佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 今日の「技術史」の講義は、前回話題にした田中久重が一時期招聘されていた、佐賀藩の近代化過程の話。特に、幕末の藩主・鍋島直正(1814 - 71)が強力に推進した藩政改革において成し遂げられた西洋技術の導入過程を説明する。 佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 佐賀藩は、他の大名よりも過重な負担を幕府から与えられていた。それは「長崎警備」で、隔年交代で長崎港一帯の警備をさせられた。この職務を全うすることが、後の直正による藩政改革の強い動機となっていたことがこれまでも指摘されてきた。 佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 直正が生まれる前のことだが、文化5年にイギリス船が長崎に侵入して乱暴を働くフェートン号事件が起きた。この時の警備担当は佐賀藩。警備怠慢を幕府に咎められて、藩主以下多くの人が処罰対象となった。藩全体にその雪辱を果たす雰囲気があったらしいこと
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