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内田樹の検索結果161 - 200 件 / 329件

  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

      BLOGOS サービス終了のお知らせ
    • 恐るべしプーペガール (内田樹の研究室)

      「プーペガール」についてゼミ発表を聴く。 初耳である。 サイバーエージェントというところがはじめたSNSで、いうならば「電脳着せ替え人形」である。 ちょっと前に流行った「セカンドライフ」と似ていて、ヴァーチャル通貨で、ヴァーチャルなお洋服やアクセサリーを購入して、自分の「アヴァター」である「プーペ」(フランス語で「人形」のことである)のワードローブに加えて、毎日着せ替えて、それを自分のお部屋に展示する。 そのコーディネイトを見て、「あら、すてきね」と思ったヴィジターは「すてき」ボタンを押したり、コメントをつけたりする。 すると、プーペの所有者にヴァーチャル通貨(単位は「りぼん」)が入金する。 つまり、センスのいいお洋服やアクセサリーや化粧品をたくさん持って、それをまめに着せ替えている人はどんどん(ヴァーチャル)お金持ちになり、ろくな服を持っていない人で、着せ替え頻度も少ない人は、誰にも相手

      • 内田樹の思想 - しっきーのブログ

        内田樹(うちだたつる)って知ってる?ひょっとしたら、今最も「影響力」のある思想家かもしれない。神戸女学院大学の教授をしてて、現在は退職して「凱風館」という道場をかまえている。思想家であり、合気道を修める武道家でもある。 凱風館です。合気道を習えるみたい。 内田樹の思想は好き嫌いが別れると思う。というより、受けつける人は受けつけるし、受けつけない人はまったく受けつけない種類のものだ。内田樹は25歳のときからずっと合気道に打ち込んでいて、身体感覚に根ざした発想で話を展開する。切り口や扱うトピックを変えながら、身体に染み込ませるように同じことを繰り返し言う。彼の本は、まるで道場に通って武道の練習をしているかのような読み心地なのだ。 内田樹を批判する人も多いが、そういう人の気持ちはわかる。内田樹は「科学的」とされる論の進め方をしていない。科学にとって大事なのは「反証可能性」で、理系だったら同じ実験

          内田樹の思想 - しっきーのブログ
        • メンターはどうやって見つけたらいいのでしょう? - 内田樹の研究室

          韓国のある出版社から「韓国オリジナルの本」を出すことになった。先方から質問を送ってもらって、それに僕が答えて、それで一冊にするという趣向である。 その中に面白い質問があった。「メンターはどうやって見つけたらいいのでしょう?」というものである。 「最近はオンラインでのコミュニケーションが活発になったおかげで物理的に遠く離れている人をメンターとする人もいたりします。 韓国では「オンライン先輩」「オンラインメンター」というような言葉もあります。良いメンターとメンティ、あるいは望ましい師匠と弟子の関係とはどのような形なのでしょうか?」 以下が私からの回答。 メンターにはいろいろな種類があります。生涯師として仰ぎ見て、ずっとその後についてゆく人もいるし、一時的にA地点からB地点まで移動するときの道案内をしれくれただけの人もいます。例えば、広い川の前に来た時に、渡し船が来て船頭さんに「乗るかい?」と誘

          • 教育基本条例について - 内田樹の研究室

            大阪維新の会が教育基本条例の素案をまとめた。 知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。 その趣旨は基本条例の冒頭に示されている。 「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」。 教育の独立性についても、従来の教育現場からは違和感のある理解が示されている。 「教育の政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育の政治的中立性とは、本来、教育基本法(平成18年法律第120号)第14条に規定されていると

            • 「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読む (内田樹の研究室)

              お正月、特にすることもないので新春早々ゲラを校正。 朝日新聞社から出る教育本「狼少年のパラドクス」の再校である。 ブログ日記から教育関連のものを選び出しただけなので、内容的には繰り返しが多いし、文体もわりと手荒なので、このまま本にするわけにはゆかず、あれこれいじりまわす。 夕方から自由が丘。 等々力在住の兄上と平川くん、千鳥町在住の石川くんという「極楽カルテット」でお正月を祝うべく不二屋書店前に5時集結。 そのまま居酒屋にとぐろを巻いて、ビジネスの話。 平川くんと私は石川くんが3月から始める新規ビジネス、ライブハウス+落語定席「アゲイン」の出資者であるので、ビジネスプランについて詳細をあれこれ論じる。 メニューはどうするのか、禁煙か喫煙可か、クライアントにはどのような年齢層をターゲットにするのか、楽器はどうするのかなどなど。 平川くんと私は開店イベントにすでにブッキングされているようである

              • 一億総学力低下時代 - 内田樹の研究室

                慶應義塾大学と共立薬大が 2008 年度に合併する。関西学院大学と聖和大学の合併に続いて、二件目である。 毎日新聞の社説はこのニュースにこうコメントしている。 「来年度は大学・短大志望者が総定員に収まる『大学全入時代』。既に定員割れを起こす大学が相次ぐ中で、今回の合併劇は統合・淘汰の時代の始まりを示唆する。」 この状況判断はその通りである。 しかし、統合・淘汰を手放しで「市場の論理」として受け容れるべきではない。 そのことはこれまでも繰り返し申し上げてきた。 毎日新聞の社説もその点については留保をしているが、私の見解とはいささいかの「ずれ」がある。 社説はこう続く。 「こんな時代になったのは、少子化が進んだためだけではないのだ。大学教育の『質の低下』という積年の、本質的な問題がある。(…) 経済成長や基準緩和の中で増え続けた大学(06 年度学校基本調査で、国立87校、公立89,私立568)

                • 石破発言について - 内田樹の研究室

                  毎日新聞にこんな記事が出ていた。 自民党の石破茂幹事長は29日付の自身のブログで、国家機密を漏えいした公務員らに厳罰を科す特定秘密保護法案に反対し、国会周辺で行われている市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。国会周辺では連日、市民団体が特定秘密保護法案に反対するデモを行っているが、これを「テロ行為」と同列視する内容で反発を招くのは必至だ。石破氏はブログで「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いている。どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはない」と指摘。「主義主張を実現したければ、理解者を一人でも増やし支持の輪を広げるべきだ」と主張した。(毎日新聞12月1日) 重要な発言である。 彼の党が今採択しようとしている

                  • どこに就職したらいいんでしょう - 内田樹の研究室

                    株式市場の混乱で、ついに新卒者の内定取り消しが出始めた。 以下は朝日新聞の報道から。 米国に端を発した金融危機が、大学生や高校生の雇用に影を落とし始めた。ここ数年は「売り手市場」との声さえ聞かれた就職戦線。しかし、「経済情勢の激変」を理由に、一転して内定や求人の取り消しが相次ぐ事態になっている。急速に冷え込む「雇用」に大学や教育委員会は不安を隠せない。 「このまま入ってきてくれても希望の部署にはいけないと思う。あなたのキャリアを傷つけることになるので、就職活動を再開した方がいい」 関西の私立大に通う4年生の学生(21)は先週初め、5月に内定をもらった大手メーカー(東京)から、電話で内定「辞退」を促された。今月初めの内定式で顔を合わせたばかりの人事責任者は、「業績が悪化し、株価も激しく落ちている。会社はリストラを始めている」と付け加えた。 学生にとっては、留学経験を生かせると考えて内定3社の

                    • フリーライダーの効用 - 内田樹の研究室

                      高齢者の集団自決が高齢化対策の秘策であると公言した若い経済学者の発言が話題を呼んでいる。 彼の言う「人間は引き際が重要だと思う」ということにも「過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎる」という事実の摘示にも私は同意する。でも、使えないやつは有害無益だから、集団から追い出すべきだという論には同意しない。人道的な立場からというよりは組織人としての経験に基づいてそう思うのである。 組織に寄生して、何も価値を生み出さず、むしろ新しい活動の妨害をする「フリーライダー」はどのような集団にも一定数含まれる。この「無駄飯食い」の比率を下げることはたしかに集団のパフォーマンスを向上させることにある程度までは役立つだろう。ただし、「ある程度」までである。というのは「無駄飯食いの排除」作業に割く手間暇がある限度を超えると、その作業自体が集団のパフォーマンスを著しく低下させるからである。 組

                      • 河合塾でお話 - 内田樹の研究室

                        日曜は河合塾で講演。 去年も同じ頃に河合塾で予備校生たちを相手に講演をした。 先生たちの間に読者がけっこういて、お呼びくださったのである。 300人ほどの予備校生たちを前に「脱=市場原理の教育」というお題で2時間半近く話す(このところどこでもタイトルはいっしょである。中身はばらばらだけど)。 生徒たちは食い入るようにこちらを見つめている。コワイくらいである。 当然である。 彼らは日々「こんな勉強やることに何の意味があるのか」という身を切るような問いを自分に向けている。 そこに私のような人間が現れて「『こんな勉強をやることに何の意味があるのか』という問いそのものが市場原理に侵された思考なのである。いいから黙って勉強しなさい」というようなことを言い出すわけであるから、これは頭がぐちゃぐちゃになって当然である。 けれども、私はべつに有用な知識や情報をお伝えするために登壇したわけではない。 教育者

                        • ご飯を作り、お掃除をすることの英雄性 - 内田樹の研究室

                          午から取材。BPという雑誌の村上春樹特集。 村上作品はどうして世界的なポピュラリティを獲得したのか、という問いに対して、「ご飯とお掃除」について書かれているからであろうとお答えする。 世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。 いずれも人間にとって本質的な営みである。 「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。 金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美食を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。 「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。 その基本は「ありものを残さず使う」、もっと平たく言えば「食えるものは何でも食う」である。 村上春樹作品には「ご飯を

                          • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

                            2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

                            • いじめについての続き - 内田樹の研究室

                              ある媒体で、「いじめ」についてコメントした。それは昨日のブログに書いた通り。 それについて追加質問が来たので、これも追記として書き留めておく。 Q: 学校という場は社会の雰囲気とは切り離されたものではなく、一定程度の影響を受けていると思います。現実に、リストラが激しくなる一方ですし、1分1秒ごとに自己成長を求められる息苦しい世界になりました。この状況にあって、学校だけを過度な競争社会から切り離してある種のユートピアにすることは可能なのか、それとも競争を是とする今の社会を根底から変えない限り、社会に蔓延するいじめ体質はなくならないのか。この点はどう思われるでしょうか。 A: 学校は本来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを本務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。 ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子

                              • どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか - 内田樹の研究室

                                朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。 真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。 朝日新聞と日本経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。 原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。 困ったものである。 朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。 朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。 私はべつに両紙の社説を書いているわけではな

                                • 改憲案の「新しさ」 - 内田樹の研究室

                                  ある媒体に長い改憲論を寄稿した。 一般の目に触れることのあまりなさそうな媒体なので、ここに採録しておく。 改憲案の「新しさ」 改憲が政治日程に上ってきている。7月の参院選で自民党が大勝すれば、今秋以降には国内での合意形成めざした議論が始まるだろう。自民党や改憲勢力がいったいこの改定を通じて「何を」実現しようとしているのか、それをこの機会に確認しておきたいと思う。 自民党の改憲草案については、さまざまな批判がすでになされている。個別的な条文ひとつひとつについての適否は専門家による議論に委ねて、私としてはこの改憲案に伏流している「新しいものの見方」についてだけ考えてみたいと思う。護憲派の論客の多くは、改憲案の「復古調」に違和感や嫌悪を覚えているようだが、私はむしろこの改憲案は「新しい」という印象を受けた。その「新しさ」とは何かについて書きたい。 まず、今日本のみならずグローバルなスケールで起き

                                  • 人生はミスマッチ (内田樹の研究室)

                                    リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。 中高の現場の先生には基本的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。 現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。 現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。 だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。 「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよ

                                    • ナショナリストとパトリオット - 内田樹の研究室

                                      河合塾での講演のあと、廊下でナショナリズムについてひとりの予備校生から質問された。 たぶん、彼の周囲でもナショナリスティックな言動をする若い人たちが増えてきており、それに対してどういうスタンスを取るべきか決めかねているのだろう。 若者がナショナリズムに惹きつけられる理由はわかりやすい。 それは帰属する集団がないからである。 人間は帰属する集団があり、そこで他者と共生し、協働し、必要とされ、ゆたかな敬意と愛情を享受していれば、パトリオットにはなっても、ナショナリストにはならない。 パトリオットは自分がその集団に帰属していることを喜び、その集団を律している規範、その集団を形成した人々を愛し、敬しており、その一員であることを誇り、感謝している。 ナショナリストはそうではない。 彼はどのような集団にもそのような仕方では帰属していない。 彼は自分がさしあたり所属している集団について(それが家族であっ

                                      • モラルハザードの構造 - 内田樹の研究室

                                        興味深い記事を見た。 NHK 記者ら三人がインサイダー情報による株取引容疑で取り調べを受けているという話である。 この三人は報道局のテレビニュース制作部記者、岐阜放送局の記者、水戸放送局のディレクター。三人の間に連絡を取り合った形跡はない。 それはつまりこのインサイダー取引が「自然発生的・同時多発的」に NHK 内で行われたということである。 ということは、「このようなこと」が当該組織内ではごく日常的に行われていた蓋然性が高い。 不正利用されたのはある牛丼チェーンが回転ずしチェーンを合併するというもの。 3人はニュースの放送前にこれを知り、うち2人は「放送までの22分の間に専用端末で原稿を読み」回転ずしチェーンの株を購入。株価は一日で1720円から1774円に上がり、3人は翌日売り抜けて10-40万円の利益を得ていた。 この金額の「少なさ」が私にはこの不祥事の「日常性」をむしろ雄弁に物語っ

                                        • 池内 恵

                                          予想通りひどい本だった。山形さんがしばし待たせてから、懇切に書いてくれていた。 編者の議論がとにかく変。支離滅裂に「誤読」して俺様が〜と吠える人こそが、人文社会学の存在意義を疑わしめる原因となっている。社会悪なので、きちんと指摘しないといけない。...

                                            池内 恵
                                          • いまの日本は若者に「チャンス」より「屈辱感」を与えている…内田樹が「昭和より令和のほうが意地悪」とする理由 問題は「力のある人たち」のマナーである

                                            日本に「勢い」があった時代 1970~90年代の日本の組織はどこも「勢い」がありました。「勢い」というのはただ金が儲かるということではないんです。とにかく仕事がどんどん増えてくる。それもやったことのない仕事が。 僕は’75年に大学を卒業してから2年近く定職に就かずふらふらしていました。一応「大学院浪人」を自称していたので、フランス語とフランス文学史の勉強だけは一日3、4時間くらいしていたのですが、あとは自由時間です。でも、家賃も払わないといけないし、ご飯も食べないといけないし、お酒を飲んだり、麻雀したり、スキーに行ったりもしなくちゃいけないので(いけないということはないんですけど)、生活費を稼がねばならない。 その頃の生業なりわいはほとんど友だちから回ってきたものでした。「内田、暇なんだろ?」という前口上付きで仕事が降ってくる。頼まれた仕事は家庭教師でもなんでもやりました。主な収入源は英語

                                              いまの日本は若者に「チャンス」より「屈辱感」を与えている…内田樹が「昭和より令和のほうが意地悪」とする理由 問題は「力のある人たち」のマナーである
                                            • テレビの仕事 - 内田樹の研究室

                                              福田康夫と麻生太郎が生出演する「報道ステーション」を見る。 私はもともとテレビをまるで見ない人間なのであるが、「選挙速報」を甲野先生たちとわいわいツッコミを入れながら見たときに癖がついて以来、政治番組だけは一人でも見ている。 古舘伊知郎のインタビューを聴きながら、なんだか違和感を覚える。 彼は何か有用な情報を聞き出したいのか、それとも「質問してもきちんと答えない」様子を生放送で全国に放送したいのか、そこのところが私にはよくわからなかった。 相手が答えにくいような質問をして、その絶句するさまや、答えをはぐらかすさまから、その人の人物識見度量などを判定するということはたしかに可能である。 劫を経たジャーナリストの中には「それだけ」しかテクニックがない人(T原S一朗とか)もいる。 セレブたちが思いがけない質問に対応に窮するさまをみて視聴者が溜飲を下げるとか、爽快感を覚えるということもたしかにある

                                              • 壁と卵(つづき) - 内田樹の研究室

                                                村上春樹のエルサレム・スピーチについて二件の電話取材を受けたと書いた。 電話取材というのはむずかしい。 30分ほどしゃべったことを5行くらいにまとめられているコメントの場合には、「言いたいこと」が活字になっているということはほとんどない。 私が「言いたいこと」というよりは記者が「理解できたこと」が書いてある。 場合によっては記者が「言いたいこと」が私の名前で書いてあるということもある。 たぶん読む方もそれくらいに割り引いて読んでくれるだろうから、あまり硬いことは言わないつもりである。 それでも、わずかな字数では意を尽くせないことがある。 私がそのとき言いたかったことをここに書きとめておきたい。 それは「壁」というメタファーについてである。 もっとも一般的な解釈は「壁」を政治的な暴力装置、「卵」をその犠牲者と見立てることである。 もちろん、村上春樹自身もその解釈を否定しているわけではない。

                                                • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

                                                  2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

                                                  • 大学が生き延びるために - 内田樹の研究室

                                                    いつも大学情報を教えてくれるコバヤシさんから、「ちょっとショッキングな話」を教えていただいた。 大阪府吹田市のある大学(気の毒なので名を秘す)に、08年、現代社会学部が新設された。 しかし、来年(09年)、この学部は募集停止になる。 おそらく大幅な定員割れだったと想定される(受験者は20人余。入学者は非公開)。 もう一つ、これも関西のある大学の話。 この大学は08年度から人間教育学部を新設した。 1966年に開学したときの文学部を94年に募集停止して、国際文化学部を設置(文化学科、言語コミュニケーション学科)。02年に情報コミュニケーション学科を設置した。 文学部から国際文化学部への事実上の改組であるが、それも12年しか保たなかった。 06年に国際文化学部が募集停止。そして人間教育学部に衣替えしたのである。 冷たいことを言うようだけれど、この人間教育学部も長くは保たないように思う。 これら

                                                    • 読者と書籍購入者 - 内田樹の研究室

                                                      私は論争ということをしない。 自分に対する批判には一切反論しないことにしているから、論争にならないのである。 どうして反論しないかというと、私に対する批判はつねに「正しい」か「間違っている」かいずれかだからである。 批判が「正しい」ならむろん私には反論できないし、すべきでもない。 私が無知であるとか、態度が悪いとか、非人情であるとかいうご批判はすべて事実であるので、私に反論の余地はない。粛々とご叱正の前に頭を垂れるばかりである。 また、批判が「間違っている」なら、この場合はさらに反論を要さない。 私のような「わかりやすい」論を立てている人間の書き物への批判が誤っている場合、それはその人の知性がかなり不調だということの証左である。そのような不具合な知性を相手にして人の道、ことの理を説いて聴かせるのは純粋な消耗である。 というわけで私はどなたからどのような批判を寄せられても反論しないことを党是

                                                      • 内田樹 on Twitter: "今の日本を一言で言えば「バカが威張っている社会」です。申し訳ないけど、それ以外に形容のしようがない。でも、けっこう賢い人だって政治家や官僚の中にいたはずなのに、こんなにあっさり「バカに埋没」したことに驚きます。戦前もきっと「こんなふう」だったんでしょうね。"

                                                        今の日本を一言で言えば「バカが威張っている社会」です。申し訳ないけど、それ以外に形容のしようがない。でも、けっこう賢い人だって政治家や官僚の中にいたはずなのに、こんなにあっさり「バカに埋没」したことに驚きます。戦前もきっと「こんなふう」だったんでしょうね。

                                                          内田樹 on Twitter: "今の日本を一言で言えば「バカが威張っている社会」です。申し訳ないけど、それ以外に形容のしようがない。でも、けっこう賢い人だって政治家や官僚の中にいたはずなのに、こんなにあっさり「バカに埋没」したことに驚きます。戦前もきっと「こんなふう」だったんでしょうね。"
                                                        • ツイッターとブログの違いについて - 内田樹の研究室

                                                          『街場の読書論』という本を書き上げた。 ブログコンピ本なので、ゲラをいただいたのは一年近く前なのだが、他の仕事が立て込んでいて、手が回らなかったのである。 ブログのコンピ本というのは、他にあまりなさっている方がいないようだが、私は「よいもの」だと思う。 書いているときに「これはいずれ単行本に採録されるかもしれない」と考えている。 だから、そのときになってあわてないように、引用出典とかデータの数値とはについては正確を期している。 ブログ上で他の方の著書から引用するときに、発行年や頁数まで明記する人はあまりいないが、こういう書誌情報は「あとになって」調べようとすると、たいへんに時間がかかるものである。 ほんとに。 それにそうしておくと、ブログが「ノート代わり」に使える。 ブログには検索機能がついているので、キーワードを打ち込むと、そのトピックについて私が書いたことがずらずらと出てくる。 その中

                                                          • 言語を学ぶことについて - 内田樹の研究室

                                                            2002年に文科省はグローバル化する世界を生き抜くためには英語運用能力が必須であるとして、「英語が使える日本人」の育成のための戦略構想を発表した。それから10年経った。日本の子どもたちの英語運用能力が上がったという話は誰からも聞いたことがない。 大学サイドから見ると、新入生の英語力は年々劣化を続けていることは手に取るようにわかる。進学にも、就職にも、英語力は絶対に必要であると官民あげてうるさくアナウンスされているにもかかわらずその教育成果は上がらない。なぜか。 英語力の必要が喧しく言われるようになってからむしろ英語学力が低下したという事実は一見背理的であるが、考えれば説明がつく。 教科を習得したときの「報償」が学習開始時点であらかじめ開示されているからである。 報償があらかじめ示されると、学習意欲は損なわれる。考えれば当たり前のことである。 「ここまで到達すれば、こんないいことがある」とい

                                                            • 橋下徹・大阪市長『田原さん、僕のことを大嫌いな大学教授達と直接討論させて!』批判だけでなく具体的対案示せ!と内田樹・山口二郎・中島岳志氏らに大反論

                                                              橋下徹 @hashimoto_lo さてひと段落したので、今日も役立たず大学教授批判とでもいきますか。うっとおしければこの間、フォロー外して下さいね!北海道の中島とかいう大学教員がどうしようもない役立たずであることは、これまで少しは述べたけど、さらに追加。この大学教員、大阪まで来てコメンテーターで小金を稼いでいる。 2012-01-11 00:21:25 橋下徹 @hashimoto_lo ところがそのコメントが全く振るわない。府知事・市長のダブル選挙前に、大阪都構想について大阪市の区割案を示さないのは逃げている!と叫んでいたけど、この人の学問的想像性のなさには目まいがしました。大阪都構想は今ガンガン進んでいます。大阪府と大阪市の決定機関を事実上一つにした。 2012-01-11 00:23:32

                                                                橋下徹・大阪市長『田原さん、僕のことを大嫌いな大学教授達と直接討論させて!』批判だけでなく具体的対案示せ!と内田樹・山口二郎・中島岳志氏らに大反論
                                                              • 『赤毛同盟』と愚鈍の生成について - 内田樹の研究室

                                                                朝日新聞の求人欄の上に日曜に出ている「仕事力」というコラムのための取材を受けた。 その中で、「適性」とか「天職」とかいう言葉がどれほど若い人たちの労働意欲を損なっているかについて語った。 今、仕事を探している若い人たちの言う「自分の適性にあった職業」というのは、装飾を削ぎ落として言えば、「自分の手持ちの資質や能力に対していちばん高い市場価値がつけられる職業」のことである。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めているのである。 ありていに言えばそういうことである。 そういう仕事をみなさん探している。 交換比率のいちばんいい両替機会を求めてうろうろするのは、やればわかるけれど、あまり賢いことではない。 でも、消費者マインドを刷り込まれた人たちは、「限られた持ち金でどれだけ有利な取引をするか」、費用対効果にしか興味がない。 それは大学で教えているとよくわかる。 学生たちは単位や資格や学士号の「市

                                                                • 浜岡原発停止について - 内田樹の研究室

                                                                  MBSの「辺境ラジオ」も今回で4回目。 不定期収録、収録時間毎回違う、放送時間毎回違うという、いかにもラジオ的にカジュアルな番組である。 精神科医名越康文先生、MBSの西靖アナウンサーと僕の三人のthree-man talk をガラス窓の向こうから伊佐治プロデューサーが顔を赤くしたり青くしたりしながら見ているという四人組ベース。 今回は「震災」テーマでのトークである。 菅首相が浜岡原発の停止を要請したが、それについての評価から話が始まった。 名越先生も私も、これは官僚や電力会社への根回しが十分にされた上での結論ではなく、総理のトップダウンでの「私案」に近いのではないかという意見だった。 浜岡原発の運転の可否についての議論はもちろん専門的な機関で行っているのだろうが、結論はわかっている。 「安全性に問題はない」である。 でも、東海大地震が起きて、放射性物質が漏出するような事態になったら、政府

                                                                  • 従者の復讐 - 内田樹の研究室

                                                                    取材で鳩山政権の迷走について訊かれる。 どうして日本政府はアメリカに対して毅然とした態度が取れないのかというお訊ねである。 メディアは単純に「それは総理が無能だから」という属人的な説明でケリをつけようとしている。 もちろん統治者の資質が外交の成否に深く関与するのは事実である。 だが、現在の日本のメディアの、すべての政治的できごとの成否を属人的な能力によって説明するスキームの定型性に私はいい加減うんざりしている。 たしかに、外交がうまくいっていないという事実に為政者の個人的能力はふかく関与している。 けれども、それが「外交の失敗のすべての理由である」としてそれ以上の吟味を放棄するのは、思考停止に等しい。 歴代の統治者たちが組織的にある外交に失敗するとしたら、それは属人的な要素によっては説明できない構造的な問題があるのではないか、と考えるのが科学的な考え方である。 日本のジャーナリストには、こ

                                                                    • 草食系男子の憂鬱 - 内田樹の研究室

                                                                      大学の三年生ゼミは「草食系男子」について。 先般、四年生のゼミでも同じ主題が取り上げられたので、彼女たちからするとかなり喫緊の課題のようである。 発表後とりあえず全員に聞き取り調査をして、「あなたが知っている草食系の実像」についてご報告をうかがう。 いや、聞いてびっくり。 ゼミ生のほとんどの彼氏が「草食系」なのである。 特徴は すぐ泣く。 拗ねる。 「どうせぼくなんか・・・」といじける。 かわいこぶる(齧歯類系の「かわいさ」を演じるのが上手) メールに顔文字をたくさん使う。 優柔不断で、「何食べる?」「どこ行く?」といった質問に即答できない。 化粧品にうるさい。 肌を美白に保つことに熱心。 ヘア命(ヘアセットができてない姿を見られると、スッピンの女性のように身もだえするらしい) 家族と親密。 などなど。 こういう男子が20代に大量に存在しているらしい。 ううむ、そういうことになっているとは

                                                                      • 基地問題再論 - 内田樹の研究室

                                                                        さる新聞社より電話取材で、またまた普天間基地の話。 鳩山首相が沖縄に行ったが、はかばかしい成果がなかったことについて、その政治責任をどう考えるかというお訊ねである。 「はかばかしい成果がある」というのはどういう場合を指すのか、まず新聞社はそれを明らかにすべきであろうということを申し上げる。 他人の仕事について「はかばかしい成果が上がらなかった」というコメントを下すためには、「はかばかしい成果」は何かをまず明らかにする必要がある。 だが、メディアは普天間基地問題について、「こうすべきである」という具体的な提言をなしていない。「米政府も政権与党も沖縄県民もみんなが満足するソリューション」を提示せよと言っているだけである(だが、そのようなソリューションは存在しない)。 何度も言っているように、基地問題は変数が多すぎるために「正解のない」問題である。 私たちに出来ることは、「変数」を列挙し、そのう

                                                                        • 2015年の年頭予言 (内田樹の研究室)

                                                                          あけましておめでとうございます。 年末には「十大ニュース」、年頭には「今年の予測」をすることにしている(ような気がする)。ときどき忘れているかもしれないが、今年はやります。 今年の日本はどうなるのか。 「いいこと」はたぶん何も起こらない。 「悪いこと」はたくさん起こる。 だから、私たちが願うべきは、「悪いこと」がもたらす災禍を最少化することである。 平田オリザさんから大晦日に届いたメールにこう書いてあった。 「私は大学の卒業生たちには、『日本は滅びつつあるが、今回の滅びに関しては、できる限り他国に迷惑をかけずに滅んで欲しい』と毎年伝えています。来年一年が、少しでも豊かな後退戦になるように祈るばかりです。」 これから私たちが長期にわたる後退戦を戦うことになるという見通しを私は平田さんはじめ多くの友人たちと共有している。 私たちの国はいま「滅びる」方向に向かっている。 国が滅びることまでは望ん

                                                                          • 教育のもたらす利益について - 内田樹の研究室

                                                                            経済協力開発機構(OECD)は8日、加盟国の06年国内総生産(GDP)に占める教育費の公財政支出割合について調査結果を公表、比較が可能な28カ国で日本は3・3%と下から2番目だった。 平均は4・9%。1位はアイスランドの7・2%、デンマーク、スウェーデンが続き、北欧が上位を占めた。日本は最下位だった05年調査の3・4%より0・1ポイント減少。 日本は小中高までの初等中等教育は2・6%で下から3番目、大学などの高等教育は0・5%と各国平均1%の半分で最下位。 全教育費に占める私費負担の割合は33・3%と韓国に次いで2番目に高く、平均の2倍以上だ。 日本は、高等教育への財政支出対GDP比率が先進国最低の国である。 文科省はこれを5%にと要望したが、財務省に一蹴された。 教育は私事であるから、公的支援には及ばないというふうに考えておられるのであろう。 教育は自己責任で行え、と。 行政を頼るな、と

                                                                            • 愛国について語るのはもうやめませんか (内田樹の研究室)

                                                                              教育関連三法が今日参院を通過する予定だそうである。 安倍首相は昨日の参院文教科学委員会の総括質疑でこう答えた。 「地域を愛する心、国を愛する心を子どもたちに教えていかなければ、日本はいつか滅びてしまうのではないか。今こそ教育の再生が必須だ。」 私は子どもが郷土や国家にたいして愛着を持つことは国民国家にとって死活的に重要であるということについて首相に異存はない。 しかし、「愛国心」というのはできるだけ公的な場面で口にすべきことではない言葉のように思う。 法律文言に記すというようなことはもっともしてはならぬことである。 それは左派の諸氏がいうように、愛国教育が軍国主義の再来を呼び寄せるからではない。 愛国心教育は構造的に人々の愛国心を毀損するからである。 私は愛国者であり、たぶん安倍首相と同じくらいに(あるいはそれ以上に)この国の未来とこの国の人々について憂慮している。 日本人はもっと日本の国

                                                                              • 内田樹 on Twitter: "新聞社二社から相次いで「安倍政権の総括」原稿を頼まれました。28日に辞意表明の確率が高いということでの予定稿です。村上春樹ノーベル文学賞受賞の予定稿は毎年書いてますけれど、安倍総理辞任の予定稿ははじめてです。🥺"

                                                                                新聞社二社から相次いで「安倍政権の総括」原稿を頼まれました。28日に辞意表明の確率が高いということでの予定稿です。村上春樹ノーベル文学賞受賞の予定稿は毎年書いてますけれど、安倍総理辞任の予定稿ははじめてです。🥺

                                                                                  内田樹 on Twitter: "新聞社二社から相次いで「安倍政権の総括」原稿を頼まれました。28日に辞意表明の確率が高いということでの予定稿です。村上春樹ノーベル文学賞受賞の予定稿は毎年書いてますけれど、安倍総理辞任の予定稿ははじめてです。🥺"
                                                                                • 原発供養 - 内田樹の研究室

                                                                                  昨日の話の続き。 それぞれの社会集団は、「恐るべきもの」と折り合うために、それぞれ固有の「霊的作法」を持っているという話だった。 日本人は外来のものを排除せず、それを受け容れ、「アマルガム」を作る。 ユーラシア大陸の東端にあり、これから先はない、という辺境民が採用したのは、いわば、「ピジン型」の文明摂取方法だった。 これはヨーロッパの辺境、アイルランドの文明史的地位と構造的に似ている。 聖パトリキウスはケルトやドルイドの土着の神々たちとのまじわりの中でキリスト教を布教した。 そのときに土着の神々を「根絶」するというユダヤの神の苛烈さを避け、地祇たちを生き残らせた。 それがアイルランドに今も生き残る「妖精たち」である。 前に中沢新一さんとおしゃべりしたときに、『伊勢物語』に出てくる「在原業平」というのは固有名詞ではなく、ある種の「集団」ではなかったのか、という話になったことがある。 彼らは「