■集客に効果、第2弾準備 サッカー・J1サガン鳥栖が、本拠地ベストアメニティスタジアム(鳥栖市)で5月27日に行った集客イベント「値段のないスタジアム」の結果を公表した。試合の満足度に応じて観戦料を後払いしてもらう企画で、1人当たりの平均支払額は812円だった。 イベントはJ1クラブでは初の試み。
■来季の飛躍、墓前で誓う サガン鳥栖の運営会社サガン・ドリームスの竹原稔社長ら関係者が7日、クラブ立ち上げに尽力した県サッカー協会元理事長の故坂田道孝さんの墓に参った。リーグ戦を過去最高位に並ぶ5位で終えたことを報告。来季のさらなる飛躍を誓った。
サッカー・J1サガン鳥栖は、22日のリーグ戦第32節・徳島戦で苦しみながらも勝利を収めた。首位・浦和との勝ち点差を「5」に縮め、29日のホーム最終戦で浦和と激突する。逆転優勝やアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)出場枠獲得のために落とせない大一番を前に、主将のMF藤田に思いを聞いた。
サッカーJ1サガン鳥栖は8日、尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督の退任と、新監督にコーチの吉田恵氏(41)が昇格することを発表した。9日の広島戦から指揮を執る。 吉田氏は同志社大を経てV川崎(東京V)、神戸、市原(千葉)、広島のJ1クラブを渡り歩き、2006年に鳥栖に移籍。
鳥栖市はサッカー・J1サガン鳥栖の本拠地「鳥栖スタジアム」の施設命名権を公募しているが、企業や団体の反応は鈍い。年間5千万円以上の契約料の高さがネックになっているとみられる。命名権料は施設改修費などに充てる貴重な財源だけに、市は新たなスポンサーの登場に期待をかけている。 鳥栖スタジアムの命名権は現在、食品卸売やレストラン業を展開する久留米市の「ベストアメニティ」が契約している。12月で終了するため、市は新たな契約先を探しているが、募集から2カ月がたっても決定には至っていない。 2日の定例会見。橋本康志市長は1社と交渉中であることを明らかにした。「検討してもらっている会社がある状態で、鳥栖に関係のある企業としか言えない。8月中に見つけたい」。これまで命名権に関して市への問い合わせはゼロ。この1社は7月に市から持ちかけた企業で、厳しい状況がうかがえる。 契約料は年間5千万円(消費税別)以上▽期
サイズが合わなくなり、使わなくなった子ども用サッカーシューズを途上国に贈る佐賀県発のプロジェクトが全国に広がっている。発案者はサッカーJ1サガン鳥栖の元社長牛島洋太郎さん(76)=基山町=。県内をはじめ、全国のサッカーチームから集まったシューズを特殊なコーティング技術で“再生”、草履やはだしでボールを追う子どもたちに送り届けている。 「子どもの成長が早くて、すぐに買い換えないといけない」。牛島さんは社長時代、少年サッカーチームの保護者と話すうち、十分使えるのに家に眠ったままのシューズがたくさんあることを知った。 途上国には高額のためシューズを買えず、砂利や石の上を草履やはだしで練習している子どもも多い。愛着のあるシューズの「第二の活躍の場」が提供できれば、日本の子どもたちにも喜んでもらえるのでは-。そう思い立ち、昨年6月から活動を始めた。 集まったシューズは、牛島さんと交流のある福岡県の業
サッカー・J1サガン鳥栖のJ1残留が7日、リーグ戦3試合を残して確定した。チーム一丸で積み重ねてきた勝ち点は47。県総合運動場に詰めかけた8千人を超すサポーターたちは、白星で残留を決めた選手たちの奮闘をたたえ、「3位以内に入ってアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)へ」とさらに上位を期待する声も上がった。 「無事進級できました」-。リーグ屈指の強豪ジュビロ磐田の終盤の猛攻をはね返し勝利を決めると、サポーターがJ1残留を祝う横断幕を掲げ、会場のボルテージは最高潮に達した。クラブ発足時から応援を続ける小城市の会社員大橋貴さん(34)は「正直ここまで活躍するとは…。いい意味で期待を裏切ってくれます」と喜びの声を上げた。 強豪がひしめくJ1の大舞台で、鳥栖はリーグ開幕前の“降格候補”という下馬評を見事に覆した。就任2年目の尹晶煥(ユンジョンファン)監督の下、守備からリズムをつくる自分たちのサッカー
サッカー・J1サガン鳥栖の尹晶煥(ユンジョンファン)監督(39)が来季も引き続き指揮を執ることが24日、分かった。近く正式に発表される。 尹監督は監督就任1年目の昨季、J2リーグ戦でクラブ記録となる16戦無敗を樹立。19勝12分け7敗(勝ち点69)で2位となり、初のJ1へと導いた。苦戦が予想された今季も、堅守をベースにしたサッカーで躍進。リーグ戦5試合を残し、11勝8分け10敗(勝ち点41)で、18チーム中9位と健闘している。 尹監督は、2002年の日韓ワールドカップで4強入りした韓国代表のメンバーで、96年のアトランタ五輪にも出場。サガン鳥栖では06、07年の2年間、選手としてプレーして現役引退。10年にヘッドコーチを務め、翌年監督に就任した。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く