sumita氏の「専門知への不信」、それともただの無関心?」に触発され、少し「専門知」と「日常知」との関連について触れてみたいとおもう。 専門知への不信」が存在するというのは別に悪いことではなく、とても健全なことだ。日常生活者から見れば、何であれ「専門知」は奇異なものだからだ。そこで批判とか突っ込みが行われる。これは哲学的思惟や歴史学的遡行へと深化される可能性がある。 あいかわらず適切な指摘内容と手際の良い提示の仕方だとおもおう。 ただ、「専門知」と「日常知」との関連を主題化するならば、どうしても触れておかなければならない問題群があるとおもう。 それが「メリトクラシーmeritocracy」だろう。 むろん、こうした「社会編成原理」を問題にすることで、「知」の等高線という社会的な「知の分配地図」がみえにくくなるという、新たな問題性も浮上することになる。だから、あえてこのモメントを視野に入れ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く