実家は裕福な農家で6人きょうだいの末っ子だった-。野村悟被告(74)は過去の公判で自身の生い立ちをこう説明した。父は北九州市内に田んぼや山林を多数所有し、約30年前に母が亡くなった際には7億円を相続したという。 暴力団に加入したのは1972年ごろ。知人によると、暴力団抗争の際には札束を詰めた箱を差し出し、仲間の組員に「好きなだけ持っていけ」と、資金力を見せつけたエピソードが語り継がれている。80年ごろからは賭場を開帳し、「最高で1日2億円を稼いだ」と公判で語った。会の内情に詳しい捜査関係者は「豊富な資金を背景に組織内でのし上がった」と話す。 2000年に会の事実上のトップに就任し、絶大な権力を掌握。直接話ができるのは一握りの幹部で、ある組員は「末端にとっては雲の上の存在」。野村被告宅は「本家」と呼ばれ、「部屋住み」や「当番」の組員が身の回りの世話をした。公判で組関係者が証言に立つ際、被告に