2003年3月20日に開戦したイラク戦争から今日で4年。イラク戦争終結後の2003年5月1日、イラク人支援のために入国し、一時は拘束された経験を持つ高遠菜穂子さんにオーマイニュースはインタビューし、イラクの現状について語ってもらった。 ■4年前を振り返って■ ――みんなの記憶から消えているイラク戦争を振り返るために、2003年に高遠さんが見てきたものを語っていただけますか。 初めてイラクに入ったのは2003年5月1日で、その日はアメリカのブッシュ大統領が「大規模戦闘終結宣言」を発表した日です。厳密に言うと、その前日の夜中、4月30日の夜中に、隣国のヨルダンのアンマンを出て、朝方、国境に着きました。そこからどんどん東に向かっていくわけですが、そのときは、日本人の方3人と私、4人で行きました。 国境は一応、米兵がイラク側にいました。国境を数回行き来しましたが、1回目のときは、さすがに米兵がチェ
エラー内容 以下のいずれかの理由により、該当するコンテンツを表示することができませんでした。 コンテンツの公開が終了した。コンテンツが削除された。 指定したURLが間違っている。その他、やむをえない事情があった。 ご不便をお掛けして申し訳ございません。 何卒よろしくお願いいたします。 イザ! イザ!トップへ戻る
このエントリの続き。朝日の報道への反応(例えばこことかこことかこことか)を見ていると「そういえば朝日の報道も、事情を知らない人にとっては不親切といえば不親切かも」とも思ったので、昨日のエントリへの追記部分を敷衍しておく。 まず1月8日の朝日の報道に欠けているのは、日中戦争における陸軍*1の「捕虜政策」、というより捕虜政策の欠如の解説である。1937年に日中双方とも宣戦布告をしないまま実質上の戦争状態に突入した後、1941年12月の日本の対英米開戦を受けて中国は日本に宣戦布告を行なう。日本側も1937年に遡って「大東亜戦争」と呼称するようになったわけだが、他方で当時の日本は国民党政府を否認し、(報道された文書が作成された43年の時点では)汪兆銘(精衛)の南京政権を「中国を代表する政権」と見なしていたわけで、日本側の主観によれば日中間に法的な戦争状態はなかったことになる。それゆえ、陸軍は中国軍
【Xバンドレーダー】FBX-T2号機、米ミサイル防衛局に納入。早速、日本に配備の打診。あと朝日新聞の印象操作記事。| Main | 徴兵制についての理解はここまで広まりました>> 無防備宣言運動を推進する人達の言い分に、「軍隊を持たない国が他国から攻撃を受ける筈が無い」というものがあります。自国に軍隊があるからこそ他国は疑心暗鬼になって危険になるのであり、軍隊が無ければ他国は安心して攻めて来ないだろう、という主張です。 しかし現実には軍隊の存在しない国に対して武力侵略が試みられた例が存在します。それも国内の裏切り者が外国勢力を手引きして行われたクーデター行為、つまり外患誘致と呼ばれる方式でした。 1988年11月3日、モルディブ共和国。 インド洋に浮かぶ島々に人口30万人ほどが住んでいるこの南洋の楽園は当時、陸海空の戦力が存在せず、軍隊の存在しない平和な国でした。どのくらい平和かというと、
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