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人物と歴史に関するkurokuragawaのブックマーク (13)

  • 黒田官兵衛と手塚某

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 16:34:03 ID:1keFmAl2 ある時、黒田官兵衛は手塚という男に下屋敷普請の奉行に命じた。 この手塚という男、心根は正直で真面目なのだが、ある欠点があり中々出世に恵まれなかった。 それを知っていた官兵衛が、不憫に思い大事の奉行に起用したのである。 そんなある日、広間で官兵衛が近臣と碁を打っていると手塚がやってきた。何事か言うつもりが、 「……ぁ…………」 実は手塚は生まれつき「どもり」で、しかも極度のあがり症であった。 その為初手から殆ど声が出ず、顔を赤らめあたふたするばかり。 そんな様を見ていた小姓や近臣はなにがなにやらと首をかしげてい

    黒田官兵衛と手塚某
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2011/01/09
    「播磨灘物語」大河ドラマにならないかな
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのがべられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…

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    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/08/28
    山村熊蔵についてもっと知りたい!
  • 上杉憲実、その忠義と苦悩

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/13(火) 00:08:13 ID:sdcRd+tu 書いてみた 上杉憲実と言う人がいる。 鎌倉公方、足利持氏の下で、関東管領を勤めていた人だ。 憲実は非常に有能で、かつ人望も深く、当に関東の要というべき人物であった。 彼の主君持氏は京の将軍、義教と対立を深めたが、憲実は京と関東の融和を心がけ、 持氏が暴発しないように、身をもって防いでいた。 が、将軍の位を求めていた持氏には、彼の存在が目障りでしかなかった。 いたたまれなくなった憲実は関東管領を辞任したが、対立は解消されなかった。 そして持氏は嫡男、賢王丸の元服にあたり、それまでの、将軍の諱一字を受けるという

    上杉憲実、その忠義と苦悩
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/04/14
    「人皆その風を望み、敬せざる無し。忽ち逝去を聞き、感すべき、慕うべきなり」憲実さんは渋いよね
  • ゲリラに弱かった瀬島参謀の思い出 - 北村隆司

    では、今から35年前に書かれた山崎豊子さんの「不毛地帯」のTVドラマが今ブレークしていて、特に若い世代の視聴者に人気が高いと聞かされました。主人公の壱岐正中佐のモデルとされる瀬島龍三氏は、私の伊藤忠時代の雲上人とは言え、直接接触があった方だけに、多いに関心を持ちました。 「不毛地帯」では伊藤忠社内の権力闘争がすさまじく描かれているようですが、どうも現実とは相当違っているようです。私は下々の社員でしたからあまり良く分かりませんでしたが、上層部に近かった私の元同僚は、下記の様に語っていました。 「当時の伊藤忠で、秘かに『N-S戦争』と呼ばれた確執があったのは事実だ。Sは瀬島副社長(当時)、Nは、TVに敵役で出てくる里井専務のモデルと目される機械部門担当の副社長のことだ。しかし、この両者の対立は、主として『現場主義』の考え方と『参謀主導』の考え方の相違から来るものだった。」 「TVでは壱岐さ

    ゲリラに弱かった瀬島参謀の思い出 - 北村隆司
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/02/04
    美化されてるはずのドラマを見ても壱岐がいけすかなくて辟易する
  • VIPPERな俺 : 坂本龍馬ってなにをしたの?

    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/01/06
    いろは丸沈没事件で紀州藩相手に強硬にネゴ(ゴネ)して多額の賠償金ゲット
  • 日本人初の宇宙飛行士は秋山豊寛氏である(もう一度、書いておこう) - 松浦晋也のL/D

    先ほど、録画しておいたNHK総合昨晩放送の「わたしが子どもだったころ」の毛利衛さんの回を見た。間違いを放送してしまっている。 ・「NHK 総合これまでの放送 わたしが子どもだったころ」 2009年10月19日(月) 『日科学未来館 館長・毛利 衛』  ディレクター 今関裕子(テレビマンユニオン) 日初の宇宙飛行士、毛利衛。宇宙の専門家として、また、日科学未来館の館長として科学後術の将来をロマンをもって語りかける。しかし、その少年時代は意外な姿だった。 前にも書いたが、日人初の宇宙飛行士はTBSの秋山豊寛さんである(1990年12月2日打ち上げの「ソユーズTM11」に搭乗)。 毛利さんは、旧宇宙開発事業団の最初の宇宙飛行士公募で選抜されて、1992年9月12日打ち上げのスペースシャトル「エンデバー」(飛行ナンバーSTS-47)に搭乗した。 なぜ今になってなお、この間違いがメディアに出

    日本人初の宇宙飛行士は秋山豊寛氏である(もう一度、書いておこう) - 松浦晋也のL/D
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2009/10/19
    これ本番ですか?
  • 天文22年、本多忠高の妻と息子・鍋之助を助けた少年

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    kurokuragawa 2009/07/19
    人望には理由がある
  • 三介殿、天下を語る

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    kurokuragawa 2009/07/15
    織田信雄と今川氏真は「武人とは全く種類の異なる生物」なのかw
  • 細川幽斎、秀吉に帰順の御礼を申し上げに現われ

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    kurokuragawa 2009/07/03
    さすが「生き方の名人」と司馬遼太郎に呼ばれた男
  • 細川忠興の家康評と分析・いい話

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 494 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/15(月) 14:32:29 ID:sXjvexJv 忠興の家康評と分析(1/2) 関ヶ原開戦を控えたある日。 清洲に在陣中の福島正則のもとへ 加藤嘉明、黒田長政、浅野幸長、細川忠興などが集まり色々グダグダだべっていた。 話が弾み、色々話題が巡る中、ふとしたことから秀吉と家康の比較が始まった。 「今回の上杉を討ちに内府が御出陣中、上方で謀反が起きた流れってなんかあれと似てないか? ほら、太閤様が中国で毛利とやりあってる最中に明智謀叛の報せが来た時」 「うん、似てるね。あの時太閤様はすぐに毛利と和議を結んで播磨に御帰陣。 すぐにお発ちになられて勝竜寺に向かい明智を

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    kurokuragawa 2009/06/16
    戦国時代最終王者の凄み
  • 木村重成、正使として・いい話

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 20:46:19 ID:D5Ebu+WX 流れを読まずに話投入。 木村長門守重成のお話 時は慶長19年の暮れ、大阪冬の陣が終わり、一時的に講和なった際のエピソード。 和議にあたり、秀頼の正使に任命された重成は、家康の許に赴いた。 重成が家康営の奥に通されると、玄関から廊下にかけて、 徳川家譜代の将士が威儀を正して、ずらりと左右に並んでいる。 重成はその真ん中を、まるで誰も見えていないかのように、 目礼のひとつもせず、まっすぐ正面だけを見据えて静かに歩いて行った。 譜代の将士達は、「あれが木村長門守か」「若造のくせに生意気な」「礼儀を知らんのか」 と互

    木村重成、正使として・いい話
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2009/05/31
    木村重成はやることなすことカッコいいなあ
  • 加藤清正の面接・悪い話

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/30(土) 00:46:37 ID:rEqSiNFW ある時加藤清正の下に奉公を望む、壮年、老人、若者の三人があった。 そこで清正は其々に、その志を述べさせた。面接ですね。 壮年は言う 『私は立身したいのです。そのため御当家に奉公を望みます。』 老人は言う 『私は年若く盛んな頃は、数度の功名もありましたが、今は年老いて他に望みはありません。 ただ御当家において、安心して一生を送りたいのです。』 最後に若者が言う 『私は若く、どんな事にでも役に立てる自信があります。それで御当家への奉公を望むのです。』 これを聞いた清正、この三人の前で語りかける。 「先ず最初の者、

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    kurokuragawa 2009/05/31
    実力主義「だけ」じゃ乱世を生き抜けない
  • 毛利隆元の意外に偉大なお話

    2ちゃんねる戦国時代板、「戦国ちょっといい話」 「戦国ちょっと悪い話」スレのまとめサイトです。戦国時代板  http://ikura.2ch.net/sengoku/ 708 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/05/19(火) 16:56:49 ID:iUFjJjsM ただせさえ、影の薄いさえない長男坊こと毛利隆元の意外に偉大なお話 毛利元就には、ご存知の3兄弟がいる。オヤジの戦国謀略大王毛利元就の子は 次男:負け知らずの吉川元春、三男:調略王子の小早川隆景、そして・・・・・ 影の薄さは日の一の長男、毛利隆元 である。とにかくこの男は影が薄い。手柄は立てるもオヤジが偉大すぎる。 軍を指揮するにも元春の方が有名だ。調略やれば隆景の口には絶対に負ける。 さて、毛利の尼子攻めもついに佳境に入り、増援が必要になったので隆元が援兵を 率いて向かった途中で和智誠春の饗応を受けた後に ぽ

    毛利隆元の意外に偉大なお話
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2009/05/20
    信用と人望は大事(人気と才能はあてにならない)
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