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nuclearと沖縄に関するholyagammonのブックマーク (7)

  • 外務省、核持ち込み「異論ない」 沖縄返還合意前に伝達 - 共同通信

    1969年11月、米ホワイトハウスで会談する佐藤栄作首相(左)とニクソン米大統領。2人は沖縄返還に合意した(共同) 【ワシントン共同】日米両政府が沖縄の施政権返還で合意した1969年11月の首脳会談直前、当時の愛知揆一外相の意向を受けた外務省幹部がキッシンジャー米大統領補佐官に対し、返還後、非核三原則に背く有事の沖縄への核兵器再持ち込みに「異論はない」と外交ルートで公式に伝えていたことが13日、機密解除された米公文書で分かった。 佐藤栄作首相は外務省とは別に国際政治学者若泉敬氏を密使に立て独自に交渉、キッシンジャー氏との間で数日前、持ち込みを容認する密約を結ぶことで合意していた。愛知氏と外務省は密約を知らされていなかったが、返還交渉の決裂を懸念したとみられる。

    外務省、核持ち込み「異論ない」 沖縄返還合意前に伝達 - 共同通信
    holyagammon
    holyagammon 2017/08/14
    "当時の愛知揆一外相の意向を受けた外務省幹部がキッシンジャー米大統領補佐官に対し、返還後、非核三原則に背く有事の沖縄への核兵器再持ち込みに「異論はない」と外交ルートで公式に伝えていた"
  • 東京新聞:「沖縄部隊 核攻撃を」 キューバ危機で米軍誤命令 現場が回避判断:国際(TOKYO Web)

    沖縄県読谷村にあったメースBの発射基地。ミサイルが8基あり、キューバ危機当時、発射可能な状態にあった(元米空軍兵のデニス・フィッツシモンズ氏提供) 冷戦下の一九六二年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが十四日、同部隊の元技師らの証言で分かった。 キューバ危機で、核戦争寸前の事態が沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、六二年初めに米国施政下の沖縄に配備された。運用した米空軍第八七三戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。別の元米兵も取材に応じ、誤った発射命令が出たことを認めた。

  • 木語:辺野古の核貯蔵施設=金子秀敏 - 毎日jp(毎日新聞)

    <moku-go> 鳩山由紀夫首相の言葉を軽く感じるのはなぜだろう。 むかし「ぶりっこ」という言葉があった。男の気を引くためにわざと女らしい仕草をするのは「かわい子ぶりっこ」。いつもいい子になるのは「いい子ぶりっこ」。 鳩山首相は、いい子ぶりっこだ。普天間飛行場の移設先は「最低でも県外」だし、オバマ米大統領に会えば「トラスト・ミー」と英語が出る。沖縄の海兵隊は「学べば学ぶほど抑止力」で、沖縄の海を埋め立てるのは「自然への冒〓(ぼうとく)」である。 それが行き詰まると、沖縄に出向いて「辺野古付近にお願いせざるを得ないとの結論に至った」と「断腸の思い」の謝罪をした。 首相の言葉はどれをとっても非常に重い。その重い言葉がぺらぺらひらひら飛び交うから、軽く感じるのである。 あっさり頭を下げるいい子に向かって、沖縄県の知事も市長も振り上げたこぶしのやりばに困る。 野党自民党の谷垣禎一総裁もやりにくい

  • 47NEWS(よんななニュース)

    牛も魚も、イモまでぐったり…記録的猛暑が襲う農畜水産業現場 ストレス対策へ生産者はあの手この手の知恵をしぼる

    47NEWS(よんななニュース)
    holyagammon
    holyagammon 2010/05/27
    "広島・長崎に投下された原爆が、いずれもテニアン島からB29爆撃機で運ばれた歴史的因縁"あ、そうか
  • asahi.com:「核なき世界に努力」 代表団が広島市訪問-マイタウン広島

  • 核密約文書、佐藤元首相邸に…初の存在確認 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    佐藤家で発見された、ニクソン米大統領と佐藤首相(当時)がサインをかわした合意議事録の写し。「トップ・シークレット」の文字がある 沖縄返還交渉を巡り、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の間で交わされたとされる有事の際の核持ち込みに関する「密約」文書を佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。 密約の存在を裏付ける決定的な証拠が発見されたことになる。 外務省はこれまで文書の存在を否定してきた。日米間の密約の存否の検証を行っている外務省の有識者委員会の判断にも大きな影響を与えるのは必至だ。 佐藤家で発見されたのは、ワシントンで行われた日米首脳会談で極秘に交わされた「合意議事録」の実物。読売新聞社が入手した「合意議事録」の写し(英文2枚)は、1969年11月19日付で、上下に「トップ・シークレット(極秘)」とある。文末には佐藤、ニクソン両首脳の署名がある。 文書では、米側が「日

  • asahi.com(朝日新聞社):日本、「核密約」文書の再機密化要請 公開した米に - 政治

    日米両国の「核密約」の根幹部分が記された公文書が99年に米国で公開された際、日政府が米側に公開を取り消すよう要請していたことが分かった。文書は、核兵器を積んだ米艦船や航空機の日への立ち寄りを事前協議なしに日が認めることを確認した内容。日からの要請の直後、米国務省によって再び機密指定されていた。  当時の政府関係者が匿名を条件に経緯を証言した。米国の公開文書を封印するよう日側が求めた事実は、日政府が「核密約」の存在を国民の目から隠そうとしたことを示している。「核密約は存在しない」という一貫した日政府の主張が崩れ、情報公開の観点からも批判を招くことは必至だ。  問題の文書は、60年の日米安保条約改定を前に、核兵器を積んだ米艦船や航空機の立ち寄りや通過をそれまで通り認めることを日米で確認した59年の「安保条約討議記録」など。60年6月に米国務省北東アジア部が作成した「議会用説明資料

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