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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (79)

  • どうして曾孫は映画化されないのかとか - Living, Loving, Thinking, Again

    近藤康太郎「福沢諭吉の実像とは 自由と平等唱え、アジア蔑視発言も」http://book.asahi.com/booknews/update/2013012200004.html 「アジア蔑視発言」に関しては、これまで福沢諭吉のものだとされてきた「アジア蔑視」というか鷹派的な言説は福沢自身のものではなかったという考証もある筈だが、それは何故か無視されている。ところで太平洋戦争中の昭和17年(1942)に発表された丸山眞男の「福沢諭吉の儒教批判」(『福沢諭吉の哲学』所収)では、 (前略)攘夷主義乃至排外主義に対しては終始一貫抗争した諭吉も、対朝鮮・支那の外交問題に関しては是また終始一貫、最強硬の積極論者であった。この二つの表面的には矛盾する態度を諭吉の心裡に於て一つの統一的な志向にまで結び付けていたものが外ならぬ彼の反儒教意識であったということは注意されていい。諭吉が我国に於ける攘夷排外の気

    どうして曾孫は映画化されないのかとか - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「弁護士だから」? - Living, Loving, Thinking, Again

    「橋下独裁批判をする人は「独裁」を正しく理解しているか疑問」*1と題する橋爪大三郎*2の橋下徹擁護はやはり酷いものだといえる。何よりも無内容なくせにエラそうな上から目線の語り口がよくない。 橋下氏が仮に国政に打って出て、絶大な人気を得たとしても、独裁者のようになる可能性はないだろう。なぜなら彼は、弁護士だからだ。 弁護士は、「ひとの話を聞き」、「ひとの利益を考え」、それを実行するための「法律的手段を考える」のが仕事で、橋下氏もそれをやってきた。 というのには笑ってしまうしかない。弁護士出身の独裁者としてはロベスピエールという有名人がいまっせという突っ込みは誰でもが思いつくことだろう*3。また橋下の「弁護士」活動がどういうものだったのかは(例えば)中島岳志氏の「橋下徹の言論テクニックを解剖する」*4とかが参考になるのでは? ところで、「独裁(dictatorship)」については僭主政(ty

    「弁護士だから」? - Living, Loving, Thinking, Again
    microtesto
    microtesto 2012/06/23
    社会学者さんだしこんなもん
  • 〈ナマポ〉叩き(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    の藝人、河準一へのバッシングから始まった生活保護制度や生活保護制度利用者に対するバッシングについて何かしらのコメントをしようしようと思いつつしていなかった*1。まあ一方で片山さつき*2だの世耕弘成だのといった政治屋どもの暗躍や自民党や民主党といった政党の都合、他方でバッシングを煽られ・煽っているオンライン/オフラインの大衆の存在を考えるべきなのだろう。 既に話のネタとしては旬ではなくなっているかも知れぬが、このトピックについて私が読んだテクストを列挙する(少々ランダム)。 「片山さつきがWiLL文化人になっていた」http://d.hatena.ne.jp/nessko/20120527/p2 有村悠「よく見よう&見えすぎちゃって困るの、生活保護」http://lunaticprophet.org/archives/13044 松永英明「河準一氏叩きで見失われる当の問題」http

    〈ナマポ〉叩き(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • シバキ主義がうまくいった験しはない(by Ha-joon Chang) - Living, Loving, Thinking, Again

    Ha-joon Chang “Austerity has never worked” http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/jun/04/austerity-policy-eurozone-crisis 日では、シバキ主義的風潮は(例の〈ナマポ〉叩きに見られるように)文化大革命的雰囲気さえ伴っているらしい。 韓国系の経済学者Ha-joon Chang氏は、シバキ主義は歴史的に見てもうまくいった験しがないという; It is increasingly accepted that these policies are not working in the current environment. But less widespread is the recognition that there is also plenty of histo

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  • 「一般意志」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20120308/p1 ジャン・ジャック・ルソーの「一般意志(volonté générale)」の意味が問題になっているようだ。そこで、『社会契約論』第2編第3章「一般意志は誤ることがありうるか(Si la volonté générale peut errer)」の井上幸治訳(中公文庫)と仏語原文*1を見てみた。曰く、 全体意志と一般意志には、しばしば多くの差異がある、一般意志は共同利益にしか注意しないが、全体意志は私的利益を注意するもので、特殊意志の総和にすぎない。しかし、この特殊意志から、相殺される過剰の面と不足の面を除去すれば、一般意志がその差の合計として残るのである。(p.41)ルソーの謂う「一般意志」って

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  • 企業としての社会? - Living, Loving, Thinking, Again

    「妄想上のネオリベラリズム」http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20111123/1322058697 曰く、 私のイメージしていたリベラリズムとは、人々の価値観が多元的であることを前提として、それらが共存できるゆるい枠組みを微調整しながら維持していくという、すこぶる保守的な自由主義である。ところが、どうやらネオリベラリズムは経済活動の自由以外の自由は斬り捨ててかまわないとする排他的な価値一元主義のようだ。これは保守的な私にはまともなバランス感覚を欠いた偏狭な態度であるように感じられる。 彼らは、競争原理を強調し、弱肉強を是とする以上、最大多数の最大幸福ではなく、最小少数の最大幸福を目ざさざるを得ないから、鋭角ピラミッド型の階級社会を理想としているわけだ。ただ、近代以前の階級制度が血統や名誉なども重視して組み立てられていたのに対して、ネオリベラルな階級社会は

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  • 早川語録 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 「早川由紀夫教授ツイートの 問題について/Skeptic's Wiki」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/df8585e06195e80d2a8a93b1197265a4 See also http://skepticswiki-jp.org/wiki.cgi?page=%C1%E1%C0%EE%CD%B3%B5%AA%C9%D7%A1%A1%A1%CA%C5%EC%C6%FC%CB%DC%C2%E7%BF%CC%BA%D2%A1%CB まさに〈早川語録〉。赤いポケット・ブックになるのだろうか。 ざっと目を通してみて、古寺多見氏の 一連の早川のTweetについて、早川が当に主張したいことは、放射性物質の拡散を止めろということであり、それ自体は正論だとする反論がある。しかし、それなら福島の農家に対する非難を強調することは逆効果であり、早川

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  • 宗教としてのマルクス主義(Ernest Gellner) - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 Ernest Gellner “Religion and the profane” http://www.eurozine.com/articles/2000-08-28-gellner-en.html (宗教としての)マルクス主義の衰退について語っている部分。 先ず、蘇聯崩壊後に明らかになったことは、実は〈信者〉(〈主義者〉)が殆どいなかったということである。「特権」(利権)にしがみつく奴はいても「教義」にしがみつく奴はいない。何故か。ゲルナーはマルクス主義の思想としての特性及び系譜に言及する; What undid Marxism is not its secularism, but on the contrary, its pantheism that it inherited from Spinoza through Hegel. The basic Messianic

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  • Salmaan Taseerが殺されて - Living, Loving, Thinking, Again

    昨日埃及における宗教的不寛容の蔓延についてちょっとメモしたのだが*1、パンジャブ州のSalmaan Taseer知事が自らのボディガードであるMumtaz Qadriに殺された事件の背景及び事件に対する国内の反応を見てみると、パキスタンの状況も相当やばいものだということを今更ながら思う。Mumtaz Qadriが原理主義思想にはまっていたというのはいうまでもないが、世俗政党が一致して今回の事件を糾弾しているのに対して、宗教政党や主流の宗教組織はMumtaz Qadriの行為を〈義挙〉として賞賛し、インターネットではMumtaz Qadriのファン・サイトが続々と誕生している。パキスタンにおいて、不寛容な原理主義は既に〈周縁〉的な地位を脱して、〈主流〉に近い場所に移動しているということになる。 以下、関係記事を列挙; Declan Walsh “Salmaan Taseer: princip

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  • 破門解けず - Living, Loving, Thinking, Again

    ELLEN BARRY and SOPHIA KISHKOVSKY “For Tolstoy and Russia, Still No Happy Ending” http://www.nytimes.com/2011/01/04/books/04tolstoy.html 昨年はレオ・トルストイの百回忌だったが、露西亜では派手な記念行事はなかった。アントン・チェーホフの生誕150周年は派手に祝われたのに。何故露西亜はトルストイに冷たいのか。それは蘇聯時代への反動、蘇聯崩壊後の正教会の権威の復興が関係している。正教会は1901年にトルストイを破門している。昨年の11月に、露西亜連邦元総理のSergei V. Stepashin氏は正教会宛にトルストイ破門を解くことを乞う嘆願書を出したが、正教会は拒否した*1; The church’s letter of response, publishe

    破門解けず - Living, Loving, Thinking, Again
  • プロテスタンティズムと仏教(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101204/1291472573やhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101221/1292961164に関連して、磯前順一「近世「仏法」から近代「仏教」へ」(『春秋』522、pp.1-4、2010)から少し抜書き。 「今日われわれが口にする「仏教」という言葉は、仏法や仏道といった近世的な認識布置から、”Buddhism”という西洋近代的な宗教概念への転換が暗黙の前提とされているのである―― ここで言う近代とは、江戸時代までの中国・朝鮮・オランダのみと制約したかたちのでの交流とは異なって、西洋列強の帝国主義競争のなかに包摂されていった時代をさす。そのなかで宗教という、諸宗教を包摂する概念が異文化の接触する状況のなかで必要とされるようになり、同時にその構成要素として組み込まれたキリスト教、仏教、

  • 「共同体主義」? - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20101014/p1 これはhttp://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-programやhttp://mojix.org/2010/10/14/left-and-rightに対する反論として書かれているのだけれども、「ナチス躍進はその社会主義政策が国民に受けたからというわけでは必ずしもな」く、「ナチスの特徴とは、どのような階層かに関らず幅広く票を集める、いわばワイマール期唯一の国民政党であったこと」であり、「1920年代における社会の急速な大衆化、そして1929年の大恐慌。その中で従来の政党では回収できなくなった人びとを、ナチスは吸収していったのです」ということはその通りなのだろうと思う。まあ最新の歴史研究を参照しなくとも、既にエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』*1ではナチス

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  • 金子洋一問題(取り敢えずメモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://blog.guts-kaneko.com/2007/06/post_298.php(Cited in http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100820/p3) 「米国下院で可決された従軍慰安婦決議」*1について曰く、「日にいわれのない謝罪を求めるこの従軍慰安婦決議は、米国民主主義の歴史に汚名を残したものです」と。金子洋一が歴史修正主義者の一味であることはクリアになった。さて、私は一度だけ金子洋一について肯定的に言及している*2。伊藤隆敏氏の日銀副総裁選出を民主党が拒絶したということがあって、金子洋一が経済学的にはまっとうな根拠で自らの党の方針に逆らって伊藤氏を擁護したということがあったからだ。その時点で、金子の「従軍慰安婦」を巡る発言はチェックしていなかった。知っていたら、何らかの但し書きを付していただろう。勿論、金子の日銀副総裁問題についての発言

    金子洋一問題(取り敢えずメモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    microtesto
    microtesto 2010/08/27
    この辺落しどころじゃないですかね
  • 「神様が気付いてくれなかった」 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 『読売』の記事; 「石は神様気付かない」消火器投げ込み男、再逮捕 大阪、兵庫など4府県でプロテスタント系教会や付属施設に消火器などが相次いで投げ込まれた事件で、大阪府警捜査1課は23日、無職池田康政容疑者(29)(逮捕)を、別の教会に対する器物損壊容疑で再逮捕した。 池田容疑者は、既に計72件の犯行を認めており、「初めは石を投げ入れていたが、神様が気付いてくれなかったので、(消火剤が噴霧する)消火器を使った」などと供述。大阪地検は同日、1件目の事件について処分保留とし、近く正式な精神鑑定を行う方針。 発表によると、池田容疑者は、4月27日午前5時頃、大阪市此花区のプロテスタント系教会に併設された保育園に消火器を投げ込み、窓ガラスを割った疑い。 (2010年7月23日19時21分 読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/201007

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  • 世代の差異? - Living, Loving, Thinking, Again

    Geheimagentさん、小室哲哉系の音楽を巡って曰く、 特に『globe』は、日音楽業界の最盛期のイケイケ感を幻覚させてくれるようで最高です。このアッパーな多幸感といったら、どんな懐メロよりも強度がありそう。しかし重要なのは、この幻覚を誰かと共有できる、ということなのでしょう。もしかしたら、いろんな意味で脚光を浴びている「ゆとり世代」には、この感覚が共有できないかもしれない……そう思うとちょっとした優越感さえ湧いてきます。この幻覚を共有できることが、iPodでもなく、Youtubeでもなく、テレビのスピーカーから小室サウンドが聞こえてきた時代を知るものの特権なのです。 http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20091230/p2 俺も一応「テレビのスピーカーから小室サウンドが聞こえてきた時代を知るもの」だけれど。以前、 小室哲哉には全然思い入れはない。

    世代の差異? - Living, Loving, Thinking, Again
    microtesto
    microtesto 2010/01/05
    1994-1996とかジャスト中高生だったけど中二病が憎悪し過ぎてて邦楽は記憶にも無いんだな。多分HelloweenとかYngwieが置き換わるのかな僕の場合、Eagle Fly FreeとかCarry Onを口ずさんではファックって呟いてたなあ
  • 2つの議会主義(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    明治デモクラシー (岩波新書) 作者: 坂野潤治出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2005/03/18メディア: 新書 クリック: 13回この商品を含むブログ (26件) を見るhttp://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20091227/1261858149を読んで、坂野潤治『明治デモクラシー』の一節を思い出したので、以下ちょっとメモ。 坂野によれば、「明治デモクラシー」の二大潮流は、議院内閣制・二大政党制論(福沢諭吉、徳富蘇峰)と主権在民論(植木枝盛、中江兆民)ということになる。 明治一三、四年の自由民権運動の最盛期に、植木枝盛ら愛国社グループは、ルソーの『社会契約論』に学んで、拒否権型議会主義とでも言うべき主張を確立した。議会の多数を握って「主権在民」の実現をめざすが、行政権たる政府は握らないという立場である。この立場は(略)ルソーの「定期人民大会」を、議会に

  • 祖父の罪 - Living, Loving, Thinking, Again

    批評空間 (第2期第4号) 京都学派と三〇年代の思想 出版社/メーカー: 太田出版発売日: 1994/12メディア: 単行購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (7件) を見る 浅田彰と柄谷行人による久野収へのインタヴュー「京都学派と三〇年代の思想」(『批評空間』II-4、pp.6-33、1995)を久しぶりに読んでみて*1、少しメモ。 久野収曰く、 ぼくの大学に入った年は、昭和六(一九三一)年、満州事変が起こった年です。そして、ぼくの大学三年の年一月に、凶暴なヒトラーがドイツの政権を獲得し、五月に日リベラル政治的敗北だった京大事件が起こった。ぼくの思想的生活は、ヒトラーの政権獲得と京大事件によって決定されたわけです。(p.6)「京大事件」とは、京都大学法学部教授、滝川幸辰が法学部教授会の同意なしに、文部省(正式には天皇が招集した「文官任免委員会」)によって強制罷免さ

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  • 「漢字廃止運動」(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2009/11/_php_2.html(Via http://d.hatena.ne.jp/jiangmin-alt/20091204/1259855713) 加藤弘一氏曰く、 幕末から1980年代まで漢字廃止運動という妖怪が日を跋扈していた。戦前は「我が国語文章界が、依然支那の下にへたばり付いて居るとは情けない次第」(上田萬年)というアジア蔑視をともなう近代化ナショナリズムが、戦後は漢字が軍国主義を助長したという左翼の神話(実際は陸軍は漢字削減派だった)が運動のエネルギー源となり、実業界の資金援助を受けてさまざまな実験がおこなわれた(キーボードのJISカナ配列はその名残である)。 1946年に告示された1850字の漢字表が「当用」漢字表と呼ばれたのも、いきなり漢字を全廃すると混乱が起こるので「当

  • グールドがしかとされて? - Living, Loving, Thinking, Again

    http://blog.tatsuru.com/2009/12/08_1204.php 「辺境」*1ネタの一環として、内田樹氏曰く、 私はほんとうに受け売りだけでご飯をべているようなものである。 しかし、この「受け売り屋」というありようを私は日の知識人の態的なかたちではないかと思っているのである。 「外来の知見」に「ほほ〜」と仰天し、それを換骨奪胎加工調味して「ぱちもん」を作り、廉価で読者のみなさまに頒布する。 業にお忙しくて、なかなかむずかしいにまで手が回らない人々のために、『千早ぶる』の大家さんのようなリーダブルな解釈を加える人たちがそこここにいるという社会は珍しい。 私などは『千早ぶる』の解釈を専業にした「大家さん」のようなものである(「大家」さんはちゃんと店賃の取り立てとか、店子の夫婦げんかの仲裁とかしているけれど、私はそれもしていない)。 こういう業態はヨーロッパのよう

    グールドがしかとされて? - Living, Loving, Thinking, Again
    microtesto
    microtesto 2009/12/14
    原典・英訳・邦訳なら英訳読むのが一番C/Pいいなと感じる(特に思想系)/難しくないと有難くないメンタリティとか難しくないと尊厳が保たれない問題があるんだろうね多分、あと訳者が理解してないってのもありそう
  • 「チェリー」? - Living, Loving, Thinking

    承前*1 大衆音楽史―ジャズ、ロックからヒップ・ホップまで (中公新書) 作者: 森正人出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2008/08メディア: 新書購入: 2人 クリック: 31回この商品を含むブログ (31件) を見る ローリング・ストーンズのロン・ウッドが40歳以上年下のガールフレンドと痴話喧嘩の末、彼女を殴って逮捕されたということで*2。 森正人『大衆音楽史』には「間違いやおかしな表記が多すぎるんですよね」というコメントをいただいている*3。ロン・ウッド逮捕がきっかけというか、ストーンズ絡みで、ちょっとこれはひどいミステイクをメモしておく。 白人によるレゲエの受容を巡って曰く、 レゲエがロックやポップスの聴衆に広く知られ始めるようになるのは、一九七〇年代中ごろだった。ビートルズ(「オブラディ・オブラダ」)、ローリング・ストーンズ(「チェリー」「オー・ベイビー」)、ポール・

    「チェリー」? - Living, Loving, Thinking