![Amazon.co.jp: 顔は口ほどに嘘をつく: ポール・エクマン (著), 菅靖彦 (翻訳): 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/2de640c70c95b654da35dfc4e21d2a664f2febfd/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41YF233RF4L._SL500_.jpg)
暴かれる嘘―虚偽を見破る対人学 作者: P.エクマン,Paul Ekman,工藤力出版社/メーカー: 誠信書房発売日: 1992/11/15メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 60回この商品を含むブログ (7件) を見る半分程度読んだ。すこし書いておく。 嘘を見破るのは難しい。しかし不可能というわけではない。嘘をつく際に何らかのヒントが嘘をついている人(この本では虚言者と呼んでいる)からもれ出てくるためだ。それは感情の表れである。嘘がばれるのではないかという不安が原因だ。 しかし感情の変化だけに着目するのも誤解を招く可能性がある。一度しか面会したことがない場合、その人が通常どのようなしぐさをするのか、どのような話し方をするのかが分からないためだ。また嘘をついていない人が、自らが虚言者と誤解されるのではないかという不安を感じ、それが体外になんらかの形で現れるということもある。 精神異
2006年05月22日13:20 カテゴリMedia 笑う門には銭来る!? ひさかたぶりに、録画でなくリアルタイムで見てしまったTV番組が「NHKスペシャル-“笑い”がビジネスを変える」。 これを見て、引きつり笑いをこらえられなかった。 以下、感想箇条書き 番組のバックグラウンドが、笑いの動画なのだけど、これが笑うせえるすまんな笑いでブキミ ユーモアって「笑い」なのか? ユーモア度ってどうやって測定するんだ? 強制された笑いの恐怖 番組の趣旨は、笑いが生産性を上げる、ということでその実例がいくつも出てくるのだけど、何かをしたことの「結果」である笑いを「目的」にすると笑うに笑えないという実例に、番組そのものがなっていました。 見ながら思い起こしていたのが、コルベアとYAPC::Asia。 コルベアの方は、いろいろなところで取り上げられているけど、ここではうまくまとまっている正三郎さんのblo
最上の日記 - 近代に入るまで内面を言葉で記述する事はできなかったさすがにこの論は成り立たないと思います。12世紀フランスで書かれたThe Letters of Abelard and Heloise (Penguin Classics)*1から引用します。Betty Riceによる英訳です。(原文はラテン語)p.68 (第4書簡) ...In my case, the pleasures of lovers which we shared have been too sweet - they cannot displease me, and can scarcely shift from my memory. Whenever I turn they are always there before my eyes, bringing with them awakened longings
なぜ「涙するほどの感動」は、フィクションや「他人の物語」のなかにしか存在しないのですか?
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