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平野日出木さん、本当にそれでいいんですか?(下) 公開日時: 2006/11/24 21:19 著者: 佐々木俊尚 11月10日、鳥越俊太郎編集長のクレジットで、「この記事にひと言」欄への参加方法を改定しますという記事が掲載された。11月17日正午を持って、オピニオン会員を廃止し、書き込みできないようにするというのである。これはオーマイニュースにとって、決定的な判断だった。 この直前、私は平野デスク、市民記者組織本部の田中康文氏とミーティングしている。この時、田中氏は「オピニオン会員を残し、その登録ハードルを上げるA案と、オピニオン会員を廃止して市民記者に一本化するB案がある」と説明し、「市民記者とA案におけるオピニオン会員の違いは、ただ銀行口座を書いてもらうかどうかだけ。だったらいっそ、すっきりと市民記者に一本化するB案の方がわかりやすいと思う」と話した。 私は彼に「それは違う
オーマイニュースがこの11月、決定的局面を迎えた。引き金は、コメント欄に書き込めるオピニオン会員制度を廃止し、市民記者に一本化したことである。だが重要なのは制度の問題ではなく、この制度変更がどのようなプロセスで行われたのかということだ。 このブログに、これまでの経緯を書き留めておこうと思う。 オーマイニュース上で【ご意見募集】「この記事にひと言」欄についてが掲載されたのは、10月19日朝である。 この以前に、私はオーマイニュース編集部の平野日出木デスクから相談を受けていた。このあたりのやりとりについては、月刊誌「論座」12月号に書いた「市民ジャーナリズムは、混乱と炎上を越えて立ち上がるか オーマイニュース日本版船出の裏側」という記事で詳しく述べた。この記事は、論座のウェブサイトに掲載されている。市民記者から以下のような声が上がっているというのだ。 「記事の内容とは関係のない書き込みを何とか
アメリカだって匿名社会じゃないか、 そう思っていたとしたら、とんでもない。 ベストセラーに書かれた驚くべきアメリカ社会の実態。 ●「実名・匿名」論争 最近のこのコラムの中で、ネットでダントツに関心が高かったのは、「日本のネットはなぜかくも匿名志向が強いのか」と題した回だった。匿名による情報発信の問題が気になっている人は、少なくともネットでは多いようだ。 もっとも、匿名と実名のどちらで発信すべきかを、ネットでオープンに議論しても仕方がないと私は思っている。 ネットでの個人の情報発信は圧倒的に匿名が多い。実名で情報発信しろというのは、最初から、圧倒的多数の人々を敵に回して議論を始めるようなものだ。結果は見えている。 先のコラムには、「実名で発信するアメリカのほうが異常なんじゃないか」という反応もあったが、「平気で実名で書いているほうが不思議」というのは、日本のネットの平均的感覚だろう。 私も先
お断り:えっと、100%主観の話をします。 大学に入ったとき、(文系の)教授たちの勉強量というのを 垣間見ることがちょくちょくあったけれど、 それを見て、ああ学問の世界に自分は無理、と 早速挫折した記憶がある。 理系は、他人に話を聞いてほしくばまず英語で書け、という 素晴らしい効率化がなされているけれど、 文系は、興味があるなら俺の母国語を勉強しろよ、 という世界である(わりと)。 で、その国の言葉を勉強すれば理解できるかというと、 んなこたーない。 行間というものがどの国の言葉にもあって、それを理解しないことには始まらない。 国際的に共通した術語の定義がされる理系と違って、 国ごとに概念の集合(たとえば”愛”が何を指すかとか)が違う自然言語を そのまま利用している、もしくはオリジナルに概念を製造しているので、 つまりはその国の文化や時代性を理解しないことには、「専門」として 語るまでにた
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以前大阪に住んでいた頃、近所に正道会館の本部がありましたが、その創設者による脱税および証拠偽造事件に関する最高裁の判断です。判断のポイントは、教唆といえるかという教唆概念に関わるところです。一般に、教唆犯は、教唆行為⇒教唆行為による正犯における犯罪意思の惹起⇒その意思に基づく正犯の犯罪遂行 ということがその構成要件の内容として要求されており、この事件では、教唆行為による犯罪意思の惹起があったかどうかが争われたものです。この点に関して、最高裁は、次のように判示しています。 Aは,被告人の相談相手というにとどまらず,自らも実行に深く関与することを前提に,Kの法人税法違反事件に関し,違約金条項を盛り込んだ虚偽の契約書を作出するという具体的な証拠偽造を考案し,これを被告人に積極的に提案していたものである。しかし,本件において,Aは,被告人の意向にかかわりなく本件犯罪を遂行するまでの意思を形成してい
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
■ [economy][politics]牧原秀樹議員との対論 きっかけは、当サイトにいただいた次のコメントでした。 ◆ 金鉱マン (2006-11-21 00:27)すみません、ここで聞いて良いのかわからないのですが、なんかしっくりこないので、どなたかご助言いただけると幸いです。衆議院議員の牧原先生のコラム(国の財政は事実上破綻している」)に質問してみたんですが、次のような返答が返ってきました。↓のコメント欄。http://www.hmacky.net/archives/2006/11/05/224537.html私の不勉強で変なこと(あるいは分析的に聞けてない)を聞いているのであれば申し訳ないんですが、bewaadさんのところの議論と真逆?…というより、多分に精神論的要素を感じるのです。bewaadさんとは反対方向の意見をもたれている、と理解すべきものなのでしょうか。変なこと言ってたら
(挿絵はブレイクの『ヨブ』より) 田島正樹氏が、10月6日より、ご自身のブログ「ララビアータ」で、旧約の「ヨブ記」について覚書を連載されている。↓ http://blog.livedoor.jp/easter1916/ 実にスケールの大きな興味深い解釈なので、この問題に関心を持つ者として、氏の「ヨブ記」論を取り上げてみたい。私も8月の日誌で「ヨブ記」に触れたが、今回の田島氏の論稿を拝見して、ようやく「ヨブ記」を理解できそうに思う。 ヨブ記は旧約中でおそらくもっとも問題を孕む書といえる。ヨブが神に力ずくで屈服させられる経緯に、何ともいえない割り切れない思いが残るし、ユングのように、神ヤハウェの未熟さを正面から批判して、「神が人間に追い越された」という解釈をする論者もいる。田島氏は、ラカンのテーゼを根底に置いて「ヨブ記」を読む。すなわち、「主体が象徴界に生まれる時、不可避的に象徴界に対して遅れ
内田樹氏やレヴィナスに助けられて、『ヨブ記』についての私の覚書を記したが、一応テクスト上の根拠を示しておこう。 ヨブは、最終的に彼に対して語られた神の言葉の趣旨を要約して、「聴け、私がお前に問いかけるのだ。答えるのはお前だ」(『ヨブ記』42章4節)と理解している。これこそ、「ヨブがなぜ選ばれたのか」という同じ問いが、ヨブから神になされるべきものではなく、神からヨブに対して為されたものだということを、ヨブ自身が悟る瞬間を示しているのではなかろうか?(ここには、ちょっとジョン・F・ケネディの就任受託演説「祖国が君に何をしてくれるかと問うな、祖国に君が何をなしうるかと問え」を思わせる反転がある。) 先回私が「神は全知でも全能でもない。神の質問は、ヨブの為そうとする応答を神が予見していないからである」と述べたとき、この宗教の臨界点に近づいていることを私は感じて、思わず身震いした。 ヨブは自らの苦難
われわれは、レヴィナスのヨブ記解釈(または、内田樹氏によるその解釈)を要約して、「主体が象徴界に生まれる時、主体は象徴界に遅れをとらざるを得ない」と記した。主体にとって根源的な遅れとは、言語への参入によって初めて主体が成立するものである以上、主体は象徴界に対して常に遅れを取ったものとして登場せざるを得ないという事である。 象徴界への遅れは、万人にとっての宿命であるにもかかわらず、それが何故私の責任の根拠(そして自由の根拠)となり得るのであろうか? それは、どのような象徴界といえども、その中への私の同定、「それが私だ」を必要とするからである。テクストの中の私の同定とその引き受けを通して、私たちは言語主体になるのだ。私のことは、私が主体として成立する前から、すでに語られてしまっていたのだ。だからこそ主体は、テクストの中にすでに語られてしまっている自分自身を認知しなければならない。象徴界(言語的
作家であるらしい古舘真さんという方が、はてなキーワード「ジェンダーフリー」から「ジェンダーフリーとは」を削除したがっているご様子。 そんな古舘真さんのブログに「他のジェンダーフリー一派が同室着替えを推奨していたとしても不思議は無い」とか書かれていて爆笑してしまった。「一派」って。「ルパン一味」みたいなノリなのだろうか。とりあえず、「不思議はない」と憶測で物を言う前にソースを元に検討して欲しいかなーと。ちなみに古館さんによれば、chikiは「ふざけた運動家」らしいです。「運動家」とか「一派」とか、不思議な言葉遣いをする人だなあ(chikiがふざけた人間であることは間違いないですが)。 調べてみたら、古館さんはwikipediaの編集合戦にもとても熱心な模様(その1、その2)。相当まとめサイトを消したいみたい。 その一方で、「中立的立場(ジェンダーフリーだが極端な肯定派も糾弾する良識派)」とし
new! 馬場靖雄ゼミナール:ニクラス・ルーマン講読 [講 義:2017] ニクラス・ルーマン著『社会の道徳』 [翻 訳:2015] 長岡克行著『ルーマン/社会の理論の革命』評 [書 評:2007] ニクラス・ルーマン著『社会の芸術』 [翻 訳:2004] ニクラス・ルーマン著『社会の法』 [翻 訳:2003] ニクラス・ルーマン著『近代の観察』 [翻 訳:2003] 機能分化と「主体性」 [報 告:2001] 『ルーマンの社会理論』 [著 書:2001] 『反=理論のアクチュアリティ』 [編 著:2001] ルーマンの〈68年〉 [報 告:2001] 社会学的に観察する/社会学を観察する [報 告:2000] 法のオートポイエーシスと正義[報 告:2000] 『社会学のおしえ』 [著 書:1997] 正義の門前:法のオートポイエーシスと脱構築 [論 文:1996] 社会システムの複雑性と
あの時ビルがあんな風に粉々に崩れるなんて誰も思ってなかった。消防士にもビル全体が崩落寸前であることなんて伝わっていなかったし、退去命令も伝わらなかった。彼らがおそれを知らずに勇敢に振舞った理由は簡単だ。彼らは単に「知らなかった」のだ。彼らはアメリカを救った英雄というよりは、その他の死亡者と同じ、単なる犠牲者に過ぎない。 一方テロリストは違う。彼らは自らの大義のために命を賭けた。自分たちがどうなるか、十分に知りつつもそれに賭けたのだ。とすればソンタグが語ったようにそれを「臆病」と形容することは出来ない。テロリストこそ自分たちが信じるものに、その「道徳的正しさ」はさておき、あえて「殉じた」からだ。 アメリカが「ワールドトレードセンター」を語る際に「テロvs英雄的な消防士」の物語を妄想してしまうのは、おそらくそうでもしないと、テロリストと釣り合いが取れない、とアメリカ人が無意識に考えてしまってい
ブログサービスの付加価値は、サービスの使いやすさだけではなくなってきた。ブログマーケティングに代表される動向を追ってみると、幾つかの傾向が見えてくる。 各ブログサービスを見ていると、その中には「オフィシャルブログ」または「公式ブログ」が多いことに気付くだろう。もちろん、すべてのブログサービスにあるわけではないが、有名どころにはあることが多い。今回は、その“オフィシャルブログ”と、その“移転(引っ越し)”について、ブログマーケティングの観点から考察しよう。 タレント、スポーツ選手などが名を連ねるオフィシャルブログ そもそも、オフィシャルブログとは何だろうか。 「ブログ」という言葉が定着し、ブログサービスが提供されるのが当たり前になってきた現在、どこのブログサービスでもユーザーの獲得に必死となっている。より多くのユーザーを獲得すれば、仮に無料ないし安価で提供しているブログサービスであったとして
2000年の大統領選挙時にフロリダ州で、パンチ式投票用紙に関連した騒動が起こった。そこで、同州のある郡ではハイテク技術を使った解決策を講じたが、その解決策に対し、権利擁護団体や有権者が申し立てを起こした。 米国時間11月21日、フロリダ州裁判所に提出された訴状では、2006年の議会選挙中に同州サラソータ郡の選挙管理当局が行った、タッチスクリーン式投票機の選別、管理がずさんだったとし、投票のやり直しが求められている。People for the American Way、Voter Action、アメリカ自由人権協会(ACLU)のフロリダ州支部、電子フロンティア財団(EFF)の4つの権利擁護団体が、同郡の共和党支持の有権者と民主党支持の有権者の双方を代表して提訴に踏み切った。 提訴のきっかけとなったのは、同郡の選挙管理当局の投票結果に関する報告だった。それによると、同郡で実施された下院議員選
連邦および州検察当局は米国時間11月21日、Microsoftが間もなくリリースするOSの「Windows Vista」は独占禁止法に抵触していないとする文書を、裁判所に提出した。 政府の代理人は、Microsoftと米国司法省および州側原告団が2002年に合意した和解案に基づき、両者が共同で提出した今回の定期状況報告書の中で、Microsoftのコンプライアンス状況を監督する技術委員会がVistaおよび「Internet Explorer 7」の「詳細調査」を実施した結果、顕著な問題は見当たらなかったと述べている。 報告書によれば、Microsoftと同技術委員会は、ウェブブラウザ、電子メール、インスタントメッセージングクライアントおよびメディアプレーヤー分野における同社の競合企業に対し、新OSの出荷前に自社製品を「Vista対応」とすることができるダウンロードプログラムを提供したという
ライブドアは11月22日、全金融事業を投資会社に売却すると発表した。譲渡金額は実質551億円。金融事業はライブドアの利益面を支える屋台骨だったが、一連の「ライブドア事件」が影響し、売却を余儀なくされた。 売却先は「APFH」。投資会社のアドバンテッジパートナーズLLPが運営・管理する投資事業組合などの出資を受けた本件譲渡のための受け皿会社となる。ライブドアグループの中間持株会社でライブドアフィナンシャルホールディングス(LDFH)はAPFHに対し、2006年12月20日、LDFHの全株式にあたる8010株を175億7700万円で譲渡する計画。あわせてライブドアがLDFHおよびその子会社に対して有する貸付債権376億円を回収するため、実質的な譲渡金額は551億円になるとしている。 同社の全金融事業は、LDFHが中核のライブドア証券など8社を束ねる。8子会社はライブドア証券のほか、ライブドアコ
NovellとMicrosoftの提携に対し、Sambaチームは特許に関する合意の取り消しをNovellに求める声明を出した。今回の提携は、商用フリーソフトウェアのコミュニティーと非商用フリーソフトウェアのコミュニティーとの分断をはかる脅威になるのだろうか。 NovellとMicrosoftの提携に対し、フリーソフトウェアコミュニティーの多くの人々は動揺と怒りを隠しきれない。Sambaチームは特許に関する合意の取り消しをNovellに求める声明を出し、Software Freedom Law Center(SFLC)はNovellの利益を考慮して同社との協議を進めている。 SambaチームはNovellとMicrosoftの提携を非難している。そこでわれわれはSambaのメンバーであるアンドリュー・トリジェル氏に、Microsoftが真剣にフリーソフトウェアコミュニティーとの間の緊張緩和に
カリフォルニア州の最高裁判所は米国時間11月20日、個人のネットユーザーは第三者が書いた誹謗中傷を再配布しても責任を問われない、という裁定を下した。ブロガーやニュースグループの参加者、ウェブパブリッシャーにとっては大きな勝利だ。 裁判官が全員一致で下したこの裁定はおそらく、1996年制定の連邦通信品位法(Communications Decency Act:CDA)が、オンラインサービスを提供する事業者だけでなくコンテンツを再配布するサービス利用者も保護することを、初めて明確にするものだ。これまでの裁定で、CDAの第230項により、AOLやeBayなどの企業は、「公序良俗に反する、猥褻、みだら、不道徳、非常に暴力的、嫌がらせなど、人を不快にさせる」と見なされる素材へのアクセスを制限する方策を十分にとっている場合、責任は問われないという解釈が確立していた。 Carol Corrigan陪席裁
ちょっと間があいたので、他人のふんどしで相撲をとろう。 経済学はお金だけの学問じゃない。 今年の経済書で、話題性から見てもおもしろさから見ても重要性から見ても、ぼくはレヴィット&ダブナー『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』がダントツだったと思う。その重要性その他(そしてそれについてまるっきりピンときていないとおぼしき業界への不満)は、『論座』の書評に書いた。経済学は経済成長ばかり重視するとか、それ以外のものを見ていないのではないかとかいったことを、何やら大発見のように言い立てる人は、素人ばかりでなく、実は経済学のかなりえらい人でも(救われないことに)結構いる。そしてその指摘自体はまちがいじゃない。経済学に限らず、あらゆる分野において、新しい領域を切り開ける人は少なくて、たいがいの人はすでに確立されているもののちょっとした変奏しかできない。お金は数値化できるし、数学の道具立てを
拙著『社会』(岩波書店、2006年、130-136頁)から、引用します。 ======== 反ニーチェ 「子どもをもつことが犯罪とも言えるような場合がある。慢性疾患をもつ者、第3度の神経衰弱にある者の場合がそうだ。こういう場合に、人は何をしなければならないか?……社会は、生命について全権を委任された第一人者として、欠陥をもつ生命すべてに対し、それが生まれる前から責任を負っている。社会は、そのような生命に対して償いもしなければならない。だから、社会は、そのような生命が生まれないようにすべきなのだ。社会が生殖を阻止すべきケースは、実にたくさんある。その場合、社会は、家系や身分や教育の程度が何であろうと、最も厳しい強制措置、自由の剥奪、場合によっては去勢手術を、断行するつもりでいなければならない。《汝、殺すなかれ》という聖書の禁止は、頽廃者(デカダン)どもに対する《汝ら、子をなすなかれ》という生
20日の日経新聞夕刊が伝えた「翌日物金利先物、上場へ=市場の利上げ予想反映-東京金融先物取引所」との記事。忙しい日銀マンらは見出ししか見ていなかったようで、ある中堅幹部にこの件をぶつけると「やっと日本でもFF金利先物のようにコールが上場するんだね」と感慨深げ。しめしめと思った私は「ちゃんと読んだ方がよろしいのでは」と助言。彼は「どれどれ」と読み始め、数十秒後に「えーーーーーーっ、レポなの!!」と絶叫。反応が面白かったので、日銀の何人かに試した。各人各様、絶句も含めてとても楽しいのけぞり反応であった。 私が取材で知る限りのインタバンク関係者(都銀、証券、短資会社etc)に聞いたところ、「筋が違う」というものだった。これはレポ市場に歪みがあるうえに、そもそも「市場の利上げ予想を反映させる」のであれば、日銀の誘導金利である『無担保コール翌日物』を上場させたほうが理にかなっているためだ。記事では「
Police in Cairo have detained a blogger whose posts have been critical of the Egyptian government. Rami Siyam, who blogs under the name of Ayyoub, was detained along with three friends after leaving the house of a fellow blogger late at night. No reasons have been given for Mr Siyam's detention. The other friends were released after being questioned. Human rights groups have accused Egypt of erodi
フェアトレード運動については今までどちらかと扱うのを避けていたのだが、前回予告したので、頑張って論じてみる。一般的にはフェアトレード運動も反スウェットショップ運動と同じく先進国の「倫理観」に支えられた理想主義的な運動だと思われがちである。しかし本当のところはどうか、ということを考えてみたい。 さて、フェアトレードの対象となる商品は工芸品や衣類も含め多岐にわたっている。しかし最も影響力が大きく、市場浸透率も高い商品はというと、それはコーヒーだということに意義を挟む人はあまりいないだろう。もちろん、コーヒーがフェアトレードの主力製品になっていることにはきちんとした理由があるし、したがってフェアトレードの存在意義を論じるうえでもコーヒーは最適の題材であるはずだ。 で、世界のコーヒー貿易とフェアトレード運動の関わりについて、僕が知っている限り最も明確な説明を行っているのが、すでにあちこちで話題にな
21日の労働条件分科会で労働契約法についても素案が出てきましたので、それに対するコメントも書いていきたいところですが、同じ日に労働法制に関する経済同友会の提言もタイミングよく出てきましたので、労働契約法の話の前に、先日連載した労働時間法制の素案に関する経済同友会の見解についてコメントしてみたいと思います。 まずは割賃の引き上げについてです。 長時間労働4の対策は非常に重要であるが、時間外労働の割増率の引き上げによって、長時間労働を抑制することができるのかは疑問である。割増率の引き上げが、割増賃金の算定基礎となる賃金を抑えたり、サービス残業を是認したりする方向になっては意味が無い。また、効率良く仕事を進める意欲を低下させてしまう可能性もある。 ご見解のとおりでありましょう。特に、賃金水準による調整は、中長期的にみれば確実に行われるものと思います。結局、長時間労働した人の取り分が増えるという結
John Sholvin, The Political Economy of Virtue (Ithaca : Cornel University Press, 2006) (1)せっかく風邪が抜けてきたような気がしないでもないと思っていたら、今度は首を寝違えたのが(どういうわけか)悪化し、言葉通り「首が回らない」毎日。仕事が進まないことはなはだしい。そんななかで読んだのは、18世紀フランスの経済学・経済政策関連書籍を博捜し、経済学的な思考様式がフランスにいかに浸透していったかをたどった一冊。40頁にわたって続く巻末の参考文献リストが圧巻。 (2)かつて、18世紀フランス経済学史は、古典派経済学の先駆者としての重農主義から古典派経済学の輸入へと続く、つまりは「富」を重視する思想たる経済学がユニラテラルに広まってゆくストーリーとして描かれていた。しかし、この本の著者ショルヴィンは、イギリス経
http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061122/p1 より <山形さん:はいはい、すごいですね。でもあなたが考える程度のことはすでにとっくの昔にだれかが考えているのです。そしてその中にはその仮説をブログで開陳するだけでなくきちんと検証し、精度をあげて実際に使い勝手を増すような工夫をした人々がたくさんいるということです。そうした努力がまさに成長ということです。 そうした努力を積み重ねた結果として、お金は成長を計る完璧な尺度ではないかもしれませんが、手持ちの指標の中ではこの程度のものでも最高のものの一つとなってきたんです。>(元の出所はここhttp://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20061104) これについて大阪さんは「そうした努力を積み重ねた結果として、お金は成長を計る完璧な尺度ではないかもしれませんが、手持ちの指標の中ではこの程度
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