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economicsと山形浩生に関するmonolithのブックマーク (9)

  • 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - クイズ:経済学者3人にきいてみました。

    生産性の議論が勝手に終わったことにされてしまった(でもなんか続いているようだ)、ちょいと寂しい山形@ガーナです。が、It ain't over till it's over ということばもございます。もう少し続けるよ。 ただ、理論的にはぼくはこれ以上言うことがない。池田くんの議論(の変な部分)はご自身のコメント欄で論破されている。ぼくのほうも言うべきことはすべて言っているので、これ以上の理屈で何を言っても、いままでの説明を繰り返すしかない。これまでの話で理解できなかった人は――そしておそろしいことに池田くんの議論に納得してしまった人は――それではまったく追加の判断材料を得られないだろう。 唯一言うとすれば……池田くんはしつこく、同じ経済の中での格差の話をしている。同じ経済の中での賃金差は、平均的な生産性では説明できない、と。はい、その通り。でもそれが何か? ぼくは最初から、同じ経済の中での

  • 「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解する―分裂勘違い君劇場

    経済の専門用語を一切使わずに説明すると、ようするに、 「工場労働者の生産性が上がっても、他の職業、たとえば、掃除人やウェイトレスの賃金が増えたりはしない。」 と、上武大学大学院客員教授でエコノミストの池田信夫氏は主張しているわけです。 ウェイトレスの所得と「平均生産性」には、何の関係もない。製造業の生産性が上がっても、たとえばジャズ喫茶の限界生産性が下がれば、そのウェイトレスの時給は下がるのである。 話はこれでおしまいだが、<略> これについて、中学生にもわかるように説明してみます。 分かりやすくするために、まず、次の図のような状態を考えてみます。 この図の状態では、日とカンボジアの工場労働者と掃除人の生産性がまったく同じ状態です。 この図でいう生産性とは、労働者一人が単位時間あたりに生産する製品の量を金額に換算したものだと考えておいてください。 この状態から、日の工場がすごいイノベー

    「他人の生産性が向上すると自分の給料も増えるのか?」を中学生でもわかるように図解する―分裂勘違い君劇場
  • 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - それでも賃金水準は平均的な生産性で決まるんだよ。

    ガーナにでかけようとして成田空港でウェブにつないでみると、前回書いた物について池田信夫くんからご批判をいただいていた。ぼくの経済学は我流で付け焼き刃だから、ありゃまた失敗したかな、と冷や汗かきながら読んでみたんだが……困ったなあ、とぼくは機中でポリポリ頭をかいているのだ。だって、どこに文句があるのかよくわからないんだもの。 というのも、結局池田くんはぼくと同じことを言い換えているだけだからだ。物事にはいろんな要因があるので、その説明の順番はちがっているけれど、結局は同じことでしかないんだ。そして、池田くんの説明は、ぼくから見るとちょっとへたくそだ。というのも、明らかな循環論法に陥っちゃっているからだ。 同じことの言い換え まず、ぼくと池田くんが同じことを言っている、というのを示そう。池田くんはこう書いている。 コーヒーの価格は他の財・サービス(たとえばパン)との相対価格で決まるから、たとえ

  • ゴッドランドの歴史学

    分裂君のところで始まった 「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで当か? から始まった一連の生産性関連の話なんだけど、これに色々とTBやら何やらでレスがつき、 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - 生産性の話の基礎 で、山形さんが、「賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ」 と仰ったら 404 Blog Not Found:生産性より消費性 で弾さんがレスをつけ 池田信夫 blog 生産性をめぐる誤解と真の問題 ここに至り、池田先生まで参戦してレスがついた。 で、日は、せっかくなんで、僕もこの話に便乗し、山形さんの「ゴッドランドの経済学」をパクって、「ゴッドランドの歴史学」なんてタイトルつけて、生産性関連の歴史について、ちょっと書いてみたいと思う。 というのも、そ

    ゴッドランドの歴史学
  • 池田信夫 blog 生産性をめぐる誤解と真の問題

    知らない人から「これは当の話なんでしょうか。 もしよろしければ論評をお願いします」というコメントが来た。そのリンク先にあった「生産性の話の基礎」という記事は、私には(おそらくほとんどの経済学者にも)理解不能である。筆者の山形浩生氏によれば、これは「経済学のほんの基礎の基礎」だそうだが、それは少なくとも大学で教えられている普通の経済学ではない。 これだけ徹頭徹尾ナンセンスだと、どこがおかしいかを指摘するのはむずかしいが、山形氏が赤いデカ文字で強調しているのは、「賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ」ということである。この平均的な生産性というのは、どうも日全国のすべての部門の労働生産性の平均ということらしいが、そんなもので賃金が決まるメカニズムは存在しない。 普通の経済学では、賃金は労働の限界生産性と均等化すると教えている。たとえば喫茶店の

  • 生産性より消費性 : 404 Blog Not Found

    2007年02月12日11:30 カテゴリValue 2.0Money 生産性より消費性 そしてその社会の平均的な生産性というのは、何が決めるのだろうか? 山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - 生産性の話の基礎 賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだどう考えても、「その社会の総消費量で決まる」という結論になると思う。 ちなみにここでは、貯蓄も消費に含めている。お金の行き先を決める行為は、すべて消費ということにしている。 なぜ生産するかといったら、消費するためだ。使いもしないのに作ってもしょうがない。たとえを20冊翻訳しても、誰も買ってくれなければ「生産」とは見なされない。読まれるでも「積読」されるのでもどちらでもいいけれど、とにかく買ってもらわなければ話にならない。一冊あたり50万

    生産性より消費性 : 404 Blog Not Found
  • 生産性の話の基礎 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    「ゴッドランドの経済学」で生産性の話を書いて、インドから戻ってきてみると反応がいろいろついてた。この連載はその意味で毎回楽しいね。もちろんそれが楽しいのは、読者のみなさんが有益で生産的な議論をいろいろ展開してくれるから……ではない。はてなブックマークにしてもトラックバックにしても、多くは単なるバカと無知の表明にすぎないものばかり。ぼくがまったく考えなかったような論点を指摘してくれるものなんてほとんどありゃしない。きみたち、ワタクシを震撼させるような議論ができないのかね!! ……って、できるわけがない。だってぼくが書いていることは経済学のほんの基礎の基礎で、考えられる反論や揚げ足取りはもう過去 100 年以上で出尽くしてるんだもん。でも、それはそれでありがたいのだ。というのも、何をぼくが説明しなきゃならないかがかなりよくわかるし、その説明内容がかなり基礎的なものでいいことが見えるからだ。 そ

  • 国民所得なんてどうでもいいけど、弾さんや山形さんは大好き(or大嫌い)なひとのためのまとめ - 痴呆でいいもん

    山形さんへの謝罪 http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061122/p1 に山形さんの関係記事についての引用をしておりませんでした。山形さんにもしかしたら、知らないところで陰口を叩かれたという不信感をあたえたかもしれません。おわび申し上げます。 http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20061122/p1 における捏造という表現はいいすぎだったかもしれません。事実上、捏造と同じ効果をもつ発言を山形さんが行ったという認識は現在でももっておりますが、あの発言のそのような効果を山形さんが意図的に行ったとは判断できません。捏造という表現はやはり意図的な行為を指すのが通常だと思いますので、捏造という表現をDELしたうえで、おわび申し上げます。 題 前もって、以下に目を通して下さい。 http://blog.livedoor.jp/dankoga

    国民所得なんてどうでもいいけど、弾さんや山形さんは大好き(or大嫌い)なひとのためのまとめ - 痴呆でいいもん
  • Economics Lovers Live Daniel M. Wegner のThe Illusion of Conscious Will

    <山形さんの感想>Wegener、読みました。まんまです。世の中、行動に意志は不可欠ではありませんわな。たとえば催眠術にかかった人とか、手足が勝手に動いてしまう人とかいますよね。逆に幻肢のように、意志があっても行動がおきないこともある。したがって、意志が行動の原因となったりするわけじゃない、意志というのは別に行動にとって不可欠でもなんでもないものだ、というのが著者の主張です。意志というのは、体験としては存在するが、それはあくまで後付の説明でしかない、一種の幻想だというのが要旨になります。ただし、意志という体験は、幻想として脳が創り出したものではあっても、それがあることが重要な役割を果たしてる、と著者は主張します。うーん、読んで何か目からうろこが落ちたような気はしません。「そういう言い方もあるかもね」くらいの印象です。

    Economics Lovers Live Daniel M. Wegner のThe Illusion of Conscious Will
    monolith
    monolith 2006/05/27
    「意志という体験は、幻想として脳が創り出したものではあっても、それがあることが重要な役割を果たしてる、と著者は主張します。」そこまでは凡庸な推理だが,役割って何よってのが知りたい
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