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過去記事に関するhokusyuのブックマーク (9)

  • 虹のために - lmnopqrstuの日記

    メモ | 02:01 |  中野重治「ある側面」(1956)より  むかしロシアで、社会民主主義者たちが社会民主党の政治綱領をつくることで議論をした。そのとき、ある人びとが、ロシアにおける資主義の発展の問題にふれて、大資にたいして小資の持つ重要性の比重が、相対的に小さくなってきているというふうな文案をつくった。それを見て、レーニンが、怒り心頭に発して――というふうに私に見える。――そんな言い方があるか、大資が小資を、どしどしってきているというふうにいうべきだ、と言っていた。政治綱領というものは戦いのためのものだ。それは戦うものの立場から書かれる。それならば、う大資われる小資、その関係が、う大資と憎悪をもって戦う立場から、動的に描きだされねばならぬ。そうレーニンは言っていた。言いかえれば、レーニンはそこで、問題を動的に、人間的にとらえていた。いわば文学的にとらえてい

  • Apes! Not Monkeys! はてな別館 - 箸にも棒にもかからぬ愚論、「受諾したのは判決だけ」

    あちこちでコピペされているのが「小林よしのり氏が「ゴー宣・暫」の中でネット保守との共闘を求める」というネタ。それが当かどうかなんてどうでもいいのだが、ともかくそのネタによれば「今後、講和条約第11条の件でデマを流している知識人がいたらただちにネットで攻撃してくれ」とされているんだとか*1。「講和条約第11条の件でデマ」というのはもちろん、「日はサンフランシスコ講和条約第11条によって、連合国による軍事裁判を受けいれた」という主張を指すわけである。 それにしてもあれだね。「裁判全体を受け入れた」という主張に賛成しないのは勝手だけど、日政府がとっている立場と同じことを言ったら「デマ」呼ばわりとはね(笑) このネタに早速反応しているのが野良氏。 野良 『「第11条を受諾したんだから、東京裁判の趣旨と判決理由も全て受け入れたんだ」という主張をしているブログは時々みかけますね〜。 小林よし

    Apes! Not Monkeys! はてな別館 - 箸にも棒にもかからぬ愚論、「受諾したのは判決だけ」
  • 「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」――グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について - (元)登校拒否系

    キューバのグアンタナモ米軍基地には、アルカイダとの関わりを疑われた数百人の人々が収容されています。彼らの多くは、裁判にかけられる予定もなく「無期限に収容」されています。また拷問が行われているという報告もあります。このようなことは、通常の法の枠内では正当化することが困難です。というわけで、アメリカではこのような収容が行われていいのかということが論争になっています。 ジジェクによれば、ある討論番組で、次のような収容擁護論があったそうです*1。いわく、「彼ら(囚人)は爆弾が当たらなかった者たちである」。つまり、彼らは米軍の正当な軍事活動の対象であったにもかかわらず偶然に生きのびたのだから、彼らを収容することに問題はない。どんな状態であるにせよ、死ぬよりはマシなはずだ。彼らは死ぬはずの者たちであったのだから、彼らには何をしても許される、というわけです。 日の民主主義にも、グアンタナモの囚人たちの

    「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」――グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について - (元)登校拒否系
  • HALTANさんへ、四つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081105/p1 さすがに、「いやもうバブルでも何でも起こしてドッカンドッカン好景気にして」には、どうしようかと思いましたけど。 「べき論」とは区別された議論として (3)について 素人の俗論で甚だ恐縮なのですが、これも極端な話、バブルなんかそんなに畏れるほどのことでしょうか? 今回の危機に対しても、オバマさんも早急に対処に乗り出すでしょうし、制度や規制の再設計も速やかに行われるでしょう…。 良くも悪くもたかが資主義です、失敗と修正を繰り返すことで自転車操業していけばそれで良いわけです。 それはかなりヒドイ話です。自覚的であったかどうかは別にして、この10年はまさに、「とりあえずバブル膨らましとけ」な自転車操業をやっていたわけです。そして、それがとうとうはじけました。仮にHALTANさんの主張を受け入れるなら、今回の金融危機

    HALTANさんへ、四つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 在日特権を許さない市民の会を許さないゴロツキの会 Part 1

    国憲法を真(ま)に受ける会 http://toled.iza.ne.jp/blog/ 「元詐欺師・逮捕歴有りの新風のオヤジが在日韓国人青年に喧嘩売る→ぶっ倒され泣き言(笑)」(dj19の日記) http://d.hatena.ne.jp/dj19/20090408/p1 維新政党・新風 http://www.shimpu.jp/?hombu21 在日特権を許さない市民の会 http://www.zaitokukai.com/ 『月刊日』『週刊金曜日』共同講演会 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090411/trd0904111054007-n1.htm 戸塚ヨットスクール http://www.totsuka-school.sakura.ne.jp/ 風の子学園事件Wikipedia) htt

    在日特権を許さない市民の会を許さないゴロツキの会 Part 1
    hokusyu
    hokusyu 2009/09/28
    今だからこそ熱い。
  • 猿虎M字開脚! - 猿虎日記

    コイズミ・オブ・ジョイトイ? 政界の大仁田入りについてなかなかするどく分析した、面白い記事を見つけました。 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20050817 小泉にに賛成しないわけにはいかない? (……)そんな中で面白いのは、選挙ですね。これほど政治ネタを楽しくみるのはそうそうないのかもしれませんね。毎日毎日、刺客とか、新党とか、そしてとうとうホリエモン登場ですか?ボクは、小泉支持ですね。とにかく郵政の参議院否決から、衆議院解散へと、小泉首相「おもしろいすぎ」ですね。こういうの個人的に大好きです。 たしかに、おもしろすぎですよね。そんじょそこらのお笑い芸人より百倍面白い。ザ・ニュースペーパーというコント・グループの主要なネタは、小泉の物まねなのですが、これが爆笑なのです。しかし、ザ・ニュースペーパーの人は、小泉がいつも言っているようなことをそのままステージの上で

  • 倫理の根源は呼びかけにある - モジモジ君のブログ。みたいな。

    5月9日の記事(応答責任、再論)から、sivadさんの4月の記事にトラックバックを送ったところ、さっそくお返事をいただいた。>倫理の根源は想像力にあると思う@赤の女王とお茶を ここでsivadさんが「想像力」というキーワードを提起したことで、違いがより鮮明になってきたと思う。以下、議論したい。 ホームレスのそばを通り過ぎたとき「間接的ではあろうが、私は他人を見殺しにすることに加担した」と言えるであろうか(以上、kanjinai氏の記事からの引用) への答えは「言える。ただし、加担していない、とも言える。」になります。可能かどうかということであれば、いずれも可能というしかありません。 この部分に、まず同意できない。元の文を次のように言い換えてみよう。「私は他人を見殺しにした」。意味合いは変わっていないと思うが、こう書き直せば明瞭であるように、これは事実についての命題である。そして、事実命題と

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  • 真実の中にしか生きられない人と共にあることは可能か - モジモジ君のブログ。みたいな。

    姥捨山問題をめぐって広がった論点のひとつが、「それを人に向けて言うこと」の妥当性だった。たとえば、uumin3氏が、自分の記事の中で自身のコメントを引用している。 uumin3 『こんにちは。私が真っ先に書いたようなんですが、私もいろいろ皆さんの意見を見ました。見た限り大体が「他人をそれで責めるのをやめれ」というご意見だったと思いましたよ。/うちのとこでも「自分に向けて言うのはありだけど」って書いてましたし、……(「詐術2」@uumin3の日記) この問題を巡っては単純化して言えば、「見殺しになるか」という問題と「見殺しになることを、口にするべきか」という問題の両方がある。これまでは前者に限った話しかしてこなかったが*1、今回は、この後者の問題について考える。 応答責任について、何度か述べた*2。このことは、この問題とも大きな関わりがある。 助けを必要とする誰かを目の前にしている。私と、そ

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  • 小児性愛の何を問題にしたいのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    demianさんの記事とか読みつつ。>「最近のいろいろ」 セクシャルマイノリティ、という一般化 どうもこうしたテーマになると、同性愛者を迫害したり、SMやフェティッシュな志向を持つ人たちを鼻つまみものにしたりというのと同じことを小児性愛者や子供と恋愛関係になってしまう人に対してやってしまう人が多いなと。 これらはすべて、「成人対象の異性愛」という規範からの逸脱として同列に排除されてきた、という歴史はある。しかし、その意味で同列に扱われてきたということは、その含む内容において同列に扱うべきものだということを意味しない。だから、上記引用部におけるdemianさんの指摘は納得がいかない。 そもそも、同性愛やSMやフェティッシュのなにが悪いのか、僕にはさっぱりわかない。べものの好き嫌いとなんら違いが見出せないからだ。批判者の言説においても、それ以上のものを見たことがない。しかし、小児性愛において

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