さて、現代社会は神学者も含めて、悪魔の存在を認めたがりません。 やっぱ、ちょっと抵抗感ありますよね、悪魔がいるてなことを断言するのは。 しかし、歴史学者J・B・ラッセルはこの傾向を批判し、何人もの文学者たちの作品、文章を引用しつつ、悪魔という実存を認めるべきことを語っていきます。(ここが面白い。) ペトル・ドゥミトリウ(ルーマニア人の亡命作家)は「現代人が悪魔の存在を否定するのは責任回避」と語った。 決定論的な悪の弁解こそ悪魔の喜ぶ命題である。次に悪魔が喜ぶのは、我々が自分の悪をスケープゴートに投影して、自分の責任を回避することである。罪悪感が強すぎて、恵みと変化の望みにたいして心を閉ざすこともそうだし、悪が複雑になりすぎて解決できず、破壊から愛に転換するという単純な決心ではなく、ややこしい軍備縮小計画つきの核戦争に接近するのもそうである。(347p) 単純に対して複雑。これは一つの鍵みた