歴史修正主義者の多くが(排外主義的)ナショナリストであることは事実だが、歴史修正主義者をして日本軍の戦争犯罪を否認せしめている決定的な動機はナショナリズムではなく、上記ツイートに現れているような「権利を主張する“弱者”」への憎悪だろう。なにしろ自国の戦争被害者に対しても冷淡なのだから。 そして「権利を主張する“弱者”」への憎悪という点で、上記2ツイートは当然これともつながってくる。
近頃私は死といふものをそんなに恐しく思はなくなつた。年齡のせゐであらう。以前はあんなに死の恐怖について考へ、また書いた私ではあるが。 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。墓に詣でても、昔のやうに陰慘な氣持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭――但し語原學には關係がない)と呼ぶことが感覺的な實感をぴつたり言ひ表はしてゐることを思ふやうになつた。 私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺えるのである。病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。 實際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病
十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、非イスラーム・近代主義の立場から、『女性解放』(1899)を著すなどし、「エジプトフェミニズムの父」と呼ばれる弁護士のカースィム・アミーンが「一夫一婦」を称揚する運動を行ったことについて、人類学者で、女性・ジェンダー研究に携わるライラ・アブー=ルゴドが、『「女性をつくりかえる」という思想――中東におけるフェミニズムと近代性』のなかで、こう批判する。 私は(略)次のように主張する。アミーンは女性の権利、教育、就労について語ってはいるが、そうした主張を展開することによって彼が本当に奨励しようとしていたのは、近代ブルジョワ家族という家族組織と、そこで理想とされる夫婦愛や科学的な育児であった、と。アミーンが推奨した近代ブルジョワ家族は、のちの西洋フェミニスト、マルクス主義者、そして二十世紀後半の社会理論家たちによって、今では女性に強いられる服従の原因として非難
ヒーターの電源をONにして、ベッドの上で藤子不二雄の「まんが道」を読む。手を伸ばせば届く場所にはパイの実とアイスコーヒーがある。今日中に8巻までは読む。時間はいくらでもある。昼まで漫画を読み続けて、それから好きなだけ寝るつもりだ。 先月会社を辞めた。上司が体育会系でパワハラが辛かったとか、細かいことをねちねちと言われたとか、残業代が付かなかったとか、休みが全然なかったとか、理由を問われるといくらでも答えるが、本音を言うと「早起きして会社なんか、行きたくねえ。俺のペースでゆっくりさせろ」というところだ。 好きな時間に起き、本棚に並べられた、買ったは良いけれどなかなか読む時間がなかった本を読み始めたり、近くに定食を食べに行ったり、テレビを見たりする。晴れていて、かつ気分が良ければ自転車で浅草まで行ったりもする。なにはともあれ、時間の何もかもが好きに使えるっていうことは、良いことだ。 「空白期間
自分は大学2年生の19歳なのですが4つのサイトを運営していて、それらのサイトに広告を掲載し、月70万ほどの収入を得ています。 このことを親が認めてくれないのです。 親の主張は、「楽して金を稼ごうなんて考え方が腐ってる」「まともな金銭感覚がなくなって人生終わるぞ」この2つです。 ハッキリ言って、これは就職してサラリーマンになって月70万稼ぐのより圧倒的に楽だと思います。 でもそれがいけないことなのでしょうか? 楽だと言っても、自分は毎日10万人以上の人に情報提供をしているんです。毎日3時間ではありますが、パソコンに向かってサイトの更新をしています。 でも、社会にでても楽な仕事と大変な仕事は存在しますよね? 「楽」っていう言い方は間違っているかもしれません。言い方を変えると、「同じ労働時間での収入の違い」は社会に出ても絶対に存在します。 例えばコンビニのバイトと優良企業の社長では働いている時間
ファッションアート好きという人たちが集まってる場で、ピカソのゲルニカを見て、 「ヘタクソっスね〜」 というヤツがいたら、そいつはアートどころか、教養まで疑われても仕方ないと思うんですよ。なおかつ 「ピカソってデッサン力ないっスよね〜」 などと言おうものなら、そいつには一生アートなんぞを語って欲しくないとも思うわけです。 ピカソが幼少の頃より天才的なデッサン力を持っていて、親父に筆を折らせる原因にもなった逸話は、アートをちょっとかじっている人なら誰でも知っていること。もちろんキュビズムにデッサン力が必要かどうか?というのはまた別の問題として、ピカソが類稀なるデッサン力を持っていた、というのは存知であるべきではないかと。 ピカソすら知らない。それでいてアート好きを公言するとか批評してしまう人間がいたら、その人間の言うことを誰が信用するのでしょうか?そしてピカソすら知らないということは、あらゆる
米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望 - macska dot org 上記、欧米での無神論者批判の記事が小盛り上がりを見せているので、前に書いたエントリを再掲してみるよ。 グールドの「神と科学は共存できるか?」を読了した。そう、今年話題となった本、ドーキンスの「神は妄想である」の中で、えらく批判されていたあの本だ。 しかし、グールドとドーキンスは仲良くできないね。グールドが亡くなった後でさえこれだものな(笑)。仲良くケンカしなってか。 ドーキンスの本はいってみれば「無神論者のススメ」であった。ドーキンスの本はグールドが亡くなった後の刊行であるから、グールドが「神は妄想である」を批判しえるわけはないのだけれども、いや、健在だったなら間違いなく批判しただろうな。本当、一見、利己的遺伝子説と断続平衡進化説が相容れないものに見えるのと同様、宗教に対するドーキンスとグールド
にげだめ(3):宮崎駿の労働神話 --------------------------------------- にげだめ(1):網走監獄でヱヴァを想う にげだめ(2):あしたのジョーと3C分析 にげだめ(3):宮崎駿の労働神話 --------------------------------------- さて、真っ白になったジョーに続いて、豚になったポルコのお話。 「飛べない豚はただの豚だ」のフレーズが一躍有名になった、宮崎監督の「紅の豚」がある。人に戻れない飛行機乗りの豚のお話だ。 宮崎駿の傑作は数多いが、紅の豚という映画が、実は僕の一番好きな宮崎映画だ。 で、そこで出ていた Q1 なぜ、ポルコは飛行機を降りないのだろう? Q2 なぜ、ポルコは人間に戻れないのだろう? このあたりの疑問を出発点として、宮崎駿映画で、労働の先に「神様」が生まれたプロセスを考えてみようとい
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
前回エントリへのトラバなどへの応答。 逐語的にではなく、ざっくりと。 「よい暴力」と「すべての暴力に反対」 http://d.hatena.ne.jp/harutabe/20091017/1255761383 「尊厳」と「自由」で矛盾してるよ - 地を這う難破船 正当防衛のことを考えてみる。 ほとんどのヒトは正当防衛という行為を否定できないだろうし、僕もそうだ。 ここで、正当防衛を否定しないとして、正当防衛を暴力と呼ぶのか呼ばないのかが対立点になりうることを確認する。 「あらゆる暴力に反対する」というヒトタチは、たぶん正当防衛を暴力であるとは呼ばないだろう。しかし、正当防衛といえども物理的強制力を用いて他者の身体を傷つけたり、ことによると生命を奪うこともありえるわけで、これはやはり暴力であるとみなすこともできよう。正当防衛を暴力の一種と考えるのであれば、「やむをえない暴力」あるいは「よい暴
『AERA』2009年10月12日号(朝日新聞出版)の対談記事「勝間和代×香山リカ〜『ふつうの幸せ』に答えはあるか」より。構成は小林明子さん。 【勝間和代:香山さん、家事は好きですか? 香山リカ:好きじゃないです、全然。 勝間:私、好きなんです。洗濯物がパリッとなったり、お皿がピカピカになったりするプロセスが大好き。自分の行動で物が変化するって、楽しくないですか。だから私、ご飯を食べて「ああ、おいしい」と思うだけで毎日が幸せです。今日も昼間、子どもの友達とお母さんがうちに遊びに来たんですが、デリバリーでとったサンドイッチがおいしくて、幸せでした。 香山:ご飯で幸せになれるんだったら、別に仕事で成功したり、資産を増やしたりしなくてもいいんじゃないですか。 勝間:おいしいご飯のためには、そこそこの経済力とスキルが必要です。いいレストランが判断でき、素材を吟味できたほうがいい。使いやすいお玉や粉
id:KIM625 積みあがってる ついでに、この論法は「テーブルひっくり返しのワザ」と呼ばれてて否定論否定者間では割とメジャー。細部に言及して行き詰ると本来の問題にひっくり返す。そして別方向から細部に。終わりは無い。 2009/10/14 http://b.hatena.ne.jp/KIM625/20091014#bookmark-16700464 あっはっは。わかったよ。じゃあシンプルに行こう。比喩も見立てもレトリックも抜きで、腹の中身をご開帳だ。ご覧ください、内臓でございます! 僕が在特会のデモの映像を見ますね。するとtoledがバカやって殴られている。僕は当然胸糞悪いです。思います、「これは暴行だろう。警察は何やってんだよ」。そこにmojimoji君がやってきて曰く、「いえいえ、あなたの無関心こそが暴力です。暴力を否定するならば、排外主義も同時に否定するのが筋です」と。「わたした
暴力の問題を純法律的問題としてのみ捉える考え方が馬鹿げているのは、むしろその考え方こそが、直接的暴力の本質的問題を過小評価することにつながるからに他ならない。直接的暴力の形態は様々である。警察が振るう暴力だって、当然ながら直接的暴力と呼べる。では、なぜ今回のtoledさんに振るわれた暴力が問題となるのか?純法律的な答えは、このようなものにならざるをえない――法律でそう決まっているから。かくして、いっさいがっさいの「存在」の形象は問題の中心から切り離され、議論はひどく限定された「当為」の次元で行われる。これは――今や20世紀(初頭)の遺物となった――きわめて素朴な法実証主義といわなければならない。「存在」は「当為」から解放されるが、そのことによって「当為」に縛られる。まさに、あらゆる形象と結びついたさまざまな暴力の区別が、合法的かどうかの区別に還元されてしまうのである。たとえば陵辱ゲームはな
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
わたしはあなたじゃありません。でもわたしはあなたです {【警告】以下の文には、脈絡も意義もライフハックもビジネスチャンスも無いので、そういうのが必要な方は速やかに「Back」ボタンを押すことをお勧めします。 * タイトルに惹かれて、数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 というエントリを読みかけてやめた。 なんかぴんとこない。 僕はたぶん日本人の平均よりは、数学とかもしてはきたけれど、結局、「役に立つからやっていた」わけではない。やらないと気持ち悪かっただけだ。 たとえば、野球選手が「野球をすることの意味」というエントリを書いていてさ、「野球をすると健康によく長生きができる」とか、「野球をすると反射神経が鍛えられる」とか、「仲間と力を合わせることを学ぶ」言われても、多分、やっぱり眉をひそめると思う。 野球選手は、もともとは野球やりたくて野球やっているのだろう。(プロになったあと
才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるか - はてな匿名ダイアリー http://anond.hatelabo.jp/20090408121545 僕自身、絵がうまかったが進路に悩んでいた同級生に、プロになるよう安易に勧めたことがある。別に僕に言われたからそうしたわけではなかろうが、彼はプロになった。しかし現時点で大ブレイクしているわけでもないので、少し良心の呵責を覚えないでもない。 「医者なんて掃いて捨てるほどいるけど、本当に才能のある絵描きは歴史を見ても1000人といない」 あんなことを言って。あれはまったく無責任だった。医者だって貴重だ。 それはともかく、世の中には芸術の女神の衣の裾にも触れることができない絵描き*1がごまんといて、それでも生きている。 親の仕事の関係で、そんな人を何人か見てきた。アルバイトで糊口を凌ぎ、お金をためては海外に行って描いた絵で個展を開く人
『<狐>が選んだ入門書』(山村修著・ちくま新書)より。 【一個の作品として光る本を読むことの幸福。そのことを考えるとき、私がいつも思い出す一篇の詩があります。フランスの作家ヴァレリー・ラルボーの書いた『罰せられざる悪徳・読書』(岩崎力訳、みすず書房)に引かれた「慰め」という散文詩です。作者はローガン・ピーアソール・スミスというアメリカ生まれの詩人、文法学者です。 詩の主人公「私」はある日、打ちひしがれた気持ちで地下鉄に乗りこみました。かれがどうして打ちひしがれているのか、それは分かりません。かれは、私たち人間の生活にどんなよろこびがひそんでいるか、しきりに考えます。しかし、ほんのすこしでも関心を払うに価するよろこびが、生活のなかにあろうとは思えませんでした。酒もだめです。食べものもだめです。友情もだめです。愛もだめです。 駅に到着しました。エレヴェーターで、地上にのぼっていかなくてはなりま
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