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念仏に関するmaemaemaemaeのブックマーク (13)

  • 一遍上人の教え - 時宗総本山 遊行寺

    宗祖一遍上人は亡くなられる直前、所持していた経典を書写山円教寺の寺僧にお渡しになり、その他の書物は『阿弥陀経』をお読みになりながら、焼き捨てられました。50年のご生涯で一冊の著書も残そうとはされず、ひたすら全国を遊行し「南無阿弥陀仏」の念仏札を人々に配る旅を続けられました。 一遍上人の教えはのちに時衆(一遍上人に付き従っていた人々)がまとめた国宝『一遍聖絵』、『一遍上人縁起絵』、『一遍上人語録』など、限られた史料の中に見出すことができます。 この『一遍上人語録』の中に、一遍上人が追慕されていた空也上人(市聖と呼ばれ京都を中心に活躍された平安時代の僧)のお言葉を引き合いに出された法語があります。 この法語では、「捨てる」をキーワードに念仏する時の心構えを説かれました。

  • 『正信偈』と『御文章』(字幕入り)

    浄土真宗では、朝晩の勤行で親鸞聖人の書かれた『正信偈(しょうしんげ)』と蓮如上人の『御文章』を拝読いたします。 『正信偈』は漢字ばかりで書かれてありますので、お経だと思っておられる方も多いようですが、『正信偈』はお経ではありません。 お経は、お釈迦様の説かれたことを書き残したものを言います。 『正信偈』は親鸞聖人が書かれたものですから、お経とは言わないのです。 『正信偈』には、親鸞聖人の90年の教えのすべてがおさまっています。 その親鸞聖人の教えられたことを正確に、多くの方に伝えられた方が蓮如上人です。 『御文章』には、親鸞聖人の教えられたこと以外、書かれてありません。 朝晩、親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章』を拝読することは、親鸞聖人、蓮如上人から教えを聞かせていただく大切なご縁なのです。 正信偈の意味を学びたい方には、下記のサイトでご案内をしております。 http://

    『正信偈』と『御文章』(字幕入り)
  • 帰命無量寿如来

  • 讃仏偈 浄土真宗本願寺派

    maemaemaemae
    maemaemaemae 2017/06/01
    字幕あり
  • 讃仏偈 浄土真宗本願寺派(西本願寺) お経 独詠

  • お経の名前:重誓偈(じゅうせいげ)

    お経の名前:重誓偈(じゅうせいげ) お経の時間:5分くらい このお経を唱える時: 弘宣寺の納骨堂で、お参りの時に唱えます。 毎朝、自分の家の仏壇にお経を唱えたい人は、このお経は時間が短いのでおすすめです。 このお経の唱えかた: 1、唱えかたは、棒読みです。ひらがなの部分を声に出して唱えてください。 2、鐘は、お坊さんが唱える時は、お坊さんがやります。自分だけの場合は、自分で鐘を鳴らしてください。 3、「お坊さんのみ」の部分は、自分だけで唱える場合は、全部唱えてください。 4、「*ここは...」と、*マークの後にある言葉は、読みかたのアドバイスです。お経ではないので、この部分は唱えないでください。 それではスタートです。 両手を合わせて「ナマンダブツ」と3回言い、その次に両手を合わせたまま、礼をします。 鐘2回 我建超世願  がごんちょうせいがん          *ここは、お坊さんのみ。

  • お経の名前:讃仏偈(さんぶつげ)

  • しんらん交流館HP 浄土真宗ドットインフォ | 真宗大谷派による浄土真宗のポータルサイト

    【原文】 帰 命 無 量 寿 如 来 南 無 不 可 思 議 光 【読み方】 無量寿如来〈むりょうじゅにょらい〉に帰命〈きみょう〉し、 不可思議光〈ふかしぎこう〉に南無〈なむ〉したてまつる。 「帰命」と「南無」とは同じ意味で、ともに「敬い信じて順う」ということでありました。前回申し述べた通りです。また「無量寿如来」と「不可思議光」とは、いずれも「阿弥陀仏」のことであって、「無量寿如来」は阿弥陀仏の「慈悲」を、「不可思議光」は阿弥陀仏の「智慧〈ちえ〉」を、それぞれ表わしているということも申し述べました。 そうしますと、「帰命無量寿如来〈きみょうむりょうじゅにょらい〉」(無量寿如来に帰命し)ということ、そして「南無不可思議〈なむふかしぎ〉光〈こう〉」(不可思議光に南無したてまつる)ということは、結局、「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏に南無したてまつる)ということと同じことになるわけです。「阿弥陀仏を

    しんらん交流館HP 浄土真宗ドットインフォ | 真宗大谷派による浄土真宗のポータルサイト
    maemaemaemae
    maemaemaemae 2017/05/03
    名号について
  • お経の名前:仏説阿弥陀経(ぶっせつ あみだきょう)

  • 浄土真宗聖典|山寺

  • WikiArc:浄土真宗聖典目次 - WikiArc

    生きることに意味があるように、死ぬることにも意義がある、と説くのが往生浄土の真宗です。その据わりは親鸞聖人の『教行証文類』です。 ※➡ 「隠/顕」 宗教とは、宗と教え、また、宗の教えの意で仏教のもろもろの教え、あるいはその中の一つを指していう。それは自らの存在の意味を確認しようといふ「存在理解の枠組み」でもあった。この種々の仏教の中で、浄土真宗は大人の宗教だといわれる。梯實圓和上は、それを、 浄土教というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛欲や憎悪の煩悩を起こし、人を妬(ねた)んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる、そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始まるのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。 そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そん

  • 『仏説阿弥陀経』(現代語訳) - 明順寺 mjj.or.jp

    波宇山 明順寺(みょうじゅんじ)は真宗大谷派の寺院です。 山は京都の東願寺。宗祖は親鸞聖人。浄土真宗「南無阿弥陀仏」の教えです。 中国、姚秦の時代、中央アジアの亀茲国出身の訳僧鳩摩羅什が弘始四年(AD四〇二年)、姚興帝の命によって漢訳しました。 このように私、阿難はお聞きしました。 ある時、釈尊がコーサラ国の祇園精舎で出家の高弟、その数一二五〇人の方々とご一緒でした。これらの人びとは皆、最高のさとりを開いて、世の中の尊敬と供 養をうけておられました。なかでも高名なのは長老の舎利弗。この方は智慧第一。その親友で神通力第一の大目連。釈尊亡き後の指導者となった大迦葉。論議第 一の大迦旋延。問答第一の大倶?羅。舎利弗の末弟で禅定に徹し少欲知足の修行をした離婆多。一詩句もおぼえられなかったような生来の愚かさにもかかわらず さとりを開いた周利槃陀伽。釈尊の異母弟で容姿端麗、愛欲の苦悩に克った難陀。

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