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ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (10)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 連続ツイート プラグマティズム

    プラ(1)先日、シンガポールでイリヤ・ファーバーと喋った時に、プラグマティズムの話になった。ジェームズ、デューイ、パース。イリヤは特にパースが好きなのだという。それで、アメリカの文明力の基礎となっているエートスのことについて考えてみる気になった。 プラ(2)どんな概念も、それが実際の私たちの生き方、社会のあり方の中で有効に機能するのでなければ意味がない。このようなプラグマティズムの思想は、アメリカの社会の中に深く根付いており、インターネット文明の生みの母にさえなっているのではないかと思う。 プラ(3)たとえば、「平等」や「自由」、「平和」といった概念も、それが机上の空論、絵に描いたでは意味がなく、必ず具体的な生のあり方によって担保されなければならない。このような思想は、社会問題について、ソリューションを見いだしたり、ハックしたりするという積極的態度に結びつく。 プラ(4)ソフトウェアをリ

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    heis101 2011/08/01
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 京都大学等におけるカンニング事件について

    今回の京都大学をはじめとする入試における「カンニング事件」は、いろいろな意味で心が痛む。 京都大学が被害届けを出し、「偽計業務妨害罪」でカンニングをした学生が逮捕されるに至ったことに、強い違和感を覚えるものである。 その理由の第一は、「大学の自治」、「学問の自由」にある。 入学者をどのように選考するか、という問題は、「大学の自治」の根幹にかかわるものと考える。どのような資質を持った人から、大学を構成するかということは、大学における学問、研究、教授の基礎をなすものであり、大学が、もっとも大事にしなければならない点である。 1952年の「東大ポポロ事件」に見るように、かつては、大学の自治はもっと大切にされ、さまざまな議論があったと思う。今回の事件において、京都大学の関係者が「被害届け」を出してしまったことは、「大学の自治」の点から疑問である。日の大学が、大きく変質してしまったことを感じる。

  • 茂木健一郎 クオリア日記: どうせ、ベタ記事にしかならねえぜ。

    昨日、代々木公園野外音楽堂で「就活生の音フェス」があった。明治神宮の森を抜けて、駆けつけた。ちょうど、定刻の10時。しかし、少し押した。 「ユーストリームするのか?」と聞いたら、「機材がありません」などと言うので、その場でマックブックを出して、e-mobileでつないで自分でユーストリームした。生中継しながら、録画した。 最初の僕のセッションが終わって、次の杉村太郎さんが喋っている時に、舞台のそででMacBookのそばに座っていたら、実行委員の女の子が来て、「あのう、お客さんから見えないところに下がってくださいと、ディレクターから指示が来ていまして」と言う。 その女の子には全く罪がないのだが、オレはカチンと来て、「邪魔なのか?」と聞いた。そうしたら、「メディアの方もいらしてますから」というので、ますますアタマに来て、「どうせベタ記事にしかならねえぜ」と言った。 今朝の朝日新聞東京版に記事

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    heis101 2010/09/15
    「君たちがユーストリームの準備もしていないと聞き、わざわざ自分で用意して、舞台ソデでいろいろやっていたオレが、「メディアの方がいらっしゃいますから」と役所の広報みたいな台詞を当の君たちから聞くとは」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: いわゆる研究費「流用」の報道について

    今朝の朝日新聞に、阪大の研究室が550万円の研究費を「流用」したという記事が出ている。 まるで「風物詩」のように、時々このような記事が出る。その度に、私は二つのことを考える。日の「官」 の杓子定規の駄目さ加減と、日の新聞の浅薄さである。特に後者はジャーナリズムの名に値しない。 中には、真に悪質なケースもあるかもしれない。しかし、大抵の場合、研究費の「流用」として報じられるのは、日の文部科学省、JSTなどの研究費が余りにも使い勝手が悪いことの副産物に過ぎない。 たとえば、秋葉原に行って、実験に必要な器具を臨機応変に現金で購入するということができない。「費目」というのが決められていて、異なる費目に使えない。研究というものは、流動的なもので、当初のもくろみとは異なることにお金を使う必要があることもある。むしろ、そのような研究の方が、ドラマティックな進展が見られることが多い。しかし、予算申請

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    heis101 2010/08/18
    「貴重な公金を、有益に使うべきだという趣旨はわかる。しかし、その方法が間違っている」「不正がどのような背景から生まれているのかまで調べて書いて始めて社会の木鐸としての使命を果たしたと言える。」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 当事者として

    当事者として 真剣に仕事をしようとしていたら、内田樹さんのツイッター上のつぶやきがタイムライン上に出現し、手が止まってしまった。 http://twitter.com/levinassien 「アルテスの鈴木くんが「怖い」話を紹介してくれていたので、読んですっかり考え込んでしまいました。その結論は・・・http://blog.tatsuru.com/というわけで、アルテスのもいつ出るかわからなくなりました。バブルがこわいよう。」 リンク先の内田樹さんのブログには、ブックファースト店長の遠藤さんのこのようなコメントを含む記事が引用されていた。 (「一個人」サイトより、「ブックファースト・遠藤店長の心に残った」というコラム) http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html _____ 池上彰「伝える力」 [2010年8月12日] いま書店界で一番

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    heis101 2010/08/16
    茂木氏は、立ち位置が内田氏と勝間氏のちょうど中間のような気がする。茂木氏と内田氏の違いは、どや顔をするかどうかなのかな。テレビに出演する人は、そういうのを意識しちゃうのかな、とも。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: とりあえずぼくはロケットになろう

    しばらく雑感のような日記を書いていなかったけれども、久しぶりに書いてみようかと思う。 講演会でまた爆発してしまって、反省しきり。 結局、いくら言っても「お説ごもっとも」で終わってしまうことが多い。 人々の火をつけることは簡単にはできないのだ。 だから、結局、自分自身に火を付けて、自分がロケットになって、びゅんと飛んでいくしかないんだな、と感じる。 海老蔵や麻生厳さんと飲んで、睡眠不足で、時差で、夏バテで、帰りの湘南新宿ラインでも目を開けているのがやっとだったけれども、それだけはわかった。 火山もいいけど、ロケットになろう。 時折は火山に戻って、まだ無駄な噴火をするとは思うけれども、とりあえずぼくはロケットになろうと思う。

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    heis101 2010/08/06
    「結局、いくら言っても「お説ごもっとも」で終わってしまうことが多い。人々の火をつけることは簡単にはできないのだ。だから、結局、自分自身に火を付けて、自分がロケットになって飛んでいくしかないんだな」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 野生の英語

    内田樹さんが、ブログで、英語について興味深いことを書かれている。 http://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php 言語がすぐれて政治的なものであるという認識こそ、日英語学習に必要な視点の一つではないだろうか? 「政治的」ということを言い換えれば、自分の人生英語がどのようにかかわるかを、他者との交渉において設計していくということだろう。 私が日人の英語学習について提案したいことは、一言、「野生の英語」をやろうぜ、ということに尽きる。 私は学校英語は得意で、いわゆる「英語学習」も好きだった。英検1級や、国連英検特A級などをとった。TOEFLというのも受けたことがある。 しかし、そのあたりで、いわゆる「検定英語」のような世界から急速に離れてしまった。 今は、TOEICというのが流行りらしい。問題文を見る限り、あまり興味を持てそうもない。 なぜ、検定

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    heis101 2010/07/31
    茂木マジックを解きほぐすヒントが、ここにあるような気がした。
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ギャップ・イヤー

    東京の某所のカフェで、仕事をしていた。たくさんやらなくてはならないことがあって、ちょっとあせっていた。 ふと顔を上げると、ヨーロッパから来たらしい青年が、前のテーブルに座っていた。バックパックを背負い、真剣な顔をしてを読んでいる。そのが、Roger PenroseのEmperor's New Mindだったので、思わずはっとした。 ちょっと背伸びをするふりをして、テーブルを立って、滅多にそんなことはしないのだけれども、声をかけてみた。 「こんにちは、失礼ですが。ペンローズを読んでいるんですね?」 「ああ、はい。」 「学生さんですか?」 「いや、そうではありません?」 「旅行中?」 「はい。去年、大学を卒業ました。」 「どこの大学を出たのですか?」 「ケンブリッジ大学です。」 「ああ、ぼくもケンブリッジに留学していました! 何を専攻していたんですか?」 「物理学です。」 「じゃあ、ぼくと

    heis101
    heis101 2010/04/02
    「ギャップ・イヤー」「日本は素晴らしい国だと思う一方で、「自分がもし今学生で、就職を考えていたら」と考えると、深い絶望にとらわれる」
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 他者に対する「リスペクト」 藤井直敬 『ソーシャルブレインズ入門』

    他者に対する「リスペクト」 藤井直敬 『ソーシャルブレインズ入門』 <社会脳>って何だろう 講談社現代新書 2010年2月19日 藤井直敬さんは、『ソーシャルブレインズ入門』で、今脳科学に静かに起こりつつある革命についてわかりすく解説する。 一つひとつの脳を切り離し、コントロールされた実験室環境に置き、特定の文脈の中で神経細胞がどのように活動するかを観察する脳科学の方法は、多くの成果を収めた。『ソーシャルブレインズ入門』は、そのような過去の成果を踏まえつつ、さらに新しい領域へと踏みだそうとする。 周知のように、人間は社会的動物である。書に引用されているように、ハーロウの子ザルに関する古典的実験は、たとえ栄養が満たされていてもその上に関係性欲求が充足される必要があることを示した。人間は、猿よりもさらに複雑な社会性を発達させた。脳を社会性の文脈において考えることは、いわば論理的な必然である。

  • 茂木健一郎 クオリア日記: アインシュタインの孤独

    昨日アインシュタインのことを話して、 思い出したので。 アインシュタインの孤独 人類が歴史上耳にしたさまざまな音楽の中でも、楽聖ベートーベンによる交響曲第7番はもっとも「生命の躍動」(エラン・ヴィタール)に満ちた曲の一つだろう。とりわけ、第4楽章の熱狂的なフィナーレは、聴く者に心が沸き立つような強い印象を残す。 ワグナーはこのシンフォニーを「神格化された舞踏」と絶賛した。古代ギリシャにおいて、すぐれた人間が「神」の領域へと祭り上げられるという伝統を踏まえた「神格化」という言葉。ベートーベンの生み出した名曲の魅力を伝えて余りある。 生命というものの質は活気に満ち溢れた動きの中にある。そして、生命の活気は私たちをどこへ導くかわからない。 小林秀雄はかつて、川端康成に向かって「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。」と看破した。「何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕

    heis101
    heis101 2009/04/10
    ふむ。/…「生命の躍動」って言う言葉を使うとなんか安っぽい気もするが
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