メモ | 02:01 | 中野重治「ある側面」(1956)より むかしロシアで、社会民主主義者たちが社会民主党の政治綱領をつくることで議論をした。そのとき、ある人びとが、ロシアにおける資本主義の発展の問題にふれて、大資本にたいして小資本の持つ重要性の比重が、相対的に小さくなってきているというふうな文案をつくった。それを見て、レーニンが、怒り心頭に発して――というふうに私に見える。――そんな言い方があるか、大資本が小資本を、どしどし食ってきているというふうにいうべきだ、と言っていた。政治綱領というものは戦いのためのものだ。それは戦うものの立場から書かれる。それならば、食う大資本、食われる小資本、その関係が、食う大資本と憎悪をもって戦う立場から、動的に描きだされねばならぬ。そうレーニンは言っていた。言いかえれば、レーニンはそこで、問題を動的に、人間的にとらえていた。いわば文学的にとらえてい