大学生時代に帝銀事件の死刑囚・平沢貞通氏の無実を訴え、再審請求を続けていた森川哲朗氏の講演を聴いたことがある。重病に冒され余命は限られていると聞いていたが、平沢氏の冤罪を晴らし、獄中から救い出そうとする執念に打たれた。その後、森川氏の『獄中一万日 追跡帝銀事件』(図書出版社)も読み、帝銀事件の背後にある闇の深さを教えられ、冤罪や権力犯罪に関心を持つきっかけの一つとなった。 今年、足利事件が冤罪であったことが明らかになり、菅家氏が釈放された。テレビの年末回顧でも、菅家氏の記者会見や栃木県警の本部長が謝罪する場面などが再び流れている。テレビや新聞、雑誌などを通して私なりに注目してきたのだが、森川氏の講演を聴いた30年前から現在まで、冤罪を生み出し続ける日本の警察、司法の問題は何も変わっていないと認識せざるを得ない。 裁判員制度が導入されるに当たって、冤罪を防ぐためにということで取り調べの可視化
buyobuyoさんのエントリで『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(小林篤、講談社文庫)の文庫版解説をあずまんが書いているということを知って、押っ取り刀で書店へ。最初に行った書店(結構大きめの)で在庫切れだったのでちょっと遅れたけれども本日読了。解説まで含めて。 さて、ぼくは決してノンフィクションのよい読者ではない。職業柄小説や思想書はよく読むが、国内の犯罪を扱ったルポルタージュとなると、半年に一冊も読めばいいほうだ。 (520-521頁) そりゃあそうでしょう。なにしろ「『公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない』と随所で主張している」ところの「ポストモダニズム系リベラルの理論家」であるわけですから。 (・・・)小林氏はそこで丹念な取材を積み重ねることで、菅家氏の生活や家族構成、職場、経歴、発言そのほか、つまりは彼の人生そのものが、周囲の視線にとっていかに「怪しい」ものに見えた
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