いくらなんでも福田和也が可哀そうすぎる…… 「文壇は再び阿鼻叫喚に!禁断のベストセラー復活 2000年のベストセラー福田和也著『作家の値うち』の「令和版」が文藝評論家・小川榮太郎氏を著者に迎え刊行!…」 ⇒小川榮太郎 『作家の値… https://t.co/oXnCPmoyMo
芥川龍之介賞、三島由紀夫賞、野間文芸新人賞をすべて受賞した「三冠小説家」である笙野頼子が「文壇」からパージされつつある。 去る5月、笙野は『発禁小説集』を上梓した。版元は、長野の小さな出版社・鳥影社。収録作の初出は大半が講談社の文芸誌『群像』だったが、同社に刊行できないと拒否されたのである。それで「発禁」。作中にある「ご主張」が不可の理由として告げられた。 どんな主張か。性自認至上主義に社会が侵食されることへの批判と恐怖である。性別が自己申告で通れば脅かされるのは生物学的女性だと笙野は警告する。「女が消される」「女消運動」とまで強い表現も用いる。それは性自認にちょっとでも懸念や疑問を挟むと、「ターフ!」(TERF=トランス排除的ラディカルフェミニスト)と差別者認定され吊し上げられる風潮への抵抗である。この原稿を書いたことで私も差別者と呼ばれるであろう。 片やトランス擁護者は「TRA(トラン
新進気鋭の風俗ライターとして、タモリ倶楽部にも出演した山下素童さん。その類まれな観察眼と描写力から生まれる文章の熱狂的なファンは多いです。 そんな山下さんの初連載の舞台は、いま新しいお店・若いお客さんが増えているという「新宿ゴールデン街」。 前回は、SNSのメッセージをきっかけにゴールデン街で出会った女性とのエピソードでした。 今回は新年特別編として、2022年のゴールデン街での出来事を山下さんが振り返ります。 どうして先行き不安な30歳になってしまったのか 皆さん、2022年はどんな年でしたか? 僕は、新宿のゴールデン街という街で頻繁にお酒を飲むようになり、いつの間にか本職だったシステムエンジニアをやめて、ゴールデン街の『月に吠える』というプチ文壇バーで金曜日の24時から朝まで週に1回店番をするだけの、先行き不安な30歳になった年でした。 どうして先行き不安な30歳になってしまったのかを
芥川龍之介賞、三島由紀夫賞、野間文芸新人賞をすべて受賞した「三冠小説家」である笙野頼子が「文壇」からパージされつつある。 去る5月、笙野は『発禁小説集』を上梓した。版元は、長野の小さな出版社・鳥影社。収録作の初出は大半が講談社の文芸誌『群像』だったが、同社に刊行できないと拒否されたのである。それで「発禁」。作中にある「ご主張」が不可の理由として告げられた。 どんな主張か。性自認至上主義に社会が侵食されることへの批判と恐怖である。性別が自己申告で通れば脅かされるのは生物学的女性だと笙野は警告する。「女が消される」「女消運動」とまで強い表現も用いる。それは性自認にちょっとでも懸念や疑問を挟むと、「ターフ!」(TERF=トランス排除的ラディカルフェミニスト)と差別者認定され吊し上げられる風潮への抵抗である。この原稿を書いたことで私も差別者と呼ばれるであろう。 片やトランス擁護者は「TRA(トラン
本作は、フリーライターで作家の故・永沢光雄氏(1959~2006年)について、プチ文壇バー月に吠える店主の肥沼和之が執筆したルポルタージュです。 プロローグ「ライターをするのならさ」 30代後半の週刊誌記者は、酔いでややとろんとした目を僕に向けて言った。深夜2時、新宿ゴールデン街。2010年のことだった。フリーライターになったばかりで、当時30歳の僕に、この本は絶対に読んだ方がいいよ、と彼は著者名とタイトルを挙げていった。沢木耕太郎『深夜特急』、山際淳司『江夏の27球』、本田靖春『誘拐』など、知っていたり知らなかったりするノンフィクションが挙げられ、最後に紹介されたのが故・永沢光雄の『AV女優』だった。 1996年に刊行された『AV女優』は、その名の通りAV女優たちへのインタビュー集である。僕は未読だったが、読書好きの友人が絶賛しており、その存在は知っていた。 単なる読書好きに勧められたの
・・・・・・ 浅田彰の正体(5)・・・吉本隆明の『 転向論』の哲学から、「浅田彰の正体」を読み解く。 浅田彰が『 構造と力』でデビューたのは1983年だった。その年、小林秀雄が死んでいる。私は、この年が、大きな転換点だったと思う。論壇や文壇を中心に、ジャーナリズムも含めて、いわゆる「ニューアカ」ブーム、「ポスト・モダン」ブームが起き、思想的には「転向の季節」を迎えるからである。その当時の青年、学生、労働者たちは、全共闘運動やあさま山荘事件、連合赤軍事件、三島由紀夫割腹事件・・・などを経て、あまりにも過激な動乱期を体験したが故に、行く先を見失って、疲労困憊し、右往左往していた。そこに、「ニューアカ」ブームと「ポスト・モダン」ブームが起きる。途方に暮れていた青年、学生、労働者たちが、その新しい思想に飛びつく。というより、彼等が、その新しい思想運動の担っていたのかもしれない。一斉に転向していくの
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黒川検事長、賭け麻雀で辞任。スクープを取ったのは『週刊文春』。 という報を目にした時、「積年の恨み、遂に晴らさる!」という活字見出しが脳裏に浮かんだ。もちろん現代に、そんな粋な見出しを書く媒体は存在しないのだが。『文藝春秋』が創刊された大正~昭和初期であったら、きっと文筆家たちが湧き立って書いていただろう。 ◆ 無類のギャンブル好き『文春』創業者・菊池寛『週刊文春』の親会社である文藝春秋を創業したのは、『真珠婦人』などで知られる 作家の菊池寛 。無類のギャンブル好きで、特に競馬と麻雀に熱中し、多数の著作を遺しているだけでなく、麻雀連盟の初代総裁 にまで就任している。 『文藝春秋』が創刊された大正末期から昭和初期には、文士たちの間で賭け麻雀や花札が流行しており、昭和8年に世間を騒がせた「文士賭博事件」では、久米正雄・里見弴らを含む9名が一斉検挙・起訴され、罰金刑を受けた。 その時の身元引受人
…俳優の吉高由里子が、2024年放送のNHK大河ドラマ『光る君へ』で主演を務めることが決定。女性が主役の大河ドラマは2017年『おんな城主 直虎』(柴咲コウ)以来、7年ぶり。吉高は、『篤姫』(2008年)以来、2回目の大河ドラマで『源氏物語』を書き上げた紫式部/まひろを演じる。 紫式部は、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書きあげた女性。「光源氏」の恋愛ストーリーの原動力は秘めた情熱と想像力、そしてひとりの男性への想い。その男性の名は藤原道長。変わりゆく世を自らの才能と努力で生き抜いた女性の愛の物語… www.oricon.co.jp 今回の「鎌倉殿の13人」の源平鎌倉ブームもそうだろうけど、「大河ドラマが『マイナーな題材を扱う』ことはあり得ない。大河が扱った瞬間から、少なくとも1,2年はその時代が”メジャー”になるからだ…」という見立ても、あまり外れてはいないだろう。 ただ、どの
文学通信|多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出す出版社 日本語・日本文学の研究書を中心に、人文学書全般を刊行する出版社、文学通信のブログ。 文学だけにこだわらず周辺領域も含め、意欲的に刊行していきます。 出版活動と同様に、webでも積極的に活動することで、多様な情報をつなげ、多くの「問い」を世に生み出していきたいと思います。 〒113-0022 東京都文京区千駄木2-31-3 サンウッド文京千駄木フラッツ1階101 電話03-5939-9027 FAX03-5939-9094 info@bungaku-report.com インボイス登録番号:T4011501023591 Tweet Share on Tumblr コーナートップへ 【はじめに】 「文壇:文筆活動をしている人たちの社会。作家・批評家などの集団。文学界。」(『大辞林』第3版)。 このように定義される「文壇」はいつ・
坪内祐三と福田和也が2002年から2018年まで週刊誌『SPA!』で行っていた連載対談の表題一覧である。★は単行本未収録を示す。脚注は単行本収録時の改題を示す。VOL.024は飛ばされたため欠落していると思われる。 単行本化第①弾『暴論・これでいいのだ!』から第⑥弾『羊頭狗肉』までがカバーしているのはVOL.001~550であるが、単行本収録数は第①弾80回・第②弾70回・第③弾50回・第④弾50回・第⑤弾50回・第⑥弾65回の計365回分であり、単行本未収録数は計184回分である。これに単行本化されていないVOL.551~706の156回分を加えると全705回の内の340回分が現在のところ単行本未収録ということである。 ①『暴論・これでいいのだ!』、坪内祐三✕福田和也、扶桑社、2004年11月20日初版第1刷発行 構成/石丸元章 協力/石黒隆之 テキサス・アウトローズ写真提供/昭和プロレ
夏目漱石、森鴎外、太宰治など、明治・大正・昭和に活躍した文豪たちの悪口や皮肉を集めた『文豪の悪態――皮肉・怒り・嘆きのスゴイ語彙力』(朝日新聞出版)。本能むき出しに怒りをあらわにする作家たちの言葉には、圧倒的な「個性」があふれている。本書の著者で大東文化大学教授の山口謠司氏が、「文藝春秋」創業者の菊池寛が憤激して起こした暴行事件を紹介する。 * * * 昭和5(1930)年8月、作家の広津和郎(1891-1968)は、雑誌「婦人公論」に小説の連載を始めた。タイトルは『女給』である。女給とは、明治末年から昭和初期に掛けて、和服の女性が白いエプロンをつけて、給仕をしたりお酌をしたり、時には一緒に席について話したりする女性のことである。当時のいわゆる「カフェー」で、大いに流行った。 連載にあたって、「婦人公論」は、「文壇の大御所、モデルとして登場!」と大きく新聞に広告した。当時、「文壇の大御
巌谷大四『物語大正文壇史』を読み始めている。 大正期の文筆家のエピソードが沢山取り上げられていて、ざっと目を通しただけでもよし、 その中から気になった事柄をさぐるキッカケにもなる本だ。 作者について 巌谷大四さんは、巌谷小波さんの四男で文学評論家である。 巌谷小波さんは言わずと知れた 児童文学の大家。 桃太郎や花咲じいさんなどの民話は小波さんの手で再生されたものらしい。 実はこの本を《巌谷小波さんの本》だと勘違いして借りてきた。 《大正》とあるので、お父上の著作物だと勝手に思い込んでしまったのだ。 間違ったものの読んでみると、内容はわかりやすく、借りてきて良かったと思った。 明治から大正にかけての文壇の様子・関係性もわかる資料として手許に置きたい一冊だ。 例えば。 冒頭、明治残影の「明治天皇崩御・乃木大将殉死と作家の反応」では、 徳冨蘆花、夏目漱石、森鴎外、田山花袋、芥川龍之介、志賀直哉、
文壇バー「風花」。創業43年になるが、カウンターは美しく磨かれ、椅子も西部邁の〝プレゼント〟で整えられている。カウンター奥はオーナーの滝澤紀久子さん=28日、東京都新宿区新宿5丁目(菅原慎太郎撮影) 東京・新宿の「文壇バー」として知られるバー「風花」(かざはな)が移転することになり、多くの作家たちに親しまれたカウンターと小さなテーブルだけの店舗は年末の30日でシャッターを下ろす。平成30年に多摩川で自死した保守思想家の西部邁が死の直前に立ち寄った店としても知られるが、オーナーの滝澤紀久子さん(83)は「悲しいこと、うれしいこと、いろんな思い出が詰まった場所とのお別れは、やっぱり寂しいわね」と話している。 西部邁氏風花は昭和55年に新宿の繁華街のはずれ、「新宿五丁目」のビル街の一角に、当時OLを辞めたばかりだった滝澤さんがオープンした。戦後生まれ初の芥川賞作家・中上健次も通い、いまも多くの作
<有名作家の愛人となり、深い傷を負った女性が綴った『同意』が象徴的だが、白人男性主導の文学にあらがう動きがフランスで顕在化している。論壇誌「アステイオン」94号「弱き者よ、汝の名は白人男性作家なり?」より> おそらく欧米諸国に共通して見られる傾向だろうが、現在のフランス文学において際立つのは「白人男性作家」の置かれた状況の厳しさである。苦境とか、弱体化といった言葉さえ頭をよぎる。 21世紀に入ってからの流れとして、そもそも女性作家の活躍が目立つ印象はあった。それがこの数年、性差別や人種差別の根の深さを窺わせる事件の続出や、#MeToo運動の広がりとともに、白人男性主導の文学にあらがう動きがフランスでは俄然、顕在化している。 象徴的な意味をもつのは、ヴァネッサ・スプリンゴラの『同意』(原書2020年刊、内山奈緒美訳、中央公論新社)だ。14歳で、有名作家Gに籠絡され愛人となり、やがて精神に深い
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う飲食店などの休業要請は19日、全面解除された。しかし、遠のいた客足はすぐ元通りとはいかないようだ。高級バーやクラブがひしめく東京・銀座も例外ではない。銀座で40年以上営業を続けている老舗文壇バー「ザボン」の水口素子ママに窮状を聞いた。 銀座6丁目。高級ブランド店が軒を連ねる並木通りに面した雑居ビルの4階に「ザボン」はある。およそ20坪(約66平方メートル)のこぢんまりとした店内。白い革張りのソファが高級感を醸し出す。壁には絵が掛かっている。よく見れば、さいとう・たかをさんの「ゴルゴ13」が何枚もある。素子ママはそのうちの1枚を指さした。 「あれは6月3日にいただいたの。宝石でできているんですって。たかを先生はとても人情味のある方で、いろいろと心配してくださるんですよ。『ザボンがなくなったら、わしゃ飲みにいくところがないで』なんておっしゃって。この絵も『コロ
昨夜は、三島由紀夫の『憂国忌』だったが 、私は、作家の岳真也さんの出版記念の会の方に行ってきた。岳真也さんは、大学生時代からの友人で、同人雑誌仲間である。最近は歴史文学の世界で 活躍。『光秀の言い分 』と、一昨年、急死した次男を描く私小説『逆縁 』の出版を祝う会。新宿駅東口の某所(居酒屋)で。いろんな人に会った。普段、会えないような人達・・・。『 早稲田文学 』の編集部の面々、その中に、新宿の文壇バー『風花 』でアルバイトをしていて、よく知っている女性も。他にも『 文芸思潮』の五十嵐勉さん、偶然、臨席になった女性は、都議(生活ネットワーク)の山内れいこさん、児童文学の浜田さん・・・。元首相の菅直人氏や参議院副議長の小川敏夫氏らも。みんな現役で、若い。僕も頑張らなくちゃと思う。やる気が出てきた。
・・・・・・ 小林秀雄とマルクス(3)。 小林秀雄が、文壇や論壇にデビューした昭和4年当時 、マルクスやマルクス主義に関して、かなり深い知識と教養を有していたことは、今から考えると、明らかである。小林秀雄のマルクス理解は、かなり底が深い。「搾取」とか「剰余価値」、「唯物史観」・・・というような表層的な理解ではなく 、『様々なる意匠』を見ても分かるように、「価値論」や「商品論」とかいうような、『資本論 』の冒頭にある、もっとも難解な、もっとも原理論的な部分への理解である。しかし、当時のマルクス主義者を中心に、多くの左翼系の知識人や文化人・・・が、一介の「文芸評論家」にすぎない小林秀雄が、マルクスやマルクス主義について、それほど深い理解wが出来ていたはずはない、おそらくほとんど何も知らず、無知蒙昧な議論をしているだけだと、傲慢にも「誤解」し、「錯覚」していただろうことも、明らかである。実は、小
2020.10.04 12:00 中上健次が「長雨」に魅せられた理由。朝鮮戦争を描いた文学と日本の文壇との関わり/斎藤真理子の韓国現代文学入門【3】 振り返ると、韓国文学が話題になることはこれまでにも何度か断続的に起きてきました。例えば70年代前半に、金芝河(キム・ジハ)ブームというのがありました。軍事独裁政権に抵抗して死刑判決を受けたこの詩人の作品が続々と刊行され、よく読まれました。しかし、作品そのものの評価よりは詩人本人への興味や、その政治的立場への支持が先行していた印象があります。 作品そのものが非常に注目を集めた例としては、1979年に刊行された尹興吉(ユン・フンギル)の短編集『長雨』(姜舜(カン・スン)訳、東京新聞出版局)が筆頭に挙がると思います。 これは、私自身も読者としてよく覚えている事例です。全く知られていなかった韓国の小説の書評が複数の媒体に載り、何か新鮮な、日本文学に刺
文壇ゴシップニュース 第2号 ヤクザに自分の糞を拾わされた武田泰淳、ツルゲーネフとドストエフスキーの対決 ヤクザに自分の糞を拾わされた武田泰淳 終戦後、物資が払底した日本ではカストリという酒が流行った。サツマイモやコメを原料にした粗悪な密造酒で、味わうというよりかは酔っぱらうための酒だった。 当時、有楽町駅の東側にカストリ横丁と呼ばれた一画があり、そこでは五、六人も入れば一杯になるバラックの飲み屋が軒を連ねていた。 その中の一つにお喜代という店があり、作家連中のたむろする場所として知られていた。常連だったのは、立野信之、寺崎浩、中島健蔵、高見順、田村泰次郎、武田泰淳、梅崎春生、吉田健一、河上徹太郎など。 ある時、お喜代の酒が原因で次のような珍事が起きた。 或る日、まだ、その頃、戦闘帽に軍靴をはいた吉田健一氏が、眼鏡のツルのこわれたのを、ひもか何かでかがったままでかけた武田泰淳氏と二人で現れ
同時代の文士や思想家、政治家の行動、「そのつながりや関係や影響を明らかにすることに全力をつくした」という菊池寛賞受賞の伊藤整畢生の明治文壇史・全十八巻の"1"。仮名垣魯文、… 同時代の文士や思想家、政治家の行動、「そのつながりや関係や影響を明らかにすることに全力をつくした」という菊池寛賞受賞の伊藤整畢生の明治文壇史・全十八巻の"1"。仮名垣魯文、福沢諭吉、鴎外、柳北、新島襄、犬養毅ら、各界のジャーナリズムを動かした人々。坪内逍遥の出現と、まだ自己の仕事や運命も知らずに行き合う紅葉、漱石等々を厖大な資料を渉猟しつつ生き生きと描写する人間物語。 読書家の友人にすすめられて読んでみたのだが、いやー、面白かった、伊藤整の『日本文壇史1――開化期の人々』(講談社文芸文庫)。 例によって私は知らなかったのだが、この『日本文壇史』って凄い本だったのね。まず第一にボリュームからして凄い。何しろ、雑誌『群像
自分の容姿のせいなのか、バーの店番をしていると、ご年配のお客の方から時々「学生さんですか?」と声をかけられることがある。そのたびに「学生かと問われると、たしかに学生ではあります」という微妙な返答をして、その場の雰囲気を変な感じにしてしまう。 僕はたしかに「大学生」ではある。それは胸を張って言える。ただ、そこに31歳、既婚者という情報をプラスすると、聞き手の側は確実に微妙な顔をする。好意的に解釈してくれる方は「社会人大学院生ですか?」とか「研究職の方ですか?」といった質問に続けてくれる(それも誤解なのだけど)。中には「31歳で学生って何をやっているんだ?」と返してくる方もいる。「大学生=20代」というイメージが当たり前となっているので、この反応は至極当然のことだろう。 より正確に言えば、僕は「放送大学の学部生」だ。かれこれ5年ほど学生を続けている。 放送大学は、"国が設立した私立の通信制大学
Posted November. 03, 2018 09:07, Updated November. 03, 2018 09:07 高銀(コ・ウン)詩人(85)のセクハラ疑惑を暴露して名誉毀損で訴えられた崔泳美(チェ・ヨンミ)詩人(57・女)は2日、「韓国文壇では、パンドラの箱はまだ開けられなかった。より多くの犠牲者がMeToo(私もやられた)を叫んでこそ世の中が変わる」と語った。 崔詩人は同日、ソウル東大門(トンデムン)デザインプラザ(DDP)で「新しい常識、個人が変える世界」をテーマに開かれたフォーラムに出席して、「性犯罪は人格殺人に相当するだけに、時効を廃止しなければならない」と主張した。 崔詩人は、文壇に蔓延している性犯罪問題を暴露した。氏は、「三十になるまで社会の辺境をさまよった末に詩人になった。登壇後、文壇の飲み会に出席したが、多くの場合不快なことを経験した。最初は怒っていた私
作家。旧姓は中条、本名はユリ。東京生まれ。日本女子大学英文科中退。1916(大正5)年(17歳)坪内逍遙の紹介で中条百合子「貧しき人々の群」を「中央公論」に発表。1918年父精一郎と渡米。翌年コロンビア大学聴講生となるが、ニューヨークで古代東洋語の研究者荒木茂と知りあい結婚。12月帰国。1924年離婚。以後ロシア文学者湯浅芳子と同居生活に入る。この間「伸子」執筆に専念。1927年12月湯浅とともにソ連に外遊。滞在中に西欧旅行など経たのち1930(昭和5)年11月帰国。翌月日本プロレタリア作家同盟に加入。1932年2月宮本顕治と結婚。1933年12月日本共産党スパイ査問事件に関する容疑により顕治検挙。翌年中条から宮本へ改姓。敗戦までの厳しい期間のなか百合子も投獄・執筆禁止などをくりかえしながら作家活動に励む。1945年10月顕治釈放。夫とかわした書簡はのちに「十二年の手紙」として刊行。戦後も
震災当時の浅草寺仁王門前。中央に積み上げられているのは自警団が「朝鮮人狩り」に使用した金棒や竹槍。(『関東大震災写真帖』日本聯合通信社・1923年) 朝鮮人虐殺という未曾有の惨劇は、作家の目にどのように映ったか。そして、どのように作品描かれたのだろうか。当時、多くの作家が震災の風景をつづったが、そこには文壇作家の限界が見て取れる。(劉永昇) ◆震災文学 近代国家・日本が経験した初めての大震災は、〈震災文学〉と呼ぶべき一群の文章を生み出す。その多くは日記、手記、ルポルタージュという形をとった。作家の日記や手記には、被災体験とともに虐殺を見聞した記述があちこちに見られる。 志賀直哉は『震災見舞』に、 「丁度自分の前で、自転車で来た若者と刺子を着た若者とが落ち合ひ、二人は友達らしく立話を始めた。…「―鮮人が裏へ廻つたてんで、直ぐ日本刀を持つて追ひかけると、それが鮮人でねえんだ」…「然しかう云ふ時
The variety names are Hayasaki Seto(Known as the strait between the Shimabara Peninsula and the Amakusa Islands), “Setouchi region”, and "fragrance". Old Named registered varieties: Registration number: Tangor Norin No.8 Registration date: August 21, 1998(Kuchinotsu No. 19 Mandarin Orange) In Україна, after the unilateral annexation of the southern Crimean Peninsula by Russia in 2014, Russian-back
86歳・筒井康隆さんの最新短編集「ジャックポット」発売即重版…昨年急逝の一人息子との夢の中での再会描く「川のほとり」が文壇の話題に 作家デビュー62年目を迎えた筒井康隆さん(86)の最新作「ジャックポット」(新潮社刊)が文壇の注目を集めている。収められた14本の短編は言葉の洪水が続く超実験小説「漸然山脈」から自身の20歳からの世相をノスタルジックに振り返る「一九五五年二十歳」など名編ぞろい。中でも評判なのが、昨年2月に急逝した長男で画家の筒井伸輔氏(享年51)との夢の中での再会をつづった私小説的作品「川のほとり」。日本文学界の巨星が新刊に込めた思いを明かした。(中村 健吾) 1月発売の文芸誌「新潮」2月号に掲載された途端、あらゆる文学関係者が泣いたと評判になった作品が短編集の最後に収録されている「川のほとり」。昨年2月、食道がんのため、51歳の若さでなくなった一人息子・伸輔さんのことを書い
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