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  • ミュンヘンの小さな聖堂「アザム教会」のバロック濃密空間に圧倒される - 沙東すず

    世界最大のビール祭「オクトーバー・フェスト」で有名な南ドイツの街・ミュンヘンに、仕事の出張で一週間ほど滞在しました。はじめてのヨーロッパ!はじめてのドイツ!はじめての海外出張!と舞いあがり、時間の許す限り観光してしまった…中でもいちばん印象に残ったのは、あるクレイジーな建築家兄弟が思う存分腕をふるった小さな教会でした。 ミュンヘン街歩きは新市庁舎前からスタート あいにくというか下戸のわたしには折よくというべきか、ちょうどビール祭は終ったばかりの十月下旬。実はミュンヘンの前にはシンガポールに一週間いたので、寒さがひときわ身に沁みました。ミュンヘンの緯度は北海道と同じくらいなのです…。街路樹の紅葉や色づいた実がきれい。 南ドイツの鉄道網は、ミュンヘン中央駅を中心に整備されています。街に出るために、ドイツ人の親切なおっさんに教えられながら一日乗り放題切符を買う。この切符でエリア内のSバーン(都市

      ミュンヘンの小さな聖堂「アザム教会」のバロック濃密空間に圧倒される - 沙東すず
    • 「オープンソース vs. Windows」の最前線だったミュンヘンの現在

      ミュンヘンと言えば、ドイツのバイエルン州の州都であり、多くの日本人には「オクトーバーフェスト(Oktoberfest)」に代表されるビール祭りの中心地として記憶されているかもしれない。しかし、ことIT業界におけるミュンヘンと言えば、「オープンソース vs. Windows」の最前線という意味合いを持つ。 2000年代に脱Windowsを大胆に進めたミュンヘン MicrosoftがWindowsでクライアントOSの支配権を決定的にした2000年代。そのカウンターカルチャーとしてオープンソースが注目を集め、ソフトウェアの開発や利用が広まっていった。ここで開発された技術群は現在のITインフラの根幹を支えているが、一方で「打倒Windows」的な掛け声で盛り上げられていた「デスクトップPC」としての採用はあまり広まらなかった。 こうした中、2000年代前半にミュンヘンが市職員のシステムをWindo

        「オープンソース vs. Windows」の最前線だったミュンヘンの現在
      • アサヒビール、年内に「レーベンブロイ」の国内販売終了へ 独ミュンヘン生まれの銘酒 | オトナンサー - (2)

        アサヒビール(東京都墨田区)が2018年内をめどに、ドイツの「レーベンブロイ」など海外3ブランドのビールの国内販売を終了することが分かりました。自社ブランドや他の海外銘柄ビールの生産・宣伝に注力するためです。レーベンブロイは「ビールの都」とも呼ばれるミュンヘン生まれの銘酒ですが、日本から姿を消すことになりそうです。 自社ブランドの販売に注力 アサヒビール広報室によると、年内で販売を終了するのは「レーベンブロイ」のほか、英国のビール「バス ペールエール」とベルギーの発泡酒「ベル・ビュー クリーク」です。在庫がなくなり次第、販売を終了します。アサヒの2017年度のビール系飲料の販売に占める3ブランドのシェアは0.3%程度にとどまっていました。 アサヒビールは1982年11月、ドイツのレーベンブロイ社とライセンス契約を結び、翌年から販売を開始しました。その後、1988年に「バス ペールエール」、

          アサヒビール、年内に「レーベンブロイ」の国内販売終了へ 独ミュンヘン生まれの銘酒 | オトナンサー - (2)
        • ロシア人の世界的指揮者 ゲルギエフ氏解任 ドイツ ミュンヘン | NHK

          ドイツのミュンヘン市は1日、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者を務めるロシア人で、世界的な指揮者のワレリー・ゲルギエフ氏を解任したと発表しました。 ロイター通信などによりますと、ミュンヘン市はゲルギエフ氏に対してロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対して明確に反対するよう求めたものの返答がなく、解任を決めたということです。 ゲルギエフ氏はロシアのプーチン大統領の長年の友人として知られ、先月アメリカ・ニューヨークで行われたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の公演で指揮をする予定でしたが、そちらも公演の開始前日に交代が発表されました。

            ロシア人の世界的指揮者 ゲルギエフ氏解任 ドイツ ミュンヘン | NHK
          • ミュンヘン・フィル首席指揮者のゲルギエフ氏解雇 プーチン氏と親交:朝日新聞デジタル

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              ミュンヘン・フィル首席指揮者のゲルギエフ氏解雇 プーチン氏と親交:朝日新聞デジタル
            • ミュンヘン工科大学がうらやましすぎる…絶賛されていた1枚の写真 : らばQ

              ミュンヘン工科大学がうらやましすぎる…絶賛されていた1枚の写真 大学ごとに校風というものがありますが、部外者にとって内部の様子はなかなかわからないものです。 これはうらやましいと絶賛されていた、ミュンヘン工科大学の校舎内の写真をご覧ください。 これは……。 目を疑って2度見してしまいましたが、校舎の4階から降りるためのすべり台が備えられているのです。 海外サイトでは、このエキサイティングな設備をうらやむ声で一杯でした。抜粋してご紹介します。 ・建築家でフューチャラマを見すぎのやつがいるな。 ・あとは途中のフロアに屋台があったら完璧だな。 ・これは階段より安いのか? ・安くても登るのに階段がいるだろ。 ・実際に人が降りるところのビデオだ。 ・ぱっと見て「なにがうらやましいんだ?刑務所みたいだろ」と思ったら、すべり台が見えた。 ・え?君の刑務所にはすべり台が付いてないっていうのか? ・あまり知

                ミュンヘン工科大学がうらやましすぎる…絶賛されていた1枚の写真 : らばQ
              • 10年がかりでLinuxに移行したミュンヘン市、Windowsへの回帰を検討

                Ed Bott (Special to ZDNET.com) 翻訳校正: 川村インターナショナル 2014-08-22 07:00 世界のほとんどの場所に「デスクトップLinux元年」がまだ訪れていない。しかし、ドイツ南部のミュンヘン市はこの10年間、「Windows」から離れる取り組みを進め、Linuxや「OpenOffice」(後に「LibreOffice」へ移行)などのオープンソースソリューションを積極的に採用してきた。 ミュンヘン市議会は2003年、この移行に向こう10年間で3000万ユーロを投じ、「LiMux」というカスタムバージョンの「Ubuntu」を採用することを決定した。2013年にその移行作業の完了が宣言されている。 しかし、画期的な移行の完了から何カ月かたった今、新たに組織されたミュンヘン市の連立政府は、Linuxを段階的に廃止してMicrosoft製品に回帰すべきかど

                  10年がかりでLinuxに移行したミュンヘン市、Windowsへの回帰を検討
                • 開会式で黙とう ミュンヘン五輪で犠牲のイスラエル選手ら追悼 | 毎日新聞

                  東京オリンピックの開会式では、1972年のミュンヘン五輪の際にパレスチナ・ゲリラに殺害されたイスラエル選手らを追悼するため、黙とうする時間が設けられた。ロイター通信によると、五輪の開会式でこの事件の被害者を追悼するのは初めて。開会式を巡っては22日、ショーの演出を担当していた小林賢太郎氏が過去にコントでユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を題材にしたことを…

                    開会式で黙とう ミュンヘン五輪で犠牲のイスラエル選手ら追悼 | 毎日新聞
                  • 第1次世界大戦の教訓を忘れるな 目を向けるべきは「ミュンヘン」より「サラエボ」:JBpress(日本ビジネスプレス)

                    (2014年1月7日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 過去について考えることで現在への対処の仕方が改善されるということはあり得るのだろうか? もしあり得るのなら、今年が第1次世界大戦の勃発から100年目に当たることは、現代の政治家たちがミュンヘンを心配する時間を減らしてサラエボについて考える時間を増やすよう促し、ひいては今日の世界に大きく貢献してくれるかもしれない。 もちろん「サラエボ」と「ミュンヘン」は、第1次世界大戦および第2次世界大戦の勃発前に起こった外交危機の略称だ。ところがこの2つの事件は、国際問題への対応策を論じる際に、大きく異なるアプローチを擁護する材料として使われてきた。 大きく異なる2つのアプローチ 政治指導者が「ミュンヘン」を繰り返してはならないと警告する時、それは攻撃的な姿勢への強硬な対応――大抵は軍事行動――を支持する場合がほとんどだ。だが「サラエボ」を引き合いに

                    • LinuxからWindowsに完全移行を決めたミュンヘンのその後

                      LinuxからWindowsに完全移行を決めたミュンヘンのその後:鈴木淳也の「Windowsフロントライン」(1/2 ページ) 官公庁でLinuxをはじめとするオープンソース運動の旗手として知られていたドイツのミュンヘン市は、過去13年以上にわたって「LiMux」と呼ばれるUbuntuベースのクライアントOSと、OpenOffice.orgから派生した生産性アプリケーション「LibreOffice」を使い続けてきた。 しかし、同市はこれらの利用をやめ、2020年末までに「Windows 10」および「Microsoft Office 2016」のシステムへと移行する計画を明らかにしたことで、IT業界からあらためて注目されている。その概要は以前にもお伝えしたが、その後の動きがあったので紹介したい。 市のIT部門が移行に難色のワケ 米TechRepublicによれば、ミュンヘン市の行政人事委員

                        LinuxからWindowsに完全移行を決めたミュンヘンのその後
                      • Linuxに移行したミュンヘン市は今どうなっているのか?

                        印刷する メールで送る テキスト HTML 電子書籍 PDF ダウンロード テキスト 電子書籍 PDF クリップした記事をMyページから読むことができます WindowsからLinuxへ移行した事例としては世界最大規模であるドイツのミュンヘン市は、不具合が多い時代遅れのソフトウェアに苦しんでいる。 ドイツのミュンヘン市議会は、1万5000人以上の職員が利用する環境を、カスタム版の「Ubuntu」である「LiMux」や、その他のオープンソースソフトウェアに何年もかけて移行した。同市は、この取り組みによって、1000万ユーロ(約1100万ドル)の経費を節約できたと主張している。 しかし、2014年にDeiter Reiter氏が新市長に当選すると、LiMuxの未来について疑問が投げかけられた。Reiter氏は、今後ミュンヘン市議会でITをどのように利用していくべきかについて、LiMuxを使い続

                          Linuxに移行したミュンヘン市は今どうなっているのか?
                        • むしろエスカレーター?なミュンヘンの古いエレベーター「パタノスタ」は、少し怖いがかっこいい

                          変わった生き物や珍妙な風習など、気がついたら絶えてなくなってしまっていそうなものたちを愛す。アルコールより糖分が好き。 前の記事:海外旅行のメインコンテンツ、それは散歩〜雨のザルツブルクでファイアサラマンダーに出会った > 個人サイト 海底クラブ パタノスタが設置されているのは、ミュンヘン中心街のこの赤レンガの建物。都市計画をつかさどる役所だそう。 重たい扉を開けて中に入ると、さっそく目当てのエレベータ―があった。 これがパタノスタだ! このパタノスタ、普通のエレベーターのようにボタンを押して箱を呼ぶスタイルではない。イメージとしては人間を乗せて垂直方向に動くベルトコンベアーだ。書いていて思ったがエスカレーターに近いかもしれない。 言葉で説明してもわかりにくいので、さっそく乗るところを見ていただこう。 常時動いている(!)箱に、タイミングを合わせて乗り込む。 箱の動きはそれほど速くないから

                            むしろエスカレーター?なミュンヘンの古いエレベーター「パタノスタ」は、少し怖いがかっこいい
                          • スピルバーグの「ミュンヘン」は凄かった! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

                            スティーヴン・スピルバーグの新作『ミュンヘン』を観た。 2005年に観た映画ではベストワンだ。 とにかく強烈で、壮絶な映画だった。 この映画は内容が政治的に危険なので今まで極秘に製作されていた。 ミュンヘン五輪で選手11人をパレスチナ・ゲリラに殺されたイスラエルが報復のため、諜報機関モサドの精鋭5人にパレスチナ人11人暗殺を命じた実話の映画化だ。 1972年、ミュンヘン・オリンピックの選手村に「黒い9月」を名乗るパレスチナ・ゲリラが銃で武装して侵入。イスラエルの選手11人を人質にとった(うち二人は抵抗して射殺される)。 犯人はイスラエルの刑務所に囚われたパレスチナ人の釈放を求めたがイスラエルはこれを拒否。 犯人はドイツ政府と交渉して旅客機を用意させたが、ドイツ側は軍の滑走路で犯人たちを狙撃。 犯人側はヘリコプター2台の座席に縛られた人質を手榴弾とライフルで皆殺しにした。 この報復のため、イ

                              スピルバーグの「ミュンヘン」は凄かった! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
                            • ミュンヘンオリンピック事件 - Wikipedia

                              ミュンヘンオリンピック事件(ミュンヘンオリンピックじけん、ドイツ語:Münchner Olympia-Attentat)は、1972年9月5日に西ドイツのミュンヘンでパレスチナ武装組織「黒い九月」により行われたテロ事件。実行グループの名前から「黒い九月事件」とも呼ばれる。オリンピック開催中に発生し、イスラエルのアスリート11名が殺害された事件として知られる。 概要[編集] 事件発生[編集] (以下本稿の表記はすべて現地時間)1972年8月26日から9月11日にかけて開催されていたオリンピックの選手村[注釈 1]に、9月5日4時40分頃[2]、パレスチナのテロリスト組織「黒い九月」のメンバー8名が敷地のフェンスを乗り越えて侵入した。この時、彼らがフェンスを乗り越えるのを目撃している警備員がいたが、リュックサックを背負っていたこともあり、夜間に外出した選手達が人目を忍んで戻ってきただけだと思い

                                ミュンヘンオリンピック事件 - Wikipedia
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