15日で終戦から77年を迎えました。第二次世界大戦中のシンガポールの戦いを記録した写真が白山市で見つかりました。当時を知る貴重な資料となりそうです。 机の上に並べられた写真。第二次世界大戦中、日本軍が侵攻したマレー諸島などで撮影されたものでその枚数は100枚以上にもなります。 写真の中には進軍する兵士たちや当時の街の様子、ラジオ体操をする子どもたちも収められています。 写真を所有する白山市の木下国顕さん、77歳。写真は従軍カメラマンだったおじの忍さんが撮影し、戦地から母親に送ったものだと話します 。写真の中には、まさに歴史の1ページを切り取ったものも。日本軍の司令官だった山下奉文中将がイギリス軍のパーシバル中将に降伏を求めたときの様子を撮影したとみられる写真です。 日本軍は当時、イギリスの統治下にあったシンガポールに侵攻、イギリス軍を降伏に追い込みました。おじの忍さんは写真を撮影した3年後
今回のF15戦闘機の墜落で考えられる原因について、専門家に聞きました。 専門家が着目したのは、パイロットから連絡がないまま墜落に至ったという点です。 元航空自衛隊の空将で、飛行群司令などとして小松基地にも二度、着任した永岩俊道さん(73)。 報道されている情報の範囲内での見解と前置きした上で、F15戦闘機の墜落について、機体の突発的なトラブルか、パイロットが平衡感覚を失ったことが考えられると話しました。 永岩さんに行方不明となっている機体が離陸する様子を視聴者が収めた動画も見てもらいました。 永岩さんは、戦闘機の事故は複数の人的ミスが、重なったときに、起きやすいとして、今後、原因究明と再発防止が求められると話します。
離陸直後にレーダーから消えたF15戦闘機は精鋭のベテランパイロットが所属する部隊です。一体何があったのでしょうか。 特殊迷彩が施されたF15戦闘機。「飛行教導群」と呼ばれる部隊です。 戦闘技術の教育を専門に行い訓練では仮想敵国の戦闘機役を務めます。 迷彩は敵と味方を識別しやすくするためのペインティングです。 小松基地にはおよそ50機のF15が所属していますがそのうち10機が飛行教導群でそのパイロットは卓越した技術を持つことから「神」とも呼ばれています。 1月31日午後5時半ごろ小松基地を飛び立ったF15は離陸直後にレーダーから消えました。 石川県加賀市の海岸から数キロのところでまぶしいくらいの赤い火柱が上がるのが相次いで目撃されました。 防衛省によりますとレーダーから消えたのは小松基地から西北西におよそ5キロ離れた海上で、G空域と呼ばれる能登半島沖の訓練空域に向かう途中でした。 F15には
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