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東浩紀氏の「東浩紀の渦状言論」とfinalventさんの日記(「東浩紀さんへの返信」など)で少し議論が始まりかけて、そしてなんだか「読者に判断を委ねる」というところで納まってしまったようです。 ポイントはナショナリズムと全体主義、そして反ユダヤ思想やアウシュビッツの関係の問題に集約されるというところは御両者が語られている通りだと傍からも見えます。 東氏は上記リンク先の記事の「追記」で どうしよう、アーレントとかラクー=ラバルトとか参考文献に上げるべきなのか? とりあえずはfinalventさんが信頼するウィキペディアにも、「ナチズムの特色は、特にその民族の概念にみられる。ナチ党の「血と大地」「血の純潔」「ゲルマン民族の優秀性」という民族概念は、国内的にはユダヤ人排撃の思想となり、対外的には他民族を侵略してその支配下に置かんとする軍国主義を正当化する思想となった」って書いてあります。そんなこ
広島弁護士会の敗訴確定 「面会配慮の義務なし」 人権救済の調査を目的とした受刑者への面会を広島刑務所が拒否したのは違法として、広島弁護士会が国家賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第三小法廷は十五日、「親族以外からの面会申し入れに対し、刑務所側が配慮すべき法的義務はない」と判断。六十万円の賠償を命じた広島高裁判決を破棄し、請求を棄却した。弁護士会の逆転敗訴が確定した。 地域・写真ニュース | 中国新聞アルファ 中国新聞が要約したとおり、身も蓋もない判決になりました。 刑務所が面会を認めようと認めまいと、外の人間がガタガタいうんじゃない、というのが最高裁の論理です。最高の裁判所でまさに最低の判決。どうもありがとうございました。 この事件で、いかに広島刑務所の対応がいい加減だったかについては、広島高裁が刑務所長を法廷に呼んで尋問するなど、丁寧な判断をしていただけに、この落差には目を覆いたくな
最判平成20年4月14日(PDF全文) 民法263条は,共有の性質を有する入会権について,各地方の慣習に従う旨を定めており,慣習は民法の共有に関する規定に優先して適用されるところ,慣習の効力は,入会権の処分についても及び,慣習が入会権の処分につき入会集団の構成員全員の同意を要件としないものであっても,公序良俗に反するなどその効力を否定すべき特段の事情が認められない限り,その効力を有するものと解すべきである。 この判決には二人の裁判官が反対意見を述べており、きわどい小差であった。 そして、慣習といっても、事実認定としても、また組合員の総有財産を失わせるような処分には全員の同意が必要と解すべきであるというのが、少数意見の趣旨である。
さて、現代社会は神学者も含めて、悪魔の存在を認めたがりません。 やっぱ、ちょっと抵抗感ありますよね、悪魔がいるてなことを断言するのは。 しかし、歴史学者J・B・ラッセルはこの傾向を批判し、何人もの文学者たちの作品、文章を引用しつつ、悪魔という実存を認めるべきことを語っていきます。(ここが面白い。) ペトル・ドゥミトリウ(ルーマニア人の亡命作家)は「現代人が悪魔の存在を否定するのは責任回避」と語った。 決定論的な悪の弁解こそ悪魔の喜ぶ命題である。次に悪魔が喜ぶのは、我々が自分の悪をスケープゴートに投影して、自分の責任を回避することである。罪悪感が強すぎて、恵みと変化の望みにたいして心を閉ざすこともそうだし、悪が複雑になりすぎて解決できず、破壊から愛に転換するという単純な決心ではなく、ややこしい軍備縮小計画つきの核戦争に接近するのもそうである。(347p) 単純に対して複雑。これは一つの鍵みた
やばいことに、瞬間的にただ今私は『オーメン2』にはまってます。 10代の頃、ダミアン君にはまってたからなあ(^_^;)。 私のRFK好きをご存知の方は、わたしが何かにはまるとどうなるかをよく分かっておられるでしょうが、かなりすごいことになります。自分でもそれはよく自覚している。 しかし、こんなものにはまってエネルギーを費やすのはももったいないという理性は働いてますので、どうせならこれまで読むのをためらっていた本を読むのにこのエネルギーを使おうと思いまして、読み出したのがJ・B・ラッセルによる悪魔の概念史に関する研究本。 恐ろしいことに、四部作。大作です。 悪魔―古代から原始キリスト教まで 作者: J.B.ラッセル,野村美紀子出版社/メーカー: 教文館発売日: 1995/07メディア: 単行本 クリック: 6回この商品を含むブログ (1件) を見る サタン―初期キリスト教の伝統 作者: 野村
自死という生き方―覚悟して逝った哲学者 作者: 須原一秀,浅羽通明出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2008/01メディア: 単行本購入: 9人 クリック: 270回この商品を含むブログ (46件) を見る 以下の書評を共同通信配信で書いて、地方紙に掲載された。この本の内容が傑作というわけではないし、内容に全面賛同するわけでもない(葉隠称揚など)が、著者が自殺を肯定し、本書を書き、それを実践して自死したという事実そのものが突きつける衝撃を私なりに受け止め、読者に紹介したいと思った。 こういう内容なので、すでに各紙に書評が出たりコメントが出たりして、話題になっているのだと思っていた。新聞広告も何度が出ていた。昨日、共同通信の担当者から掲載誌が送られてきたのだが、担当者が言うには、読売、朝日など全国紙やブロック紙には、本書の書評はまったく掲載されず、新聞に載った書評は私の書いた以下の書評一本
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