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考古学と地震に関するholyagammonのブックマーク (7)

  • 古墳:仁徳陵墳丘に無数の地割れ、巨大地震の痕跡か- 毎日jp(毎日新聞)

    宮内庁が仁徳天皇陵として管理する堺市の大山古墳(5世紀中ごろ、前方後円墳)に、巨大地震でできた無数の地割れや地滑り跡があることが、墳丘の航空レーザー測量図を調べた産業技術総合研究所の寒川旭客員研究員(地震考古学)の指摘で25日、分かった。 東海・東南海・南海地震がほぼ同時に発生したとされる684年の白鳳地震をはじめ、巨大地震の被害を繰り返し受けた可能性があるという。 墳丘が崩れていることは1995年の宮内庁の調査で判明しており、学界には未完成説、中世の山城改変説、暴風雨説などもあったが、地震説が決定的になった。(共同)

  • 福島で「縄文時代に震度7」 巨大な地割れ“発掘”+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    掘っても掘っても、底が見えない溝。「まるで地面に開いた大きな口。自分は一体何を発掘しているんだろう?」。1990年秋、福島県相馬市の段ノ原B遺跡を調査していた県文化振興事業団の吉田秀享副主幹は、連日頭を悩ませていた。 宮城県境に近い丘陵上に広がる縄文時代前期の大集落跡。最も栄えた約6000年前は、約4万7000平方メートルの範囲に約100棟の竪穴住居があった。 ジグザグに延びる奇妙な溝が現れたのは、丘陵の肩に近いムラ東端。長さ約90メートル、幅4~5メートル、深さ2メートル以上もあり、底から大量の土器や木を燃やした跡が見つかった。 「地割れですよ」。謎を解いたのは、石材の調査に訪れた地質学者だった。周囲には、地滑りで左右がい違った地層もあった。 「地震考古学という言葉も知らなかった。驚きました」。溝の中にあった土器から、地震はムラの最盛期と考えられた。 段ノ原B遺跡は、宮城県亘理(わたり

  • 琵琶湖底に水没集落の墓地か 430点の石群発見 - MSN産経ニュース

    クリックして拡大する琵琶湖に沈んだ集落の墓地にあったとみられる五輪塔の一部=滋賀県長浜市祇園町沖の琵琶湖底(滋賀県立大琵琶湖水中考古学研究会提供) 大地震で集落が水没したとの伝承が残る滋賀県長浜市沖の琵琶湖底から、供養塔や石仏の一部など石群約430点が見つかり、中井均・滋賀県立大准教授(中世考古学)が指導する同大の学生グループが12日、発表した。中井准教授は、16世紀後半の地震で集落が地盤ごと地滑りして水没したとみている。 調査したのは、中井准教授が指導する県立大の学生グループ「琵琶湖水中考古学研究会」。「西浜村」という集落が湖底に沈んだとの伝承があり、素潜りで調査した。長浜市祇園町沖約100メートルの湖底(水深約1メートル)で、東西38メートル、南北26メートルにわたって分布する石群を見つけた。 供養塔などに使われる五輪塔の一部や、石仏の上半身部分など、墓地に使われたとみられる石があり、

  • 「千年に一度の巨大地震の世紀」 東海・東南海・南海3連動と首都圏直下型地震も 平安時代に匹敵と地震考古学の研究者+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災規模とされる平安時代の貞観(じょうがん)地震(869年)や関東直下型地震、東海・東南海・南海地震の3連動とみられる仁和(にんな)地震など9世紀に起きた地震が、阪神大震災(平成7年)以降の地震の状況と酷似していることが、産業技術総合研究所の寒川(さんがわ)旭(あきら)・招聘(しょうへい)研究員(地震考古学)の分析でわかった。近い将来に首都圏直下型や3連動型地震が起きる可能性が高いとの見解を示し、「千年に一度の巨大地震の世紀になるかもしれない」と警鐘を鳴らす。 寒川氏は、古代以降の文献史料とともに、各地の遺跡で発掘された地割れや液状化現象による噴砂などの地震痕跡を調査。9世紀前半に関東北部や東北などでマグニチュード(M)7前後の地震が相次いだ後、貞観地震が発生していることを確認した。 貞観地震は当時の歴史書「日三代実録」に、「海は猛(たけ)り吼(ほ)え、津波が怒濤(どとう)のよう

  • M9級・超巨大地震!2000年前、巨大津波か : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    高知大学の岡村真教授(地震地質学)らが、高知県土佐市の2000年前の地層から、厚さ50センチに及ぶ津波堆積物を見つけた。 高さ10メートル超となった東日大震災の津波でも、堆積物の厚さは5〜7センチ程度。専門家はマグニチュード9級の超巨大地震による津波である可能性をあげ、その再来もあり得ると指摘している。 駿河湾―四国沖では、海のプレート(岩板)が陸のプレートの下に沈み込む境界(南海トラフ)で、東日大震災のような巨大地震が300〜350年周期で起き、大きな津波も発生している。 今回、50センチの堆積物(砂の層)が見つかったのは、現在の海岸から約400メートル内陸にある蟹ヶ池。岡村教授らが約30か所で池の底を調べた結果、東日大震災以前では、最大級とされる宝永地震(1707年)の津波堆積物も見つかった。厚さは15センチ程度だったが、この時、蟹ヶ池近くの寺を襲った津波は高さ25メートルだった

    holyagammon
    holyagammon 2011/04/26
    仁和地震というのもあったからな
  • 内陸10キロに海の珪藻…古代遺跡が示す大震災「高さ10メートル津波」(産経新聞):こう見えても、美容師なんです。:So-netブログ

    holyagammon
    holyagammon 2011/03/31
    10m!。これはこわい
  • asahi.com(朝日新聞社):琵琶湖底の遺跡、地滑りが原因 京大研が警鐘「現代も」 - サイエンス

    琵琶湖底にある集落遺跡「下坂浜千軒遺跡」(滋賀県長浜市)が水没した原因は、地滑りだったことが京都大防災研究所の釜井俊孝教授らの調査でわかった。湖底で幅約1キロにわたる大規模な地滑り地形を見つけた。16世紀の地震で湖岸の地層中で液状化があり、その上の地層が地滑りを起こしたらしい。釜井教授は「大きな湖の周辺では現代でも地滑りが起こりうる」と警鐘を鳴らしている。  下坂浜千軒遺跡は、1586年に起きた天正地震(震源地は岐阜県、マグニチュード8)で水没した村とされる。なぜ水没したのかについては、水位変化、地殻変動など諸説があった。  釜井教授らは音波で水深を詳細に測る調査を実施し、10センチ間隔の等深線を描いて、詳しい湖底地形を解明した。その結果、がけや小さい丘など、陸上の地滑りにそっくりな地形が見つかった。かつて湖岸に寺があり、そのために人工盛り土がなされた可能性が高いこともわかった。  地震で

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