東京では朝から雨が降ってきました。花粉症の私には朗報ですが、恐らく今日の繁華街は、どこもガラガラだと思います。ナゼなら、雨の中に放射性物質が含まれていて危険なのではと、何となく不安に思っている人がたくさんいるからです。 その理由は、テレビで解説委員や専門家の話を聞いていても、自分の行動の判断基準になる情報がまったく得られないからです。例えば、 放射性物質が検出された、ほうれん草や牛乳は、直ちに健康に危害はありませんが、念のため回収 雨の日の外出は東京では問題ありませんが、念のため外出先で雨に濡れたら拭いておく というような話では、安全なのか危険なのかわかりません(解説している人もわからないのかもしれませんが)。とすれば、危ないかもしれないから念のため避けよう、と考えるのは自然なことです。 安心のためにメディアが提供すべきなのは、正確なデータの提供とその判断基準の紹介です。 例えば、グーグル
酒の席で自分が勤務している会社の悪口をいってしまう。私にもかつてそんな経験がありました。 「うちの会社、だからダメなんだよ」 と言ってみたりするのですが、実はそんな会社の中で働いているのは、自分自身です。他人事のように批判していても、その責任の一端は自分にもあると言えるのです。会社がダメだと思うなら、自分はその中で良くしようと努力しているのか?胸に手を当ててみると、自分も同じくらいダメだったりします。 政治の世界も混乱しています。支持率を見ても、民主党政権に失望している人は私を含め、かなり多いと思いますが、彼らを政権政党に押し上げたのは誰でしょうか?民主主義という選挙によって、国民が選んだということです(制度には大きな問題がありますが・・・)。 政治が悪い、と声高に叫ぶ前に、自分は選挙で誰に投票したのか?いや、その前にそもそも自分は前回の選挙に投票に行ったのか?と自問してみると、完全な第3
インターネットは世の中を便利にしてくれますが、今までとは違った感覚を人間に与えることになるので、頭が混乱することもあります。 簡単に言えば、距離の感覚がマヒしていくのです。心理的な距離、そして物理的な距離のことです。 心理的な距離は、ツイッターやフェイスブック(私はあまり使っていませんが)が変えてしまいます。ほとんど会ったことが無い人なのに、お会いした瞬間から何十年も知り合いであったかのような気になる人がいます。ツイッターでフォローしている人がつぶやいていることを読んだり、リツイートしてコミュニケーションしている人です。面と向かって、会話しなくても心理的な距離がとても近くなっているのです。 昨日も100名ほどが集まるパーティで初対面の方も何人かお会いしたのですが、ネット上で知っている方は名刺交換してからすぐに打ち解けてナチュラルにお話することができました。お互いのバックグラウンドがある程度
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