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ブックマーク / accelerator.hatenadiary.org (9)

  • 個人の興味、一般の興味 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    ggincさんがいつもすぐに返信をくださるので逆に申し訳ない気になります。今回は紅茶さんまで補足して頂いたみたいですねw 「プレイングの内実」関連の文脈補足について - God & Golem, Inc. http://d.hatena.ne.jp/koutyalemon/20100829/p1 僕の言いたかったことはとりあえず伝わったみたいで良かったです。でも、せっかくここまで言ったのだから関連した言いたいことを最後まで伝えちゃえと勢いでもう一度お返事をおかきします。 ただし前の記事の補足ばかりしているのは後ろ向きですので、もうすこし一般向け、といいますか大学院生一般向けのお話をさせてください。 大学院生が論文を書くときによくする間違い あんまり個人情報をブログで公開したくはないのですが、実は僕は研究職についております。それで大学院生の論文を共同研究者として校正することが多いのですが、初

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  • 批評は役に立つか - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    「言葉遊びになっちゃうかもしれないけど、TRPGに批評なんて必要なの? 必要なのはプレイレポートとか、ハウツーじゃないのかなあ?」 TRPGに批評はあるのか?(疑問) : 現代異能バトルTRPG 魔獣戦線BLOG こちらをみまして、つらつら考えたことを書いてみます。 現状認識と温度差 一度TRPG関係のブログでも批評について盛り上がったことがありました。その中心のggincさんのコメントを引用するところから始めましょう。 「一般の人すべてにとって批評が必要である」とは言っていません(「あらゆる人に批評は必要である」かどうかなんて、私にはわからない。少なくとも無前提にそんなことをいう気にはならない)。 応答 - God & Golem, Inc. ここでも言及されているとおり、批評が必要か?というのは非自明な問題です。批評を好きな人が批評を面白がるのはいいですが、そうでない人まで批評を読んだ

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  • 創作における作為と非作為 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    年末なのでいろいろまとめて、来年にネタを引きずらないようにしたいのですが、なかなか考えがまとまらなかったりして中途半端な記事を書き連ねることになりそうです。 ハンドアウト論から派生して、創作の立場からTRPGに興味を持った方がいらっしゃいましたし、僕がたまに悩んでいる作為と非作為のバランスについて一度書いておこうかと思います*1。 物語に対する二つの立場 TRPGに関わる立場として、以下のように二つの立場があることが指摘されています *2。 物語を作りたくてゲームをする、ゲームを利用して物語を作る とにかくゲームをして、その結果物語ができることもある ゲーム部分を重要視するか否かが二つの立場を分けているという考え方もあるかと思いますが、僕は2の立場の方が考える良い物語の条件に、”作為がなく自然に生じる”という条項が入っていて、作為のこもった物語をあまり良い物語ではないと考えているため、前者

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  • ゲーム性と物語性ってそこまで相反するかな - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    この前の記事(桝田省治に学ぶセッションデザイン - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む)はけっこう考えて書いた記事なんですけど、この記事はやる気のないただの感想なんですよ。 http://iwatam-server.dyndns.org/game/narikiri/narikiri/index.htmlは著者の好き嫌いはともかく、よくまとまっていて非常に参考になりますね。 この3節http://iwatam-server.dyndns.org/game/narikiri/narikiri/x53.htmlで何を重視するスタイルなのか分類しているのもおもしろかったです。僕はきっとゲーマーかつ作家タイプなんだけどちょっと役者にあこがれるって感じのところに位置してますね。 でもこの最後の部分。 残念ながら、毛色の違うすべての目的を同時に満たすことはほとんど不可能だ。だからこうした会では必ず「

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  • リセットによる結末の断絶を物語の一回性に回収するメカニズム - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    さてさてほっとくと毎日リトバス日記を書いてしまいそうなのでたまには違う話題を。 僕はまた、SFマガジンを買わずにゼロ年代の想像力を論じるという恥知らずなことを繰り返そうかと思います。 とりあえずまとめサイト様を読んで状況を確認してみます。 「決断主義」的なふるまいを止めるにはどうすればいいのか。これが宇野が掲げる向こう10年の新しいムーブメントの形であり課題である。そして宇野は、そのカギとして「リセットできない現実」というものを挙げている。 http://d.hatena.ne.jp/SuzuTamaki/20070726/1185428452から引用。 おおっ東浩紀の”ゲーム的リアリズム・メタリアルフィクション”に対して”リセットできない現実”を対置するのか。これは熱いですね。そんな熱い議論が交わされる中、僕が簡単に指摘したいのは”小さな成熟”のためのゲーム的リアリズムです。 小さな成熟

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  • ファンタジーとかライトノベルの文体のお話 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    ggincさんのところを発端にラノベの文体に関する議論が巻き起こりました。 でも、どうも僕と同じ疑問をもってくれる方がいなかったようなので、自分で書いてみることにします。 ライトノベルの文体についての雑感 - 一足の蛸←まとめ記事はこちら。 僕は昨日、僕僕先生を読み終わったばかりです*1。 この僕僕先生は第18回日ファンタジーノベル大賞の受賞作なのですが、その荒俣宏の選評を引用してみます。 「ハリー・ポッター」などのベストセラー系外国ファンタジーの後押しに頼らない自立した世界が展開されていることにも、大きな期待が持てた。もっとも、似ているところもある。軽くて、読後感がよくて、ちょっとダークな俗っぽさがある点だ。 その特徴は文体にも出ていた。設定された時代が現代から大きく離れていようと、主人公たちは現代日の若者ことばを平気で語る。それでも不快にはならないのだ。何か、明治の言文一致運動時

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  • TRPGプレイヤーは大塚英志に自覚的か? - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    一気に書かずにだんだん書き足していくので論拠とかが不十分でリンクで飛んできたひとにはなんだか申し訳ないなぁと思いつつ…。 現在のTRPGの現状を語るのに大塚英志ってわりとキーパーソンだと思います。 特にこの前よんだ”物語の体操”とか”キャラクター小説の作り方”とかすごく役に立つことが書いてあると思うのですけど、論考サイトでそんなに議論されていませんね。 東浩紀とかそういった批評やファウスト読者とTRPGプレイヤーで少し隔たりがあるのかなぁ。 かなり近い分野だと思うんですけどね。 ”物語の体操”でのTRPGの取り扱い方というのは小説を書くための基礎体力作りとしてTRPGを訓練として取り上げています。 そういう意味では大塚英志というのは小説家の卵にとっては重要でもTRPGプレイヤーにとって重要な人というわけではないかもしれません。 しかし物語の作り方の基礎知識がTRPGで特にGMをするに当たっ

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  • 分析力VS共感力 求める展開からのズレとテーマの立脚点 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    ガガガトークは、例のガガガ文庫のトークセッション企画です。 今回はその第2回である東浩紀・イシイジロウの回に着目して、TRPGに役立つ部分を拾ってこようと思います。リンク先はこちら→http://ga3.gagaga-lululu.jp/talk/02/。 基的に今、ライトノベル界に求められる才能についてのトークなのですが、TRPGにも言及されています。 どこもかしこも閉塞状況…あ〜こりゃこりゃ 齟齬を許せない? ライトノベルなんてTRPG業界に比べればよっぽど賑わっている感じもありますが、閉塞感があるといえばありますね。ここではライトノベルを手ライトノベルを書いていることが原因として挙げられています。 TRPGでも、どうもどこかで見たような、どこかで聞いたような展開になってしまって閉塞感を感じる…口には出さずともそう感じていませんか? 佐藤:最近思うのは、人が物語に共感する力。小説

    分析力VS共感力 求める展開からのズレとテーマの立脚点 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む
  • 桝田省治に学ぶセッションデザイン - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    先日の記事、TRPGのシナリオ作成 - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込むにて、RPGのシナリオ作成は映画小説のシナリオ作成に比べて特殊だと述べました。 ”ゲームシナリオのドラマ作法”はいいだと思いますが決定的に足りてないものが2つありまして、それは”ゲームのコンセプトをどうシナリオに反映させるか”ということと”シナリオのコンセプトをどうゲームに反映させるか”です。要は具体的なゲームシステムの話はしないで、シナリオの話はできないのでは?ということですね。映画小説の書き方をゲームシナリオに応用する方法の限界です。 ”ゲームシナリオライターの仕事 名作RPGに学ぶシナリオ創作術”を読んで納得したのですが、RPGの場合、出発地点がばらばらですよね。”こういうゲーム、課題がしたい”っていうゲームや課題が思い浮かんでいる場合もあれば、”こういう話がしたい”とシナリオが思い浮かんでいる場合も

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