2014年に見つかった中咽頭がんを克服した後、『レヴェナント:蘇えりし者』『母と暮せば』などの映画の音楽を担当し、17年は自らが出演したドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が公開されるなど精力的な音楽活動に取り組んでいる坂本龍一さんが、ニューヨークの個人スタジオで日本経済新聞の単独インタビューに応じた。がんが創造活動や死生観に与えた影響のほか、自らの半生の足跡、
音楽家の坂本龍一(70)が、直腸ガンおよび転移巣の手術を受けたことを発表したのは、昨年1月のことだった。2014年に患った中咽頭ガンはその時点で寛解していたが、2020年に新たにガンが発見されたのだという。もっとも当時のコメントには「すばらしい先生方との出会いもあり、無事手術を終えて現在は治療に励んでいます」とあり、さらに「治療を受けながら出来る範囲で仕事を続けていくつもりです」と仕事への前向きな姿勢を示していた。多くのファンは心配しつつも、安堵したことだろう。 しかし、実際の病状は、こうした前向きなコメントからは想像できないほど深刻なものだったようだ。診察した医師の口からは「余命半年」といった衝撃的な言葉まで飛び出していたのである。 文芸誌『新潮』7月号から坂本が開始した連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」には、この間の経緯や心境が本人から詳しく語られている。以下、引用しながら見てみ
45年にわたり日本の音楽シーンをリードし続けた坂本龍一。71歳を迎え、記念発売される『坂本龍一 音楽の歴史』より彼の足跡を一部抜粋。1970年代前半、山下達郎、大貫妙子らと出会い、音楽家として飛躍を始めた日々を振り返る(全2回の2回目/前編を読む)。 ◆◆◆ 坂本龍一が手がけたNHK-FM最後のラジオ・ドラマ NHK‐FMドラマで現在確認されている坂本龍一最後の作品は1976年9月3日放送の「ハムレット」。風間杜夫が主演するこのシェイクスピア劇は現代風ロック・オペラのようにアレンジされたラジオドラマで、坂本龍一は風間杜夫ら登場人物たちが歌うファンク・ロック曲、ロマンティックなピアノ歌曲、ハード・ロック、ソウル・ミュージック風のインストゥルメンタル曲に加え、アフロ・ビートをフィーチュアした楽曲、フュージョン前夜のような作品も提供。演奏はバイバイ・セッション・バンド。ここで1970年代後半の坂
世界的な音楽家・坂本龍一(享年71)の“最後の演奏”を記録したドキュメンタリー作品『Ryuichi Sakamoto | Opus』が、第80回ベネチア国際映画祭で公式上映された。本作の監督で坂本の息子でもある空音央に、撮影秘話や巨匠の知られざる素顔を香港紙が聞いた。 「映画制作を提案したのは、僕ではなく坂本のアイデアでした」と、空音央(そら・ねお)は語る。 彼の監督作『Ryuichi Sakamoto | Opus』は偉大な日本人作曲家・坂本龍一の最後のパフォーマンスを捉えたドキュメンタリー作品だ。坂本は2023年3月に71歳で亡くなった。 『Ryuichi Sakamoto | Opus』の予告
本放送 7月6日(木)午後10:00 ~ 午後10:45 坂本龍一の音楽の軌跡を辿る特番が放送決定 3月28日に惜しまれつつ亡くなった坂本龍一。 逝去からほぼ3か月たった現在もその功績を讃える声が後を絶たない。 そうした坂本龍一の音楽の軌跡を辿る特番の放送が決定。 革新的な作品を生み出し続け、世界を舞台に活躍してきたアーティストの創造世界を改めて体感していただきたい。 番組のナレーションは、坂本龍一とかねてから親交のあった役所広司が担当する。 ソロ、YMO、また映画音楽やプロデュースそして俳優など、様々なジャンルで活躍した坂本龍一。 「世界のサカモト」として日本のみならず世界にその音楽を届けてきた。そんな坂本龍一の創造の世界を、NHKのアーカイブスをはじめ、貴重な映像の数々で振り返る。各時代の様々なパフォーマンスと番組出演時の肉声などでその偉大な功績を紹介していく。 【出演】 坂本龍一 【
坂本龍一さんと、音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ」=「YMO」でともに活動した、細野晴臣さんのインスタグラムでは、3日の午前1時すぎ、1枚の灰色の画像が投稿されました。 一切のコメントを付けずに灰色の画像が投稿されるのは、ことし1月に同じYMOのメンバーだった高橋幸宏さんが亡くなった時に坂本龍一さんのインスタグラムに行われた投稿と同じです。 坂本龍一さんと同世代で、ロックバンド「一風堂」で活動した音楽プロデューサーの土屋昌巳さんはツイッターにコメントを投稿しました。 「坂本氏は70年代僕がまだ学生の頃に出会えてから今日まで音楽の向かうべき方向も生きて行く様も、全ての面で正に教師でした。そして何より魅力的で素敵な憧れのひとでした。今はただ茫然自失の状態です。どうか、どうかゆっくりと安らかに沈まぬ海でいてください」 YMOのマネージメントなどを担当していたブロードキャスターのピー
坂本龍一が発表した数々の音楽作品を紐解く連載「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)。第5回の書き手は、編・共著『カン大全~永遠の未来派』(2020年、ele-king books)をはじめとするさまざまな仕事で知られる音楽評論家の松山晋也。「編曲家/演奏家としての坂本龍一」に着目し、15の名曲&名演に加えて、矢野顕子『ごはんができたよ』(1980年)をとりあげてその卓越した手腕について執筆してもらった。 最初に告白しておくが、私は作曲家・坂本龍一の熱烈なファンだったことはない。よきリスナーでもなかったと思う。半世紀近くのキャリアで遺された膨大な数の作品のなかには、『千のナイフ』(1978年)や『B-2 UNIT』(1980年)をはじめ、愛聴したものは少なくないが、実際、心の底から感銘を受けたのは『async』(2017年)や『12』(2023年)など最晩年
実験のお誘いです――ミュージシャンの坂本龍一さんがこのほど、TwitterやUstreamなどソーシャルメディアを活用し、ネットユーザーを巻き込んで自身のコンサートを盛り上げていくプロジェクト「skmtSocial project」をスタートさせた。 まずは来年1月9日に韓国で開催するソロコンサート「Playing the Piano」を、Ustreamと携帯電話サイト「mu-mo」でライブ配信。さらに、このコンサートの生中継を映画館などで見るパブリックビューイングイベントの実施をファンに提案。ボランティアで協力してくれる人の募集を公式サイトで始めた。 舞台裏の様子やパブリックビューイングの準備状況などは、UstreamやTwitterのハッシュタグ「#skmts」、メーリングリストを通じて随時公開していく。「公演終了後の撤収完了時まで、あらゆる情報をすべてのネットユーザーと共有し、共に公
坂本龍一が、3月28日に逝去した。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)としての活躍はもちろん、ソロでも数々の名作を生み出してきた彼について、各メディアで様々な功績が語られている。映画『戦場のメリークリスマス』メインテーマ「Merry Christmas, Mr. Lawrence」に代表される名劇伴から、忌野清志郎との「い・け・な・いルージュマジック」といったポップスのプロデュースまで幅広い音楽を手がけてきた坂本。長きにわたる活動において、様々な気鋭アーティストとのコラボや新たな音楽ジャンルを取り入れてきた。その中で韓国のMC Sniperを迎えた「undercooled」などラッパー/ヒップホップアーティストとコラボした楽曲はメッセージ性が強いものが多いように思う。坂本はこれまで、ラップ/ヒップホップにどのように取り組んできたのか。ライター/DJの荏開津広氏に話を聞いた。 坂本は自
坂本龍一氏のニュースがバズった理由 元YELLOW MAGIC ORCHESTRAメンバーで、アカデミー賞作曲家としても世界的に知られる音楽家の坂本龍一氏が、ニューヨーク・マンハッタンにある行きつけの日本料理店「Kajitsu」のBGMがあまりにもひどいのに耐えきれず、みずから店主に申し出てノーギャラで選曲を引き受けた。 amass.jp 2018年7月末に配信されたこのニュース、『メシ通』の読者なら記憶している人も多いだろう。記事は爆発的な閲覧数となり、かの「はてなブックマーク」の数も1500に迫る大反響。ネットユーザーたちのあいだでも賛否両論が巻き起こり、とにもかくにもバズりまくった。 むしろ、ひどかった以前の選曲を知りたい。 自分も「BGMを変えてくれ」とお店に言ったことがある。 お店の雰囲気に合ったBGMが流れていると、また訪れてみたくなる。 料理、サービス、内装、そして音楽もお店
坂本龍一「日韓が国境のない小さなEUになってほしい。国境もパスポート検査もなく…」 2017-06-08 「日韓が国境のない小さなEUになってほしい」坂本龍一氏のメッセージに、韓国ネットから反響「日本が先に心を開いて」「素直に拍手を送りたい」 2017年6月7日、韓国・東亜日報によると、今年8年ぶりにアルバム「async」を発表した音楽家の坂本龍一氏が、日韓問題について「両国が国境をなくし、政治・経済自由区域になってほしい」との考えを述べた。 坂本氏はこのほど、東亜日報とのインタビューで、従軍慰安婦などの問題で日韓関係が悪化していることについてどう考えるかとの質問に対し、「私は2000年ごろから、日本と韓国が小さなヨーロッパ連合(EU)になればいいと考えてきた。EUのように国境もパスポート検査もなく自由に行き来できる政治・経済自由区域になってほしい。隣人と反目し合うという人間種族の生まれつ
× 2371 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 127 114 1802 シェア NHK Eテレの音楽教養番組「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」の第4シーズンが1月9日よりスタート。その最初のテーマとなる「電子音楽」の講義でOpen Reel Ensemble、松武秀樹、真鍋大度によるスタジオライブが放送される。 「電子音楽」の講義は、電子技術の発達により誕生した電子楽器から、録音・再生技術の進歩により生まれたCDなどのメディアまで、電気が可能にした音楽を学ぶという内容。1月9日に放送される第1回の講義ではテルミン奏者の竹内正実、オンド・マルトノ奏者の大矢素子が講師として登場し、通信技術の進歩により誕生した「電気で音を発生させる楽器」を実演する。 16日放送の第2回は、第2次世界大戦時に大きく発達した録音・再生技術から生まれた楽
世界的音楽家の坂本龍一さん(1952〜2023年)が亡くなり、世界中から哀悼のコメントが寄せられている。 ブロードキャスターのピーター・バラカンさんは、かつてYMOのマネジメント事務所で働き、通訳や国際的な業務を担っていた。1982年には、大島渚監督の名画「戦場のメリークリスマス」に出演した坂本さんに同行し、自らもエキストラ出演するなど、ともに時間を過ごした。 出会いから40年以上──年齢も同じで、ともにテレビやラジオ出演する機会もあった。坂本さんの愛称である「教授」と、ピーターと呼び合う仲。周りから見れば、長年の友人だと思う人もいるだろう。だが、本人は「友達だとは僕の口からは言えませんよ」と語る。 二人は一体どんな関係性で、ピーターさんは坂本さんから何を託されたと感じているのか。過去の思い出を回想し、坂本さんが亡くなっていまの率直な思いを明かした。 坂本龍一との出会い
NHK Eテレの人気番組「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」のシーズン4が、2014年1月から放送されることがあきらかとなった。 「スコラ 坂本龍一 音楽の学校」は、世界的に活躍する音楽家の坂本龍一がライフワークとして取り組んでいるプロジェクト〈スコラ〉をもとにした教養番組。人類の生み出した偉大なる文化〈音楽〉の魅力を解き明かすべく、坂本が講師となって音楽の真実をさまざまなスタイルで伝えていくもので、2010年のシーズン1では〈バッハ〉〈ジャズ〉〈ドラムとベース〉、2011年のシーズン2では〈古典派〉〈ドビュッシー、サティ、ラヴェル〉〈ロックへの道〉、今年1月から3月にかけてオンエアされたシーズン3では〈映画音楽〉〈アフリカの音楽〉〈オーケストラ〉がテーマとして取り上げられた。 新しく始まるシーズン4では、〈電子音楽〉〈日本の伝統音楽〉〈20世紀の音楽〉の3テーマを各4回ずつで紹介予定。坂本と
3月28日に71歳で逝去した音楽家、坂本龍一。CINRAではその膨大な音楽作品に向き合うべく、「追悼・坂本龍一:わたしたちが聴いた音楽とその時代」(記事一覧はこちら)と題した連載を始動させる。第1回の書き手は『STUDIO VOICE』の元編集長・松村正人。『async』(2017年)をとりあげて「坂本龍一の晩年性」について寄稿してもらった。 昨年の暮れあたりだったか、ふとしたはずみで友人と大江健三郎の話になり、だれもが『万延元年のフットボール』(1967年)で事足れりとするけれども後期大江こそいまいちど読みなおすべきではないかとなり、たしかに私自身敬して遠ざけてきた感なきにしもあらずであったと反省し、1982年の『「雨の木(レインツリー)」を聴く女たち』あたりから読みなおし、そういえばデヴィッド・シルヴィアンらJapanの後身にRain Tree Crowなるバンドがあって、1991年の
坂本 龍一 (さかもと りゅういち、英語: Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日[5] - 2023年〈令和5年〉3月28日[6][7][8])は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、音楽プロデューサー[9]。東京都出身[10]。 音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあり、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。1987年には日本人で唯一アカデミー作曲賞を受賞しており、映画音楽でも世界的に評価されている[11][12]。愛称は「教授」[13]。晩年は環境や憲法に関する運動にも積極的に参加していた[14][15]。1990年代中盤にはインターネットの普及に先んじて逸早くライブや作品に取り入れるなど、新技術にも興味を示していた。 幼いころから母方叔父の持っているレコードを聴いて音楽への興味を募らせつつ成長した。田園風景の濃厚に残る世田谷区
2023年3月28日に逝去した音楽家の坂本龍一(享年71)が、直腸ガンおよび転移巣の手術を受けたことを発表したのは、2021年1月のことだった。 2014年に患った中咽頭ガンはその時点で寛解していたが、2020年に新たにガンが発見されたのだという。もっとも当時のコメントには「すばらしい先生方との出会いもあり、無事手術を終えて現在は治療に励んでいます」とあり、さらに「治療を受けながら出来る範囲で仕事を続けていくつもりです」と仕事への前向きな姿勢を示していた。多くのファンは心配しつつも、安堵したことだろう。 しかし、実際の病状は、こうした前向きなコメントからは想像できないほど深刻なものだったようだ。診察した医師の口からは「余命半年」といった衝撃的な言葉まで飛び出していたのである。 文芸誌『新潮』2022年7月号から2023年2月号まで掲載された坂本の連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」には
デジタルでも「ロハス」――“ロハスな生き方”を推進する「ロハスクラブ」理事で音楽家の坂本龍一さんと、同じく理事でデザイナーの深澤直人さんが6月5日、「第1回 ロハスデザイン大賞」授賞式に出席し、リコーのデジタルカメラ「GR DIGITAL」やiPod対応ビンテージラジオを“ロハスな”商品として紹介した。 左から、スローライフを提唱する雑誌「ソトコト」(木楽舎)編集長の小黒一三さん、坂本龍一さん、アーティストの村上隆さん、アロマテラピストの大橋マキさん、深澤直人さん ロハスとは「Lifestyles of Health and Sustainability」の略で「地球環境保護と人間の健康を最優先し、人類が共存共栄できる持続可能な社会のあり方を追求するライフスタイルを指す言葉」(ロハスクラブWebサイトより)という。 ロハスデザイン大賞は、ロハスクラブがエントリーした「ロハスなヒト・モノ・コ
坂本龍一が監修する全30巻の音楽全集『commmons: schola』シリーズの映像編となる番組『“スコラ” 坂本龍一 音楽の学校』が、NHK教育テレビで4月3日からスタートすることが明らかになった。 同番組は「音楽の学校」というコンセプトのもと、各界の専門知識を持ったゲストを迎えた対談やワークショップなどを通じて、豊富な資料映像とともに音楽を深く知ることを目的としており、音楽を志す中学生から高校生を主なターゲットとなる。 第1シーズンとなる今回は「バッハ」「ジャズ」「ドラムとベース」の3シリーズを対象に、ひとつの音楽テーマを4週間にわたりで学問として掘り下げていく。ゲストは、「J.S.バッハ」 の回に浅田彰、小沼純一、岡田暁生の3名、「ジャズ」の回に山下洋輔、大谷能生、「ドラムとベース」の回に高橋幸宏、細野晴臣が登場。番組の最後には、坂本龍一による放送テーマにあわせた楽曲の演奏も予定さ
日本シンセサイザー・プログラマー協会(JSPA)は3月14日、電気用品安全法(PSE法)に対する記者会見を開催し、音楽家の立場からPSE法に対する意見を述べるとともに、経済産業省へ提出する予定の要望書を発表した。 4月から本施行されるPSE法は、粗悪品を排除して安全な電気製品を運用するために制定された法律。2001年4月1日以降は電気製品に安全確認マーク「PSEマーク」を付けて製造、販売することが義務付けられており、2006年4月以降は「PSEマーク」のない製品の販売ができなくなる。 PSE法は、家電製品のほか電気楽器、電子楽器、音響機器なども対象に含んでおり、音楽家や録音スタジオ、コンサート音響機器業者、音楽愛好家、楽器販売店も関わってくる。これに対しJSPAでは、音楽家の坂本龍一氏、松武秀樹氏、椎名和夫氏を発起人としてPSE法の対象機器への規定変更の声明を2月に発表、署名活動を展開して
音楽家の坂本龍一さんが2023年3月28日に71歳で亡くなった。訃報後初の平日となった4月3日には、テレビ各局がニュース番組で相次いで坂本さんの死を報じた。 ニュースでは、坂本さんのイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)時代を振り返る際に、グループの代表曲「ライディーン」が放送されるケースが目立った。ただ、同楽曲を作曲したのは坂本さんではなく、1月に亡くなった高橋幸宏さんであったことから、ファンの間では疑問の声が聞かれている。 「なぜどの局もライディーンなの?」 東京都出身の坂本さんは東京芸術大学大学院を卒業後、1978年に細野晴臣さん、高橋幸宏さんとYMOを結成。シンセサイザーを使ったテクノポップサウンドを生み出し、社会現象を巻き起こした。83年には大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に出演し、主題歌も制作。87年には「ラストエンペラー」の楽曲を手がけ、グラミー賞やアカデミー作
坂本龍一の訃報に接して1か月以上が経ったが、未だに私の主たる関心事は音楽、音楽史及び音楽の受容史であり続けている。 弊ブログの読者には政治に関心がある方が多いと思うので、それに絡めて書くと、私は1980年代初めに当時の国鉄吉祥寺駅*1に付随した商業施設「ロンロン」の2階で立ち読みした現代音楽の作曲家・柴田南雄(1916-1996)の本に、世界中のあらゆる国の大衆音楽がことごとく西洋音楽の語法を用いた音楽になってきているとの指摘に目を開かされた。だから柴田を含む現代音楽の作曲家たちは自国を中心とした民族音楽を取り入れようとするのかと思った。 坂本龍一自身も柴田南雄に言及している。 mikiki.tokyo.jp 以下引用する。 ――坂本さんが高校1年生だった67年11月9日に、小澤征爾の指揮、鶴田錦史の琵琶、横山勝也の尺八、ニューヨーク・フィルハーモニックにより、武満氏の「ノヴェンバー・ステ
比類なき輝きを放つ作品群を遺すとともに、「脱原発」など社会運動にも積極的に取り組んだ無二の音楽家、坂本龍一。その多面的な軌跡を「時代精神」とともに描き出す佐々木敦さんの好評連載、第3回の公開です! 1 4週間続いた新宿高校でのストライキ 新宿高校時代の有名なエピソードに、坂本龍一が中心となって行なった「ストライキ」がある。 3年生の秋ごろ、新宿高校でストライキをやりました。69年の秋ですから、当時としては遅い方なんですが、安保条約とかベトナム戦争とか、そういう一般的な問題ではなくて、ローカルな、学校の個別課題に関しての運動でした。たしか具体的な要求を7項目、学校に突きつけました。制服制帽の廃止、すべての試験の廃止、通信簿の廃止、等々。(『音楽は自由にする』) このときのことは、「3バカトリオ」の塩崎恭久と馬場憲治の対談「革命同志・坂本龍一を偲ぶ」(『文藝春秋』2023年6月号)でも語られて
※中編はこちらから ※後編はこちらから 『戦場のメリークリスマス』あらすじ 1942年戦時中のジャワ島、日本軍の俘虜収容所。そこには粗暴な軍曹ハラと日本語が流暢な英国軍中佐ロレンス、そして収容所長のヨノイ大尉がいた。そこへある日、英国軍少佐セリアズが連れてこられ、ヨノイはその反抗的な態度に悩まされながらも、彼に魅せられてゆく。 毎年クリスマスになると「Merry Christmas Mr.Lawrence」が聴こえてくる。言わずと知れた大島渚監督の代表作『戦場のメリークリスマス』のために坂本龍一が作曲したものだ。ジャワの日本軍捕虜収容所を舞台に、捕虜への虐待など、これまで日本の戦争映画が避けてきた〈敵〉の存在に目を背けることなく、深い友情でつながる姿を、デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけしという異色のキャスティングでドライに描いた本作。公開から38年以上を経た今も根強い人気をほこって
がんの闘病生活を続けてきた坂本龍一さんは、月刊雑誌で、去年7月号からことし2月号まで『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』と題する自伝を連載していました。この連載を担当し、20数年間、親交を続けてきた編集者の鈴木正文さんに坂本さんの最後の様子について話を聞きました。 連載では坂本さんが「何もしなければ余命半年です」と医師に告げられたことや、息子に教わり、ふだんは聞くことがなかったアメリカのカントリーの曲に思いがけず心を動かされ、涙を流したことなどがつづられています。 鈴木さんは、連載のためのやりとりの中で、坂本さんが、毎回、音楽だけでなく社会に対するメッセージを発し続けていたことに感銘を受けたと振り返りました。 「音楽はもちろんですが、原発や安保法制、気候の問題など、すべての人の文化的、現実的な生活に影響がある大事な問題について、積極的に見解を述べていました」最後に会った先月8日には、坂本さ
エイドリアン・ブリュー(Adrian Belew)は、サイトInnerviewsのインタビューの中で、レコーディングに参加した坂本龍一『左うでの夢』を中心に、思い出に残っている日本でのエピソードについて語っています。ギターで動物の鳴き声を再現した1990年の日本のCMについても話しています。 「僕は1979年にデヴィッド・ボウイと一緒に日本に行ったんだ。初めての日本だった。大変なことになったんだよ。そのコンサートはテレビ中継され、日本の人口の4分の1、2,500万人くらいが観たと言われているんだ。僕は日本で一躍スターになったんだよ。翌年、僕はトーキング・ヘッズと再び訪れたんだけど、彼らは日本で人気の絶頂期にあって、これもまた日本では大きなイベントとなったんだ。またしても、僕はヒーローになったんだよ。その後、坂本龍一から彼のアルバムで演奏してほしいという電話があったんだ。イエロー・マジック・
関連トピックスTwitter関西電力原子力発電所【動画】大飯原発再稼働反対、官邸前で抗議行動関西電力大飯原発の再稼働に抗議して、首相官邸前に押し寄せる参加者=6日午後7時24分、東京・永田町、福留庸友撮影関西電力大飯原発の再稼働に抗議して、首相官邸前に押し寄せる参加者=6日午後7時36分、東京・永田町、長島一浩撮影 関西電力大飯原発(福井県おおい町)の再稼働に反対する大規模な抗議行動が6日夜、首相官邸前で行われた。参加者は主催者発表で15万人(警視庁調べで約2万1千人)。毎週金曜日に行われており、この日も、インターネットでの呼びかけなどに応じた市民らが「脱原発」などと書かれたプラカードを手に集まった。 午後6時、小雨の天気にもかかわらず、霞が関から官邸前へと続く歩道を、続々と市民らが埋めていった。「首相は声を聞け」「再稼働反対」。年齢も職業もさまざま人たちがマイクを手に官邸に向かって訴
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中咽頭がんを患い療養中の音楽家坂本龍一(63)が、映画「母と暮せば」(山田洋次監督、12月12日公開)の音楽を担当し活動を再開するにあたって、現在の心境を明かした。 坂本は3日、公式サイトに文書を掲載。昨年、咽頭がんに罹患(りかん)していることがわかりすべての仕事をキャンセルして治療に専念することになったことにより迷惑を掛けたとして関係者に謝罪するとともに、多くのファンや友人からの励ましを受け、「こんなに心に響いたことはありませんでした。ありがとうございました」と感謝した。 病気の発覚については「実は自分が1番驚いたのです」と振り返った坂本。20年以上前から健康に大きな関心を寄せ、マクロビオティックや無農薬有機食品を摂ることなどを心がけてきたという。そんな健康への自信から、喉に違和感を感じた際も、「万が一にもそれががんだとは疑いもしなかったのです」と明かした。 病気発覚から1年が過ぎ、「お
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70年代の中央線文化 考えてみると、当時は中央線沿線の町にいることが多かったですね。高円寺、阿佐ケ谷、吉祥寺、三鷹、国分寺。中央線沿線はフォークの中心地でしたが、その一方で、有機栽培の店とか、整体、ヨガ、合気道の情報なんかも集まっていた。国立で、日本のヒッピーである「部族」の人々に会ったり。部族の創始者である山尾三省さんには、屋𥔖島で、三省さんが亡くなる少し前にお会いしました。 70年代に入り、新左翼運動がつぶれてしばらくして、みんな新しい出口を探していたんだと思います。ヤマギシ会のようなものができたり、日本の環境運動が生まれたのもあのころかもしれない。そういうニューエイジ的な動きの中心になっていたのが、中央線沿線でしたよね。 ぼくもそういう動きに関心はあったけれど、政治に負けたからといって、じゃあ有機農法だとか部族だとか、そっちに行っちゃうのは負け犬だと思ったりもして、あまり近寄りませ
細野晴臣が東京・EX THEATER ROPPONGIで行う2DAYSライブの初日として、坂本龍一とのコラボライブ「細野晴臣×坂本龍一」が12月21日に開催された。このライブには高橋幸宏、伊藤ゴロー、青葉市子、小山田圭吾、U-zhaanといった豪華ゲストが入れ替わり立ち代わり出演。細野と坂本がこれまでのキャリアで発表してきたさまざまな楽曲が演奏された。 開演するとまずは細野と坂本が2人だけでステージに姿を現し、「今日はこういうメンバーだけど、シンセないし、YMOじゃないんだよね」「できるのかな?」といったトークを交わしつつ「恋は桃色」を披露。細野がアコースティックギターを爪弾きながら歌い、坂本がピアノで伴奏を付けていく。アーヴィング・バーリンのカバー「The Song is Ended」では細野が歌い出しのメロディを急に忘れてしまいやり直す一幕も。2人は「緊張するね」と言いつつも、リラック
リ・リ・リリッスン・エイティーズ〜80年代を聴き返す〜 Vol.39 坂本龍一 / B-2 UNIT 坂本龍一が、どんなに忙しくてもどうしてもつくりたかったソロアルバム 以前、大貫妙子の『ROMANTIQUE』について書いた時にもちょっと触れましたが、坂本龍一 “教授” の1980年は(その前後もそうなんですが)、信じられないくらいの過密スケジュールでした。列記してみます。 1979年 12月19日、“Yellow Magic Orchestra” の最初のワールドツアー「TRANS ATLANTIC TOUR」 最終日(東京・中野サンプラザ) 1980年 2月1日、YMOライブアルバム『パブリック・プレッシャー/公的抑圧』リリース 3月21日→4月15日、YMO最初の国内ツアー「TECHNOPOLIS 2000-20」 3月25日、Phew1stシングル「終曲(フィナーレ)/うらはら」リ
ITmedia NEWSにおける1週間の記事アクセス数を集計し、上位10記事を紹介する「ITmedia NEWS Weekly Top10」。今回は2023年3月25日から3月31日までの7日間について集計し、まとめた。 先週のITmedia NEWSアクセス上位は、多様な記事が彩った。3位は、家庭用Wi-Fiルーターの不正利用に関する警視庁の注意喚起に関する内容。「従来の対策のみでは対応できない」として、「見覚えのない設定変更がなされていないか定期的に確認する」対策を推奨しているのだが、専門家から「そんな無茶な」「エンジニアでも大変なのに、一般の人にできるのか」といったツッコミが相次いだ。 坂本龍一さん死去 ドリームキャストの美しい起動音も 2023年3月28日、音楽家の坂本龍一さんが死去した。71歳だった。 所属するテクノポップグループ・イエローマジックオーケストラ(YMO)の楽曲、映
5月29日(土)放送のNHK教育「“スコラ” 坂本龍一 音楽の学校」にて新章「ドラムズ&ベース」編がスタート。この番組に坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏、小山田圭吾、権藤知彦、ピーター・バラカンが出演する。 この番組のもととなっているCD書籍版「commmons: schola」のドラムズ&ベース編でも、YMOの3人とピーターはアメリカのソウルやファンクの名ドラマー、名ベーシストを素材に音楽談義を繰り広げている。 大きなサイズで見る(全3件) 4月の放送スタートからバッハ編、ジャズ編を経て、第3シリーズのテーマは「ドラムとベース」。特集は4週にわたってオンエアされ、29日(土)の第1回はドラムとベースの成り立ち、リズムの役割を学ぶ。 番組ではゲスト講師に細野晴臣、高橋幸宏、イギリス出身の音楽評論家ピーター・バラカンを迎え、1940年代から60年代の楽曲を聴きながらジャズやR&B、ロックといった
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