯を磨き髭を剃ろう。」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

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    hatayasan 2007/09/25
    「愛とはつまり、現在形的なものではなく、常に現在完了的に確認されるものなのだ」このあたり、まだよくわからない。
  • Hugo Strikes Back!: 三島由紀夫割腹余話

    三島由紀夫割腹余話 『四国の山なみ』のコンテンツ。 三島の割腹自殺に関する読み物で、自殺の状況に関する詳しい記述がある。 三島の割腹自殺で良く言われるのは介錯をした森田必勝が下手糞で斬首する為に何度も刀を振り下ろしたという話。この件についても触れられていて、以下その部分をちょい引用。公判記録によると、右肩の傷は初太刀の失敗であった。おそらく最初三島はうしろへのけぞったものと思われる。森田は三島が前へ倒れるものとばかり思って打ち下ろしたとき、意外にも逆に頚部が眼の前に上がってきたため手許が狂い、右肩を叩きつける恰好になったのであろう。そのため前へ俯伏せに倒れた三島が額を床につけて前屈みに悶え動くので首の位置が定まらず、森田はそのまま三島の首に斬りつけたか、それとも三島の身体を抱き起して急いで斬らねばならなかったかはわからないが、いずれにしても介錯人には最悪の状態でさらに二太刀(斎藤教授の

  • YouTube - 三島 vs 東大全共闘

    '69.5.13 於:「東大【焚】祭」

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/22
    三島由紀夫と東大全共闘の議論。1969年。
  • The Life And Death Of Yukio Mishima

    .

    The Life And Death Of Yukio Mishima
    hatayasan
    hatayasan 2007/08/22
    三島由紀夫の誕生から切腹まで。6分の映像。
  • YouTube - 三島由紀夫

    演説 MishimaYukio

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/22
    1966年の映像。白黒だけどかなり鮮明。