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ブックマーク / reki.hatenablog.com (14)

  • セパタクローの歴史 - 「セパタクローの発祥国はどこか」の論争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Lihat di bawah. いま世界的に注目度の高いスポーツを巡る国際論争 いまセパタクローの注目度が上がっています。 BBCやNow Thisなどの国際的なネットニュースで「知られざる東南アジア発の国際スポーツ」のような文脈で取り上げられており、オリンピックの公式種目への取り組みのニュースも報じられています。 日でもそんなにメジャーなスポーツではありませんが、過去にアジア大会で8度の銅メダルを獲得するなど実はレベルが高いです。「Let’s kick! 」 というセパクローの漫画で知った方もいるかもしれません。 強豪国はやはり東南アジア勢で、タイ、マレーシア、ミャンマー、ベトナムが強いです。一方でこれらの国では「セパクローの家はどこか」という論争も存在します。 今回は注目の競技セパタクローの歴史です。 1. セパタクローの起源 セパタクローとは、マレー語の「セパ(

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  • フランコ独裁体制下のスペインの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    硬直したカトリック保守体制の正体 スペインは1975年まで軍人フランシス・フランコの長期独裁体制下にありました。 当時のスペインはカトリック信仰に基づいた保守的・家父長的な規範が推奨され、国が隅々まで国民を監視し行動や発言、表現に介入してくる極めて息苦しい国でした。スペインは現在は世界でもっともフェミニズム運動が盛んな国の一つなので隔世の感があります。 フランコ独裁体制のスペイン歴史と社会についてまとめていきます。 1. フランコ将軍の反共和国反乱 右派と左派の対立 1930年に成立したスペイン第二共和政では、基的人権の保障と農地改革の実施が公約に掲げられました。特に農地改革は待ったなしと言われ、農民の悲願でした。 政府は労働者・農民保護のための様々な政策を打ちますが、一部の労働者・農民は政府の対応は生ぬるいとさらに急進的な方策を求め反乱を起こしたため国内の治安が悪化します。 治安の悪

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  • アメリカ風中華料理「チャプスイ」の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Eli Hodapp アメリカ人が考える「中華」を代表する料理 「チャプスイ」をべたことはあるでしょうか。 チャプスイは主にアメリカべられる中華料理で、青菜や根菜、肉を炒めた後に醤油ベースのスープを入れてとろみをつけ、ご飯や麺にかけたりしてべます。 格的なアジア料理が流行っているアメリカでは、チャプスイはもはや珍しい古典的な料理となっていますが、かつてアメリカ人が中国料理中国人、ひいてはアジア系とアジアのカルチャーを受け入れる上で非常に重要な役割を果たした料理であります。 1. チャプスイとはなにか チャプスイには決まった具材やべ方はありません。 野菜はチンゲン菜やもやし、たまねぎ、にんじん、シイタケなどなんでもいいし、肉も鶏肉でも豚肉でも魚でも問題ありません。かけるのも白米でも麺でも問題ないし、もちろんそのままべてもOKです。「あんかけのあんの部分だけ」

    アメリカ風中華料理「チャプスイ」の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    pkeratta
    pkeratta 2020/09/24
    “ 人気になるチャプスイ チャプスイは中華料理店がオープンし始めた極めて初期の頃から人気メニューだったようです。ウォン・チンフーという名の中国系アメリカ人ジャーナリストが、西洋人の好みに合う料理のリスト
  • 【中国史】戦闘力が異常に高かった宦官列伝 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    中国史にその名を遺す武闘派宦官たち 宦官と言えば、宮廷に侍り皇帝や宮家一門の生活の世話をしたり、宮廷の各種運営をするのが仕事でしたが、中には武力を買われて仕える者もいました。 生殖能力は奪われているので女性のように華奢な体というイメージが強いですが、筋骨隆々なガチムチ宦官もいたようです。 今回は非常に名の知れた武闘派宦官をピックアップいたします。 1. 張蚝(ちょう こう) 張蚝は五胡十六国の前秦に仕えた宦官・武将。若いころから身体能力に優れ、牛と綱引きして勝つほどのパワーと、どんな高い城壁も難なく乗り越えられるほどの敏捷性を兼ね備えていたそうです。なんかバキに出てくるキャラみたいです。 北魏の歴史家である崔鴻(さい こう)は、前秦の猛将・鄧羌(とう きゅう)と共に「万人の敵(万人敌)」と評しました。 張蚝はもともと弓という姓でしたが、并州の軍閥の頭目・張平に気に入られ養子となり、張姓を授

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  • エアコンの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    空間の快適さを求めるエアコンの技術開発史 現在一般に言われるエアー・コンディショナー(エアコン)は、以下の機能を持つ機械のこと言います。 温度管理 湿度管理 空気循環と換気の管理 空気の浄化 古代から空気を冷やすための仕組みは様々にありましたが、1902年にエアコンが発明されて以来、空間を快適にする空調技術は100年余りで急速に発展を遂げました。 現在は深刻化する温暖化問題と、快適さを両立すべく技術の開発が進められています。 今回はエアコンの技術開発史をまとめていきます。 1. 涼を得るための先人の知恵 古代から居住空間の温度を下げて快適に過ごすための様々な工夫がありました。 例えば古代エジプトでは、窓に水をかけて湿らせた葦を吊るし、水が蒸発する蒸発熱を利用して窓から吹き込む空気を冷やしていました。水が蒸発する時には周囲の熱が消費されるので気温が下がります。この手法は乾燥した砂漠の気候では

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  • なぜアップルパイはアメリカを象徴するお菓子になったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカ人の愛国心を熱くする甘いリンゴのお菓子 1902年、ニューヨーク・タイムズ紙に以下のような文章が掲載されました。 (アップル)パイは我が国の強さと優れた産業創設、我が国の繁栄の秘訣である。英雄のべ物である。わないヤツは永久に負け犬である。 Pie is...the secret of our strength as a nation and the foundation of our industrial supremacy. Pie is the American synonym of prosperity. Pie is the food of the heroic. No pie-eating people can be permanently vanquished. かなり強烈な文章ですが、アメリカ人の愛国心と素朴な感情をよく言い表しています。 アップルパイを上手に焼け

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  • アンクル・サムのモデルになった人物とは? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカを象徴するキャラクター、アンクル・サム 「I WANT YOU FOR U.S. ARMY」のポスターは高校の美術の教科書で見たことあると思います。 これは1917年にイラストレーターのジェームス・モンゴメリー・フラッグによって描かれたもので、第一次世界大戦の新兵募集のポスターです。絵画作品としても非常に美しく、一度見たら忘れない強烈なインパクトがあります。 この中央に描かれている人物が、アメリカを象徴する人物アンクル・サム。略してUS(Uncle Sam)で、アメリカの愛国心をキャラクター化したものです。 アンクル・サムのモデルは諸説ありますが、最も有力なのがサムウェル・ウィルソンという人物です。 1. アンクル・サム以前のアメリカのキャラクター アメリカの愛国心を象徴するキャラクターは、アメリカ建国以前から存在しました。 最も古く1738年に登場したのが、「コロムビア」という名

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  • 【仏教】アジア各国の仏教美術の特徴まとめ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Bernard Gagnon インドで廃れた仏教はアジア諸地域へ 前回の記事「仏像の姿形はどう変わっていったか」では、仏教発祥の地インドで、いかに仏教が広がり併せて仏像が発達・衰退していったかを書きました。 インドで消滅した仏教は、アジア諸地域に渡り当地で独自の仏教美術を開化させていきます。 今回は特に、南アジアと東南アジアでの仏教と仏教美術の特徴をまとめていきます。 1. 釈尊の死後の仏教 教団の分裂 釈尊が亡くなって約100年の間は、直弟子や直弟子に学んだ者たちが教団をまとめたため、釈尊の教えは変わらずに生き続けていました。この期間を初期仏教とか原始仏教とか言います。 ところが、100年ちょっと経ったころに教理や戒律の異説が生まれ、革新派のマハーサンギカと保守派のテーラヴァーダに分裂。前者は後の大乗仏教、後者は上座部仏教です。 この2派はどんどん分裂していき、前1世紀

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  • 「明るい北朝鮮」ことシンガポールの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    自由な独裁国家・シンガポール シンガポールといえば、アジアの経済発展の象徴とも言える国です。 2013年の1人あたりのGDPは世界8位で、アメリカをも上回る。(ちなみに日は24位) 国際的なハブ空港を備え、空路のアクセスは抜群。東南アジア・中国・日も近く、アジアのビジネス・ヘッドクォーターとして躍進を続けています。 そんなシンガポールですが、事実上の独裁国家であることは有名です。 人々の自由な往来、新たな文化の発信、ビジネスの発展の裏で、反体制をことごとく潰しにかかる恐ろしい独裁体制を皮肉って、 「明るい北朝鮮」などと揶揄されることもあります。 今回はシンガポールが独裁体制になるに至った、ブラックな歴史を紹介します。 「明るい北朝鮮」と揶揄されているワケ 実質的な一党独裁 シンガポールは人民行動党の事実上の一党独裁体制が続いており、野党も存在するものの、その影響力は削がれており、「開発

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  • イギリス貴族が紳士であるべき理由 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「僕は当の紳士をめざしているからだ!」 これは皆様ご存知、ジョナサン・ジョースター氏の台詞ですね。 ジョジョに限らず、一般的にイギリス貴族というものは、「紳士」であるべきというのが社会通念とされ、またそうでないと社会的に認められなく、「紳士であることがイギリス上流階級に属する絶対条件」とすら認識されました。 他の国・地域では貴族は、「陰湿でこまけぇことにウダウダ言ってきやがって、金にやかましく冷酷な連中」という認識も多いはず。 なぜイギリスではそのように、貴族が「紳士」であることが求められるようになったのでしょうか。 1. イギリス貴族の地方支配の実体 産業革命が起きる前まで、イギリスでは地主貴族が社会的に圧倒的な力を持っていました。 貴族は最低でも数百エーカー(500エーカー=200ヘクタール)の土地を所有しており、そこから上がる収入は他の職業を圧倒する桁外れの資金額でした。彼らはその

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  • 【美術】仏像の姿形はどう変わっていったか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    仏様の姿形はどのように変わっていったか 仏像に興味あるという人は多いと思います。 ただ、教養がないと理解できなさそうで何か難しそう、と思ってる人も多いと思います。 確かに、何何神とか神様がいっぱいいたり、全ての物に由来や意味があったり、よく覚えられない。 仏教はヒンドゥー教の台頭やイスラム教の侵入により、13世紀ごろにはほぼインドから姿を消してしまったのですが、今回はそれまでのインドの歴史と仏像の変化について、追っていきたいと思います。 1. 仏像が生まれる前 実は釈尊(ガウタマ・シッダルータ)が亡くなってから500年以上、仏像というものは存在しませんでした。 仏像が作られ始めるのは1世紀後半からで、その頃には釈尊が半ば神格化された存在になっていき、同時に盛んに仏像が作られるようになっていきました。 では、仏像が作られる前は釈尊をどのように表現していたか。 まずは、「三宝」と言われる仏教で

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  • 【移民】白人社会に大量の中国人がやってきた結果 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    押し寄せる中国人移民に最適な対策とは アメリカやオーストラリアは、もともとイギリス系移民を中心とした人々がその中核を成す国です。 特にアメリカは、ピューリタニズムを根幹としながらもプラグマティズムでうまいこと骨抜きにした理想主義を掲げ、白人のための活気ある平等社会を構築していました。 そこに19世紀半ばごろから、一攫千金を夢見て大量の中国人移民がやってきました。 なんだこいつらは。 戸惑う白人たち。 ところが、 アメリカとオーストラリアの中国人移民対策はそれぞれ異なり、しかも全く異なる結果を出すことになりました。 1. なぜ中国人移民が大量流入したか 安価な労働力としての中国人 イギリスは1834年に奴隷制を廃止しましたが、プランテーション農園など大量のマンパワーを必要とする産業に経済依存しており、奴隷に代わる安価な労働力を求めていました。 注目されたのが、アヘン戦争に敗れた清国の中国人ク

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  • 【論争】マケドニア人という民族は存在するのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    周辺国の下心が見え隠れする国際論争 マケドニア共和国はバルカン半島の南にある、旧ユーゴスラビア構成国。 周辺をギリシャ・アルバニア・ブルガリア・コソヴォに挟まれた内陸の国です。 様々な民族や宗教が入り乱れたバルカン半島において、 マケドニアは大国に翻弄されたまことに複雑怪奇な歩みをしており、それがゆえ未だに周辺国との摩擦が絶えません。 それが「そもそもマケドニア人は存在するのか」「マケドニアという名称は誰のものか」といった、超スーパーそもそも論。 それゆえ、なかなか第三者が深く立ち入ることができない問題でもあります。 論争その1. マケドニア人という民族は存在するのか マケドニア「うん、ぼくたちマケドニア人だよ」 ブルガリア「いやいや、そもそもオメーら、昔はブルガリア人だったじゃねーか」 ギリシャ「ちょっと待って。そもそもマケドニア人とはギリシャ人のことを指すんだよ。勝手に俺たちの名前を名

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  • 名将サンタ・クルス侯爵とスペインの栄光の時代 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    近代スペイン海軍の父 サンタ・クルス伯爵アルバロ・デ・バサン(1526-1588)は、「太陽の沈まぬ国」と称された帝国の最盛期を支えた、スペイン海軍の最高司令官。 16世紀当時、地中海を勢力下に置いていたオスマントルコ海軍を打ち破り、当時新興国だったイギリスやオランダの挑戦を退け、 生涯において一度も負けを知らず、大海洋帝国スペインの全盛期を支えました。 イギリスの勃興を予期していたバサンは、打倒イギリスの準備を進めますが、その途中に死去。 バサンなきスペインはアルマダの海戦でイギリスに敗れ、凋落の道を歩み始めます。 このエントリーでは、バサンの生涯とスペインの栄光の時代を追っていきます。 1. 軍事エリートの家系に生まれ英才教育を受ける バサンはスペイン・グラナダの生まれ。 祖父は1492年、イベリア半島最後のイスラム王朝・グラナダ朝への侵攻作戦に従事。父は海軍の一員としてオスマン支配下

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