2001年10月、青塚慎一さんは家族4人で茨城県神栖市木崎の一戸建て借家に引っ越してきた。住宅街はサッカーJ1の鹿島アントラーズの本拠地から車で約30分、周囲には畑も残る。しかし、転居直後から全員の体に原因不明の変調が現れ始めた。手の震えやめまい、ふらつきなどの神経症状が止まらない。特にひどかったのはまだ乳児だった長男の琉時さん。母の美幸さんによると、頻繁にけいれんに襲われ、医師から「一生歩けないかもしれない」と通告された。21歳になった今も、精神の発達遅れなど重い障害が残る。
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独極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の広報、クリスチャン・リュート氏。ベルリンにて(2017年3月9日撮影)。(c)Odd ANDERSEN / AFP 【9月29日 AFP】ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は28日、党の広報を長く務めるクリスチャン・リュート(Christian Lueth)氏が、銃や毒ガスによる移民殺害について語ったとの報道を受け、同氏を「即時解任」した。 【関連記事】ドイツの極右政党、ファシストを自称の報道官を停職処分(4月27日) 反イスラム、反移民を掲げる連邦議会最大野党、AfDはAFPの取材に対し、扇動的な発言をしたことが発覚したリュート氏を「即時解任」したと語った。 独ニュースサイト「ツァイト・オンライン(Zeit Online)」は、リュート氏が今年2月、動画共有サイト・ユーチューブ(YouTube)で報道活動を行う右派寄りの記者と
ベルギー西部イーペルの草原に建ち並ぶ戦没者の墓。深紅の花が墓石周辺に咲いていた=2014年6月、篠田航一撮影 フランスとの国境に近い人口4万人ほどの小さな町、ベルギー西部のイーペルには、一つの言い伝えがある。多くの血を吸った大地には真っ赤な花が咲くという。この町を訪れた時、確かに驚いた。戦没者の白い墓石が並ぶ草原には、あまりに鮮やかな深紅のバラやポピーが咲いていたからだ。 この町は今、3年に1度開かれる「ネコ祭り」で有名だ。世界各地からネコ好きが集い、ネコの仮装をして楽しむ。中世に毛織物産業で栄えたイーペルでは、商品をネズミに荒らされないように飼っていたネコが繁殖しすぎてしまい、後にネコを駆除した歴史がある。この悲しい過去を忘れないために行われているイベントという。 だが最初にイーペルを世界的に有名にしたのは、1914年に始まった第一次世界大戦である。ここは史上初めて本格的な毒ガス戦の舞台
リンク Wikipedia シュレーディンガーの猫 シュレーディンガーの猫(シュレーディンガーのねこ、シュレディンガーの猫とも、英: Schrödinger's cat)は、1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した物理学的実在の量子力学的記述が不完全であると説明するために用いた、猫を使った思考実験。 シュレーディンガーは、EPR論文を補足する論文の中で、観測されない限り重ね合わせであるとして記述すると、巨視系の状態が"状態見分けの原理"(巨視的な観測をすれば区別できる巨視系の諸状態は、観測の有無にかかわらず区別できるとする 246 users 722 リンク Wikipedia トロッコ問題 トロッコ問題(トロッコもんだい、英: trolley problem)あるいはトロリー問題とは、「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という形で功
副赤 @ATOR86 地下鉄サリン事件で医療関係者が症状見て瞬時に「毒ガスによる無差別テロ」と看破して日本中からPAMをかき集めたの、歴史に残していいレベルのファインプレーだと思う。 2019-12-19 18:45:04 凛 @beth92ob 地下から出てきた人達がみんな「暗い暗い」(※縮瞳)言ってて、 それ見た医療従事者が物質名は分からんけど毒ガスの作用機序を判断して解毒剤(PAM)を集め、そんで対処された多くの人は助かったみたいなエピソード聞いたことある。 twitter.com/ator86/status/… 2019-12-20 09:30:23 リンク AbemaTIMES 地下鉄サリン事件から22年 治療に当たった医師たちの秘話 1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」。死者13人、負傷者約6200人の犠牲者を出したこの事件で、オウム真理教が東京の地下鉄で撒き散らし
カタコトと軽快なリズムを奏でながら、呉線は海沿いをゆっくりと駆ける。その車窓から見える、瀬戸内海の穏やかな水面に浮かぶ島々の一つが、大久野島だ。 忠海港からのぞんだ大久野島。(安田菜津紀撮影) 今はその姿をゆっくりと眺めることができるが、かつては列車内の海側の窓は、全て遮蔽されていた。大久野島は、「地図から消された島」として、そこで行われていることのすべてが「機密」とされた。日本軍の工場では、毒ガスの製造が進められていたのだ。 岡田黎子さんの画集『大久野島・動員学徒』より。(安田菜津紀撮影) 大久野島は忠海港からフェリーで15分ほどの場所にある。ぐるりと一周しても4キロほどの小さな無人島だ。宿泊施設はあるものの、そこに「居住」している人はいない。 島には今も、ヒ素が入った筒が地中に埋められている場所もある。飲み水にもヒ素汚染の恐れがあり、ちょうど私たちが島に着いたとき、三原市から飲料水を運
2001年10月、青塚慎一さんは家族4人で茨城県神栖市木崎の一戸建て借家に引っ越してきた。住宅街はサッカーJ1の鹿島アントラーズの本拠地から車で約30分、周囲には畑も残る。しかし、転居直後から全員の体に原因不明の変調が現れ始めた。手の震えやめまい、ふらつきなどの神経症状が止まらない。特にひどかったのはまだ乳児だった長男の琉時さん。母の美幸さんによると、頻繁にけいれんに襲われ、医師から「一生歩けないかもしれない」と通告された。21歳になった今も、精神の発達の遅れなど重い障害が残る。 国は最終的に、旧日本軍の毒ガス兵器の原料が原因と判断。半世紀以上も前につくられたものが、21世紀になって若者の未来への自立を奪った。しかも毒ガス兵器の爪痕はこの地域だけにとどまらなかった。(共同通信=辰巳知二)
化学兵器の被害に遭い、視力をほぼ失ったスウェイバ・サイードさん=イラク北部ハラブジャで2019年11月30日、篠田航一撮影 トルコやシリアなどの山岳地帯に暮らし「国を持たない世界最大の民族」と言われるクルド人。かつては大半がオスマン帝国領に住んでいたが、第一次世界大戦後の帝国解体で民族も分断された。1988年、そんな歴史にまた悲劇が加わった。イラクのクルド住民5000人が、当時のサダム・フセイン政権に化学兵器で殺害されたのだ。現場となったイラク北部の山あいの町を訪ねると、32年がたとうとする今も視覚障害や呼吸器疾患に苦しむ人々がいた。【ハラブジャ(イラク北部)で篠田航一】 「子供たちはなぜ命を奪われたのか。化学兵器を絶対に許さない」。自宅でスウェイバ・サイードさん(63)が言った。 88年3月16日、夫と7人の子供と家にいると、イラク軍機の爆撃が始まった。一帯に油が燃えるような臭気が漂い、
こんにちは、たき子です。 ナナハン(たき子の電動アシスト自転車のニックネーム)旅の後半です。 春の瀬戸内海編、コンセプトは「春の瀬戸内海をうららかに走るよ♪」。 6回目はしまなみ海道の後編です♪ 瀬戸田レモン島 地図から消されていた島 毒ガス島からうさぎ島へ しおまち商店街 「ちどり」で蛸天丼 焼き立てレモンケーキ「島ごころ」 瀬戸田レモン島 多々良大橋で愛媛県から広島県の県境を越え次に降り立ったのは生口島。 橋から一般道に降りる坂道沿いにたわわに実る黄色い果実。 レモンの木だ! そうか、今は収穫期なのね。 前に来た時は夏だったから青レモンだったけどちょうど黄色く熟してるんだなあ。 レモンって一年中手に入るから気づかなかったけど柑橘類だもん、冬の果物なんだね。 ただでさえ心地よい下り坂なのにレモンの爽やかな香りに包まれながら下るなんて昇天しそうな爽快感(*´艸`*) ここ生口島は別名レモン
79年前に終わった戦争。しかし中国では終戦後50年以上たってから、突然戦争の被害者になり、今もその被害に苦しむ人たちがいます。旧日本軍が中国の大地に捨てていった毒ガス兵器の被害者です。「人生が無茶苦茶になった」。毒ガスによって健康を損ね、仕事を失った人。家族がバラバラになった人。差別に苦しむ人。毒ガスは本人だけでなく、子どもたちの人生にも深刻な影響をもたらしました。平穏に暮らしていた人々の人生を壊してしまった毒ガス。今も重い健康被害に苦しむ人たちの話を聞きました。 【画像でみる】旧日本軍が79年前に中国に捨てた毒ガス兵器 その女性の手は、震えていました。 于景芝(う・けいし)さん(76)。 「ほら見て。震えてる。震えが止まらないのです」 大きな窓から差し込む、やわらかい陽の光がマンションの部屋を明るく満たしていました。窓際に置かれたベッドで寝たきりの生活を送っている于さんの体は、とても小さ
ウサギの島の毒ガス工場、引き揚げ女性の極秘堕胎施設……。第二次大戦で消された記録<前編> FNSドキュメンタリー大賞2019 第二次世界大戦が終わって、70年あまり。広島と長崎に投下された原爆。東京や福岡での大規模な空襲。そして、敗戦後の大陸からの引き揚げ――。それぞれの日本人が異なる場所で体験した「忘れ得ぬ記憶」は、戦争体験者の心の奥底に今もこびりつき、いびつなわだちとなって固まっている。 アメリカ兵捕虜の生体解剖に関わった医師、極秘の堕胎施設で働いていた看護師、中国大陸で使用する毒ガスを砲弾に詰めていた男性、アメリカまで飛ばす風船爆弾を作っていた女生徒……。彼、彼女たちは、確かな罪の手触りを感じながら人生を歩んできた。 その証言にある“消えない真実”から見えてくるのは、日本における「被害の歴史」、そして「加害の歴史」だ。 前編では、広島県にあった毒ガス工場、福岡県にあった堕胎施設をめぐ
広島県竹原市「大久野島」は、瀬戸内海に浮かぶ周囲4.3キロの小さな島です。 ウサギの島とか毒ガスの島とか呼ばれています。 ウサギの島と呼ばれる理由 島のいたるところにウサギが居て(2018年の時点で900羽以上)海外のニュースサイトでも紹介され人気に。 ウサギは小学校で飼われていた8羽が放され野生化した説が有力らしい。 凄く人に慣れていて、ウサギの方から寄って来る。 ニンジン大好き。かわいい(#^^#) 毒ガスの島と呼ばれる理由 大久野島では、太平洋戦争で使用する毒ガスを、秘密裏に製造していました。 施設を放棄した今でも、廃墟が点在しています。 発電所跡。 毒ガス資料館と千羽鶴。 悲しい歴史ですが、大変な時代にこの国を護って下さった人達に 心から感謝したいと思いました。 休暇村大久野島 休暇村大久野島には、温泉(日帰り温泉も)有り宿泊できます。 キャンプ場、海水浴場、テニスコートなんかも有
家族旅行で訪れた広島県の瀬戸内海にあるうさぎ島(大久野島)の話しを先日書いたのですが、今回はその続編となります。大久野島は陸軍の毒ガス工場が戦前あった事は歴史の事実として訪問前より知っていました。更に言えば、島全域から環境基準を超えるヒ素が検出されて土壌改善が行われたり、島がいつの間にやら兎と触れ合える"うさぎ島"と化していたのも耳にしていました。大久野島を訪れたのは子供達が喜ぶだろうと思ったからで、島を訪れる多くの観光客同様にキャベツ人参を持参して軽い気持ちで訪れておりました。 www.waypoints.blue 実際に大久野島に訪れるまでは島の大きさや、島内の距離感が全く把握できていなかったので大雑把に捉えていましたが、実際に訪れると吃驚するばかしでした。上の写真で右手に映っている建物が大久野島の休暇村(ホテル)で、そこから10メートルかそこらに毒ガスの貯蔵庫であった跡(写真中央)が
イラン・サルダシュトで、イラン・イラク戦争中に化学兵器で殺害された人々の墓を訪ねるイランのクルド人男性(2020年9月14日撮影)。(c)ATTA KENARE / AFP 【9月22日 AFP】1980年9月22日、今からちょうど40年前にイラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)元大統領がイランを攻撃してイラン・イラク戦争が始まった。衝突は、1988年8月に停戦が成立するまで8年にわたって続いた。 停戦の前年、イラクはイランの町サルダシュト(Sardasht)に毒ガス攻撃を仕掛けた。この攻撃では多くの人が犠牲となり、毒ガス攻撃を生き延びた人もその時の影響で今も苦しみ続けている。 毒ガス攻撃の生存者でつくる団体で代表を務めるサレハ・アジズポア(Saleh Azizpour)氏は、「戦争で脚や腕を失った人には、義足や義手をつけることができる」「だが肺を焼かれたら、誰が代わりに
「小学生の子どもの友だちを家に上げることができません。悲しいです」。合成洗剤など日用品のにおいで体調を崩す「化学物質過敏症」の女性(36)=滋賀県野洲市=が、京都新聞社の双方向型報道「読者に応える」に悲痛な声を寄せた。香料など微量の化学物質が頭痛や吐き気を引き起こし、合成洗剤や柔軟剤、シャンプーのにおいがする人を家に入れられないという。公害にたとえて「香害(こうがい)」とも呼ばれる苦しみの存在を知ってほしいと女性は訴える。 女性はヨガインストラクター。2014年、大津市内の新築マンションに転居した後、体調を崩した。建材や新調した家具から揮発する化学物質を一度に大量に取り込んだためとみられ、自室内だけでなく、ベランダや共用の廊下で感じるマンション住人の洗剤や柔軟剤のにおいで気分が悪くなった。東京都内の専門外来で「化学物質過敏症」との診断を受けると、マンションを約1年で手放し、野洲市内に引っ越
「小学生の子どもの友だちを家に上げることができません。悲しいです」。合成洗剤など日用品のにおいで体調を崩す「化学物質過敏症」の女性(36)=滋賀県野洲市=が、京都新聞社の双方向型報道「読者に応える」に悲痛な声を寄せた。香料など微量の化学物質が頭痛や吐き気を引き起こし、合成洗剤や柔軟剤、シャンプーのにおいがする人を家に入れられないという。公害にたとえて「香害(こうがい)」とも呼ばれる苦しみの存在を知ってほしいと女性は訴える。 【写真】少年社長が作成した感覚過敏の人向け意思表示カード 女性はヨガインストラクター。2014年、大津市内の新築マンションに転居した後、体調を崩した。建材や新調した家具から揮発する化学物質を一度に大量に取り込んだためとみられ、自室内だけでなく、ベランダや共用の廊下で感じるマンション住人の洗剤や柔軟剤のにおいで気分が悪くなった。東京都内の専門外来で「化学物質過敏症」との診
瀬戸内海に浮かぶ大久野島(おおくのしま)(広島県竹原市)は、対岸の忠海(ただのうみ)港からフェリーに揺られて15分、周囲4キロほどの小さな島だ。数百匹の野生のウサギが生息することでも知られる。家族連れや外国からの観光客にも人気だが、島の過去はあまり知られていない。「ウサギ島」がかつては「毒ガス島」であり、地図からも消されていたことを。 1929年から6600トン 見えない貯蔵庫に フェリーを下り、休暇村から海沿いの小道を30分ほど歩くと、山を切り開き、海から見えないように設置された巨大な貯蔵庫の跡が現れる。中は人の身長の数倍はある六つの「部屋」に区切られていた。 「それぞれに高さ11メートルの毒ガスタンクが1基ずつ入っていました」。島外在住の元高校教諭で、案内役を務める市民団体「毒ガス島歴史研究所」事務局長の山内正之さん(78)が説明すると、沖縄県から研修で訪れた教師たちは静かにうなずいた
ベルギー西部イーペルの草原に建ち並ぶ戦没者の墓。深紅の花が墓石周辺に咲いていた=2014年6月、篠田航一撮影 フランスとの国境に近い人口4万人ほどの小さな町、ベルギー西部のイーペルには、一つの言い伝えがある。多くの血を吸った大地には真っ赤な花が咲くという。この町を訪れた時、確かに驚いた。戦没者の白い墓石が並ぶ草原には、あまりに鮮やかな深紅のバラやポピーが咲いていたからだ。 この町は今、3年に1度開かれる「ネコ祭り」で有名だ。世界各地からネコ好きが集い、ネコの仮装をして楽しむ。中世に毛織物産業で栄えたイーペルでは、商品をネズミに荒らされないように飼っていたネコが繁殖しすぎてしまい、後にネコを駆除した歴史がある。この悲しい過去を忘れないために行われているイベントという。 だが最初にイーペルを世界的に有名にしたのは、1914年に始まった第一次世界大戦である。ここは史上初めて本格的な毒ガス戦の舞台
家族全員の体調がなぜか急に悪化、原因は地中深くのコンクリ詰めの中に…旧日本軍による毒ガス兵器が、21世紀の若者に重い障害を負わせた 47NEWS / 2022年11月1日 10時0分 2001年10月、青塚慎一さんは家族4人で茨城県神栖市木崎の一戸建て借家に引っ越してきた。住宅街はサッカーJ1の鹿島アントラーズの本拠地から車で約30分、周囲には畑も残る。しかし、転居直後から全員の体に原因不明の変調が現れ始めた。手の震えやめまい、ふらつきなどの神経症状が止まらない。特にひどかったのはまだ乳児だった長男の琉時さん。母の美幸さんによると、頻繁にけいれんに襲われ、医師から「一生歩けないかもしれない」と通告された。21歳になった今も、精神の発達の遅れなど重い障害が残る。 国は最終的に、旧日本軍の毒ガス兵器の原料が原因と判断。半世紀以上も前につくられたものが、21世紀になって若者の未来への自立を奪った
テヘランでの葬儀で、似顔絵を掲げて山村邦子さんの死を悼む市民ら=イラン国営メディアPars Today提供 一人の日本人女性が7月1日、中東イランの首都テヘランの病院で、息を引き取った。山村邦子さん(イラン名・サバ・ババイさん、84歳)。日本では無名だが、葬儀会場や記帳所は多くのイラン国民であふれ、最高指導者ハメネイ師やライシ大統領が異例の追悼メッセージを寄せた。日イラン友好に尽くし、広島を繰り返し訪れ、被爆者とも交流した。山村さんが晩年、平和を強く願った背景には、約40年前の悲劇があった。 山村さんは兵庫県芦屋市出身。現地で出版された回想録「日出づる国の移住者」によると、短大卒業後に働いていた語学学校で、イラン人貿易商、アサドラ・ババイさんと出会った。家族の強い反対に遭ったが、21歳の時、イスラム教に改宗し、神戸市内のモスクで結婚した。やがて長い船旅で、香港やムンバイを経て夫の母国に渡っ
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