島津貴久(しまづたかひさ)のいちばんの協力者は、樺山善久(かばやまよしひさ)であろう。 16世紀の南九州において、島津氏は一族どうしで覇権を争った。本家筋の奥州家と、分家の薩州家と相州家と。この中で抗争を制したのが相州家の島津貴久だった。樺山善久は一貫して相州家に協力し、覇権の確立とその後の勢力拡大に貢献する。 樺山氏は島津氏の支族である。その歴史は南北朝争乱期にまで遡る。そして、なかなかの存在感を放っているのだ。そんな樺山氏について、ちょっとまとめてみた。 初代/島津資久(樺山資久) 2代/島津音久(樺山音久) 3代/樺山教宗 4代/樺山孝久 5代/樺山満久 6代/樺山長久 7代/樺山広久 8代/樺山善久 島津貴久の盟友 朝鮮に出陣できず、悔しがる 娘は島津家久に嫁ぐ、島津豊久は外孫 10代/樺山忠助 11代/樺山規久 12代/樺山忠正 13代/樺山久高 17代/樺山久広 藩家老を出す