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猪木に関するエントリは182件あります。 プロレス訃報スポーツ などが関連タグです。 人気エントリには 『アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース』などがあります。
  • アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

    元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中だった。 【写真】今年8月、24時間テレビに生出演したアントニオ猪木さん 2、3日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活が続いていた。前日持ち直したが、この日の朝、状態が悪化し自宅で息を引き取った。 1943年(昭和18年)生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった故力道山さんにスカウトされプロレスの道へ。日本プロレス入りし。60年9月30日、プロ野球からプロレスに転向した故ジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、62年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。 米国への武者修行

      アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
    • やすみお嬢さま®️ on Twitter: "アントニオ猪木の歴史をザックリひもといてみますわ。まず石炭商の裕福な家庭に生まれますが折のエネルギー転換期に触れ家が没落、新天地のブラジル移民中の船旅で祖父が死に、過酷なコーヒー園での労働に従事。その後港湾の荷下ろしのお仕事をしていたところ、力道山に見い出され日本に帰国しますわ"

      アントニオ猪木の歴史をザックリひもといてみますわ。まず石炭商の裕福な家庭に生まれますが折のエネルギー転換期に触れ家が没落、新天地のブラジル移民中の船旅で祖父が死に、過酷なコーヒー園での労働に従事。その後港湾の荷下ろしのお仕事をしていたところ、力道山に見い出され日本に帰国しますわ

        やすみお嬢さま®️ on Twitter: "アントニオ猪木の歴史をザックリひもといてみますわ。まず石炭商の裕福な家庭に生まれますが折のエネルギー転換期に触れ家が没落、新天地のブラジル移民中の船旅で祖父が死に、過酷なコーヒー園での労働に従事。その後港湾の荷下ろしのお仕事をしていたところ、力道山に見い出され日本に帰国しますわ"
      • アントニオ猪木「最期の言葉」

        アントニオ猪木公式Youtubeチャンネル「最後の闘魂」 チャンネル登録はこちら https://www.youtube.com/channel/UComGgtc9jFMmhR3qDCOsbXQ?sub_confirmation=1 #アントニオ猪木

          アントニオ猪木「最期の言葉」
        • グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス

          アントニオ猪木追悼企画。プロレス界の夢を描いた『グラップラー刃牙外伝』緊急掲載!!

            グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス
          • アントニオ猪木が「行けばわかるか…」と歩いた先で待っていたのは…「プロレススーパースター列伝」漫画家が捧げた“最後の作品” | 文春オンライン

            2022年10月1日、アントニオ猪木氏が79歳で他界した。その波乱に満ちた人生を振り返るうえで、猪木氏自身が巻き起こした80年代のプロレス黄金時代、そしてブームに並走した漫画「プロレススーパースター列伝」の存在は外せない。 原作の梶原一騎氏とともに「列伝」を生み出したのが、漫画家の原田久仁信氏だった。その原田氏が恩人・アントニオ猪木の死去を受けて、追悼の劇画「A ESTRADA~闘魂輪廻~」を描き下ろした。“あの時代”の熱狂が蘇る。

              アントニオ猪木が「行けばわかるか…」と歩いた先で待っていたのは…「プロレススーパースター列伝」漫画家が捧げた“最後の作品” | 文春オンライン
            • 「おい、張本おれへんのか」“大阪で一番ケンカが強い”張本勲との決闘未遂…大阪のヤンチャな高校生がアントニオ猪木と同門レスラーになった日(細田昌志)

              この頃「大阪で一番喧嘩が強い」と呼ばれたのが、浪華商業高校の野球部で名を馳せていた張本勲(現・野球解説者)だった。梅田の駅前で浪商の生徒を見かけると「おい、張本はおれへんのか」と片っ端から声をかけた。

                「おい、張本おれへんのか」“大阪で一番ケンカが強い”張本勲との決闘未遂…大阪のヤンチャな高校生がアントニオ猪木と同門レスラーになった日(細田昌志)
              • アントニオ猪木さん死去 プロレス界の巨星墜つ | 東スポWEB

                プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名猪木寛至)が1日朝、都内で死去したことがわかった。79歳だった。 心臓の難病を患っていた猪木さんは昨年1月から体調を崩し、入退院を繰り返してきた。昨年3月には「猪木さんが亡くなった」との情報が流れ、打ち消すようにツイッターに「今日も一日リハビリを頑張りました。アントニオ猪木最強の敵と闘っています」と投稿。その後はSNS上で闘病の様子を公開していた。 昨年11月にはNHK・BSプレミアムでは、猪木さんの闘病生活に密着したドキュメンタリー番組が放送された。番組では病名が「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」と明かされ、番組は大きな反響を呼んだ。今年5月には青森を訪れるなど回復に向かっているとみられたが、心臓の病は悪化していたという。

                  アントニオ猪木さん死去 プロレス界の巨星墜つ | 東スポWEB
                • アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引 - スポニチ Sponichi Annex 格闘技

                  アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引

                    アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引 - スポニチ Sponichi Annex 格闘技
                  • 【新日本】棚橋弘至の新社長就任を電撃発表 アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾以来史上4人目の選手兼社長誕生 | 東スポWEB

                    【新日本】棚橋弘至の新社長就任を電撃発表 アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾以来史上4人目の選手兼社長誕生 新日本プロレスは23日付で、団体をエースとしてけん引する棚橋弘至(47)が新社長に就任することを発表した。 同団体は22日の後楽園ホール大会で2023年の興行がすべて終了したが、翌日にまさかの電撃発表が待っていた。臨時株主総会・取締役会で経営体制の変更が決定。20年10月から就任していた大張高己高社長が退任し、何と棚橋が同社の第11代社長に就任することとなったのだ。 棚橋は立命館大学卒業後の1999年4月に新日本に入門し、同10月にデビュー。中邑真輔(現WWE)、柴田勝頼と「新・闘魂三銃士」と称され若くしてトップ選手として活躍。06年にはIWGPヘビー級王座を初戴冠し、以降は団体をエースとして盛り立てた。 「愛してま~す!」のマイクパフォーマンスを代名詞に日本全国で熱心なファンサービ

                      【新日本】棚橋弘至の新社長就任を電撃発表 アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾以来史上4人目の選手兼社長誕生 | 東スポWEB
                    • ❌アントニオ猪木が日本にタバスコを持ち込んだ ⭕アントニオ猪木が日本でタバスコをバズらせた

                      リンク Wikipedia タバスコ タバスコ(正式名称:タバスコペッパーソース、Tabasco pepper sauce)は、辛味調味料(チリペッパーソース)の商品である。メキシコ・タバスコ州原産のキダチトウガラシの品種、チレ・タバスコ(タバスコペッパー)を主原料とする。 アメリカ合衆国ルイジアナ州エイブリー島に本社を置くマキルヘニー社の創業者が1865年に考案し、現在も同社が商標権を持つ(日本における商標登録番号は第1002001号ほか全6件)アメリカの調味料である。 なお、タバスコはチリペッパーソース(chili pepper sau 20 users 167

                        ❌アントニオ猪木が日本にタバスコを持ち込んだ ⭕アントニオ猪木が日本でタバスコをバズらせた
                      • アリ側から見た”世紀の凡戦”の真実―『アリ対猪木』(ジョシュ・グロス著) - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                        アリ対猪木――アメリカから見た世界格闘史の特異点 作者:ジョシュ・グロス亜紀書房Amazon世界最高峰の舞台、UFCを産み落とした「禁断の果実」 歴史的一戦の裏側に迫る米国発のノンフィクション!! なぜ、アリはレスラーと戦ったのか? なぜ、米国マット界は団結したのか? なぜ、シュートマッチになったのか? なぜ、猪木は勝てなかったのか? なぜ、MMAはその後繁栄したのか? 柳澤健氏推薦!! 「1976年のモハメド・アリ」とも言うべき作品だと思う。 この本が出ていたのは知っていたけれど「猪木対アリの話って、もう柳澤健が書いてるじゃん。あれで決定版みたいなもんじゃん。同じテーマで何冊読むほどでもないしなー」ということで触手(ではなく食指だとブクマで指摘いただいたが、面白いのでこのまま。なおこの文章、基本的に音声入力で書いた)が動かなかったんだよねはじめは。 だから実際に読んでみると、当たり前だけ

                          アリ側から見た”世紀の凡戦”の真実―『アリ対猪木』(ジョシュ・グロス著) - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                        • 《猪木の願い虚しく》プロレスファンは知っている山田邦子の真実…M-1採点騒動で思い出す、35年前の新日・馳浩がキレた日(プチ鹿島)

                          『毒舌漫才ウエストランド18代目M-1王者』(サンケイスポーツ) 「おっ」と思ったのは火曜のデイリースポーツ(12月20日)。 『“独自採点”大反響 語ったM-1初審査員の舞台裏 山田邦子 「ブレ過ぎ」批判にあっけらかん「的確にやった」』 審査員を務めた山田邦子のインタビューがドーンと載っていたのである。そりゃ読みますよね。“山田邦子の審査”にどれだけ反響があったのか? M-1終了後のネットニュースのタイトルをいくつか並べてみる。 ・「ブレっブレで最悪」「2度と審査員しないで」 山田邦子、激怒のM-1ファンに真意説明「公正な審査した」 ・山田邦子、M-1での低点数審査に「決勝戦で甘口ばかりもどうかと」 “コメント薄すぎ”の指摘へ「悪いところは言う必要がない」 ・『M-1』山田邦子の審査に賛否…300人に聞いた「見てみたい審査員」お笑いがわかると高評価の女性現役漫才師は? などなどたくさん。

                            《猪木の願い虚しく》プロレスファンは知っている山田邦子の真実…M-1採点騒動で思い出す、35年前の新日・馳浩がキレた日(プチ鹿島)
                          • 甲本ヒロトが語る成功の考え方、さかなクンとの交流からアントニオ猪木への想い | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

                            ザ・クロマニヨンズが16枚目のオリジナルアルバム『MOUNTAIN BANANA』を2023年1月18日に発売する。冒頭から強烈なビートによる「ランラン」「暴走ジェリーロック」「ズボン」が続き、「カマキリ階段部長」「でんでんむし」「一反木綿」と気になるワードをテーマにメロウだったりフォーキーだったりと変化球で聴かせ、後半はマイナー調でシリアスさも感じさせる等、怒涛の展開で「何だかわからないけど、カッコイイし面白い!」という曲が詰まった傑作だ。 今作について、ボーカルの甲本ヒロトにインタビューを行った。アルバムについての取材ではあるものの、きっと彼はいつもと変わらないはず。。そこで今回は、アルバムのことのみならず、先行シングル「イノチノマーチ」でジャケットイラストを手掛けたさかなクンとの交流や、デビュー前のバイト先「珉亭」での松重豊との知られざるエピソード、新曲をメンバーに発表するときの方法

                              甲本ヒロトが語る成功の考え方、さかなクンとの交流からアントニオ猪木への想い | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
                            • 参院選出馬の水道橋博士氏 プロレスパフォーマンス不発「猪木イズムが、世代差があるのか届かない」 | 東スポWEB

                              お笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士氏(59)が、7月投開票予定の参院選にれいわ新選組から比例代表で出馬することを正式表明した。 芸人のみならず作家、ジャーナリストと幅広いフィールドで活動する博士氏は、政治からプロレスまで造詣が深いことで知られる。出馬意思を表明した時から、「国会に卍固め」という、1989年にスポーツ平和党で立候補したアントニオ猪木氏の文句をキャッチフレーズに引用してきた。 東京・新宿駅前で26日に行われた街頭記者会見で、参院選の勝算を聞かれた際も「戦う前から負けることを考えるヤツがどこにいるんだ!」と猪木氏の名セリフを持ち出したが、聴衆の反応はいまひとつだった。 報道陣の取材に対し博士氏は「国会に卍固めだ、バカヤローとか、ずっとやっているが、全く響かない。『消費税に延髄斬り!』と猪木イズムを踏襲した立候補でやっているが、世代差があるのか届かない。僕のパロディーがスベって

                                参院選出馬の水道橋博士氏 プロレスパフォーマンス不発「猪木イズムが、世代差があるのか届かない」 | 東スポWEB
                              • 【追悼】燃える闘魂。アントニオ猪木。。 - 昭和PRIDE

                                10月1日。 永遠のスーパースター、アントニオ猪木(79)が心不全のためこの世を去った。 たくさんのファンの記事やニュースなど、その報道ばかりでもう聞き飽きたという方もいるだろうが、私もファンとして一言お礼が言いたいと思ったので書くことにした。 10月1日 私は週一のルーティンであるサウナに向かおうと車に乗り込んだその時、スマートフォンの通知に「号外、アントニオ猪木死去」の文字…。 私はその場で動けなくなった。 私が最後に猪木氏の姿を見たのは今年8月の毎年恒例である24時間TV。 正直、24時間TVは殆ど観たことがない。 偶然観たTVは痩せ衰えてはいるが懸命に話す猪木氏の姿があった。 「きっと大丈夫であろう」 そう思っていた。 しかし、猪木氏のYouTube「アントニオ猪木最後の闘魂チャンネル」の更新も数ヶ月なかったのが気がかりではあった。 私は子供の頃からプロレスが大好きで毎週発刊されて

                                  【追悼】燃える闘魂。アントニオ猪木。。 - 昭和PRIDE
                                • 中止と無観客が続く今だから考える。猪木vs.マサ斎藤、巌流島決闘の意味。(堀江ガンツ)

                                  レフェリーすらもいない状況下で戦った猪木とマサ斎藤。両者血だらけでフラフラな状態のまま2時間以上にわたる“死闘”を演じた。 2月26日、政府が新型コロナウイルスの感染拡大防止に向け、今後2週間の全国的なスポーツ・文化イベント開催自粛を要請したことで、各スポーツイベントの開催中止や延期が相次いでいる。 プロレス界でも、すでに3月14日までの興行中止を発表していたスターダムを始め、同じブシロード傘下の新日本プロレスも3月15日までの大会中止を発表。DDTも系列ブランドの東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスも含め3月8日までの全大会を中止。さらにプロレスリング・ノアも春のビッグマッチ、3.8横浜文化体育館大会の延期を発表するなど、影響が広がっている。 そんな中、26日に新日本プロレスとスターダムの木谷高明オーナーが、Twitterで以下のような投稿をし、ファンの間でも賛否両論の声が上がった。 「

                                    中止と無観客が続く今だから考える。猪木vs.マサ斎藤、巌流島決闘の意味。(堀江ガンツ)
                                  • ストロング小林さん死去 74年にアントニオ猪木と「昭和の巌流島」の名勝負 | 東スポWEB

                                    アントニオ猪木氏と「昭和の巌流島」と呼ばれる名勝負を繰り広げたことで知られる元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さんが死去していたことが分かった。81歳だった。 近しい関係者によれば小林さんは昨年末に都内の病院で亡くなった。死因は不明だという。 小林さんは1966年に国際プロレスに入門。翌67年に日本初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。68年から素顔に戻り、国際プロレスのエースとして活躍した。 74年2月には国際プロレスを退団し、一時的に東京スポーツ新聞社の所属レスラーとなった。同年3月に新日本プロレス蔵前国技館で猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑戦。ジャーマンスープレックスで敗れたが、当時としては異例の日本人選手同士・団体エース同士のタイトルマッチは高い注目を集め「昭和の巌流島」と呼ばれた。 その後は新日本プロレス、WWWFなどで活躍し84年に引退。引退後は「ストロン

                                      ストロング小林さん死去 74年にアントニオ猪木と「昭和の巌流島」の名勝負 | 東スポWEB
                                    • アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ | 文春オンライン

                                      アントニオ猪木が亡くなった。 新聞各紙は猪木の死をどう報じたのか。実はこれ、プロレスファン&猪木ファンにとっては大切な読み比べ案件なのです。猪木にとって一般紙でどう書かれるかは人生の闘いでもあったからだ(※少年時代から呼んでいた「猪木」と、敬称略で書かせていただきます)。 たとえば、 《現役時代は「怒り」を戦うエネルギーに替えた。》(日刊スポーツ10月2日) それはなぜか。かつて猪木は言っていた。 《一般紙はプロレスをいっさい掲載しなかった。他のスポーツと差別され、世間も色眼鏡で見た。「すし店で“プロレスは八百長だから”と話していた客をたたき出した。そんな世間の目とも戦ってきた」》(同前) 「世間」の偏見に対して怒り、エネルギーを燃やした猪木。でも一方で、猪木ほど「世間」を求め、「世間」から慕われた人間もいなかった。ここが世間の関心を渇望せずとも、自然と注目を集めた他のスーパースター、たと

                                        アントニオ猪木が「世間の目」と闘い続けた62年…「東スポ」の追悼記事を読んで、私が涙したわけ | 文春オンライン
                                      • グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス

                                        グラップラー刃牙外伝 第1話 始まっちまう!! - アントニオ猪木追悼企画。プロレス界の夢を描いた『グラップラー刃牙外伝』緊急掲載!!

                                          グラップラー刃牙外伝 【アントニオ猪木追悼企画】 | 板垣恵介 |試し読み・無料マンガサイトはマンガクロス
                                        • アントニオ猪木、「元気ですかー!」と声を張り上げ退院報告 “闘魂復活”にファン熱狂「信じられない回復力」

                                          元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さんが8月28日、YouTubeチャンネル「最後の闘魂」を更新。長期入院を終えて無事退院したことを報告し、「元気ですかーーー!!!」と“闘魂復活”を感じさせる張りのある声を響かせています。 声が元気になってる!(画像はYouTubeから) 腰の治療で1月から長期入院し、治療が終わりかけていた6月に腸捻転を引き起こして再入院となっていた猪木さん。長期治療を余儀なくされている状況に「もういいだろう、楽にさせてくれよ」「生き地獄」など弱音をこぼした時期もありましたが、燃える闘魂が消えることはなく、ついに退院までたどり着きました。 これまで病室から闘病の様子を伝えていた猪木さんですが、今回の動画は自宅のソファに座った状態でスタート。冒頭から、「元気ですかーーー!!!」と入院中とは比べものにならない力強い声で叫ぶと、「『元気ですか』も元気が出てきましたよ」「

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                                          • アンタッチャブル復活劇のキーマン・有田哲平の“猪木イズム” 裏切り演出が生んだ衝撃

                                            「一寸先はハプニング」。アントニオ猪木の名言を思い返すような復活劇だった。お笑いコンビ・アンタッチャブルが、29日放送のフジテレビ系バラエティー番組『全力!脱力タイムズ』(毎週金曜 後11:00)で“電撃復活”。柴田英嗣(44)が2010年2月から約1年間にわたって休養に入って以来、コンビでの活動は行われていなかったが、番組終盤に相方・山崎弘也(43)がサプライズで登場し、約10年ぶりに漫才を披露した。センターマイクで絶妙なかけあいをする2人の真後ろで、うれしそうな笑顔を浮かべていたのが、同番組のMCにして“総合演出”も務めている、くりぃむしちゅー・有田哲平(48)だった。 今回の共演が実現した舞台となった同番組は、メインMCのアリタ哲平(有田)を筆頭に、同局の小澤陽子アナウンサー、全力解説員、ゲストコメンテーターが“報道番組”という枠組みを使って見せるドタバタ劇が持ち味。この日の放送も、

                                              アンタッチャブル復活劇のキーマン・有田哲平の“猪木イズム” 裏切り演出が生んだ衝撃
                                            • 若きアントニオ猪木の寝技が、ガチ過ぎてファン驚愕〜「柔術を知ってたとしか思えない」「アリがビビる訳だ…」

                                              ガチの総合格闘技が定着し、普及したからこそ、その視点で古いプロレスを見ると「あれ?この技術は…」とかと気づくことがあります。そもそも、ネット世代にとって猪木は「ダーって言う面白おじいちゃん」であっても「全盛期の動きを見たことない」人がほとんどですよね…あらためて見てみると?

                                                若きアントニオ猪木の寝技が、ガチ過ぎてファン驚愕〜「柔術を知ってたとしか思えない」「アリがビビる訳だ…」
                                              • アントニオ猪木さん、ありがとうございました! - ハマサンス コンプリートライフ

                                                ハマクラシー君。 こんばんはー。 オイラは今日ばかりは元気が出ないのだ~。 オイラはプロレス好きだったからな~。 オイラの中ではアントニオ猪木さんの存在はかなり大きかったのだ。 志村けんさんが亡くなったときも涙が出たが、今回のことも泣いたな~。 猪木さんが元気を与えてくれていたからあまり湿っぽいのは嫌だが、今回はオイラはアントニオ猪木さんのことについて話をしようと思いますわい。 相撲好きのハマクラシー君とはたびたびプロレスと相撲のことでいがみ合っていたな~。 オイラは実はゲームのファイアープロレスリング(セガサターン)をしてからプロレスに興味を持ち出していたので、実は猪木さんの試合をタイムリーでは見ていないのである。 試合を見ていないだけですごいプロレスラーだというのは感じていたがな。 だから唯一猪木さんのタイムリーの試合を見たときは引退試合のドン・フライとの試合だけだった。 でも、その時

                                                  アントニオ猪木さん、ありがとうございました! - ハマサンス コンプリートライフ
                                                • 「毎週、猪木さんにはお話を…」「おめえナニ言ってんだ」プロレス漫画の金字塔を描いた漫画家が振り返る、アントニオ猪木と梶原一騎の「何もかもが規格外だった」時代 | 文春オンライン

                                                  子どものころ、実家によくパイナップルが送られてきたことがありました。僕の伯父と、ブラジルに住んでいた猪木さんの実兄の相良寿一さんが拓大時代の同級生で、伯父のところに送ってくれていたんです。 でも僕がその関係を初めて知ったのは、『列伝』の連載が始まってからでした。家族はみんな知っていてなぜか自分だけ知らなかったのですが、それを聞かされたときは何かの運命なのかなあと思いましたね。 アントニオ猪木 猪木さんが登場する劇画をあれだけ描かせていただいたのですが、実は僕は猪木さん本人と直接話したり、取材した経験はありません。すべて梶原(一騎)先生の原稿を通じてアントニオ猪木を知る、という形でした。 「猪木さんは、僕の目をじっと睨んで視線をそらさない」 ただ、初めて猪木さんを生で見たときのことは強烈に覚えています。『列伝』の連載中、関係者に誘われて蔵前国技館に新日本プロレスの試合を見に行ったら、「控室入

                                                    「毎週、猪木さんにはお話を…」「おめえナニ言ってんだ」プロレス漫画の金字塔を描いた漫画家が振り返る、アントニオ猪木と梶原一騎の「何もかもが規格外だった」時代 | 文春オンライン
                                                  • とにかくできる手段を考えた猪木さん - 人事からみた採用とキャリアアップの実情

                                                    実績も凄いが悪評も多い猪木さん もう亡くなって2週間以上経ちましたが、いまだに多くの方がSNSでアントニオ猪木さんを語っています 語っているメインは昭和生まれになりますが、多大なる影響を与えた人ですね プロレス界を牽引し発展させたのも事実ですが引っ掻き回した時もありますし、アントンハイセル事業の失敗でとてつもない借金をつくったり、私生活では4度も結婚をしています にもかかわらずなぜここまで多くの人を魅了したかと言えば、猪木さんの生き方がアラビアの 何かをしたいものは 手段を見つけ 何もしたくないものは 言い訳を見つける ということわざにある通り、いかなる困難も『常にできる方法を考えて行動し続けている』ことが『やれない理由・できない言い訳ばかり考えてしまう』私達凡人には神のように見えたのだと思います 子供の頃は相撲は3人がかりでもかなわないほど強かったようですが、あとはさして凄い才能があるわ

                                                      とにかくできる手段を考えた猪木さん - 人事からみた採用とキャリアアップの実情
                                                    • アントニオ猪木が難病を告白 喜寿を迎え「心アミロイドーシス」との闘い(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

                                                      昨年、少し耳が聞こえなくなって病院にかかったんです。そのときにいろいろな検査をしてもらい、心アミロイドーシスという難病に罹っていることが判明しました。それが昨年の秋ごろです。なんでも、心臓にアミロイドという悪い“膜”ができているらしい。そのため心臓の機能が落ち、全身に充分な血液を送ることが難しくなるそうです。 この数年、息が苦しいと感じても、単に老化が原因だと思っていました。アミロイドという変な病巣が関係しているなんて意識もなかったな。いまはそのための薬を飲んでいるけど、これがまたべらぼうに高い。薬代のためにまだまだ働かなくちゃいけないよ。 〈 “燃える闘魂”アントニオ猪木は1960年、力道山にスカウトされ日本プロレス入り。デビューから60年が経つ。“いつ何時、誰の挑戦でも受ける”を信条にスポットライトを浴び続けてきた。しかし、「元気ですか!」と叫ぶ、あの力強さとは裏腹の難病告白。今年2月

                                                        アントニオ猪木が難病を告白 喜寿を迎え「心アミロイドーシス」との闘い(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
                                                      • アントニオ猪木さん死去 元プロレスラー 国会議員活動も 79歳 | NHK

                                                        アントニオ猪木さんは横浜市出身で、中学生のときに家族とともにブラジルに移住しますが、現地を訪れていたプロレスラーの力道山にスカウトされて帰国し、17歳でプロレス界に入りました。 そのあと、同時に入門したジャイアント馬場さんとタッグを組み人気を集め、1972年には「新日本プロレス」を立ち上げて、プロレス界をけん引しました。 また、1976年には当時のボクシングの世界ヘビー級チャンピオンモハメド・アリさんと対戦し「世紀の一戦」と呼ばれて大きな注目を集めました。 また、1989年の参議院選挙に当時のスポーツ平和党の党首として立候補して初当選しました。 その後、2013年の参議院選挙では当時の日本維新の会から立候補して2回目の当選を果たしました。 参議院議員として北朝鮮を訪問するなど、独自の人脈を生かした活動を続けてきました。 一方、プロレスラーとしては1998年に現役を引退しましたがその後も格闘

                                                          アントニオ猪木さん死去 元プロレスラー 国会議員活動も 79歳 | NHK
                                                        • アントニオ猪木、“リハビリ中”の現在の姿を公開 激励相次ぐ「猪木さんは不死身の漢や!」「負ける訳ないやないか」

                                                          元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さんが自身のYouTubeチャンネルで「アントニオ猪木最強の敵と闘っています」としてリハビリ動画を公開。猪木さんは1月から腰の治療のために入院しています。 今日も一日リハビリを頑張りました。アントニオ猪木最強の敵と闘っています。|アントニオ猪木「最後の闘魂」チャンネル 動画の中で猪木さんは、腕周りを動かすリハビリに取り組んでおり、“イノキボンバイエ!”のフレーズで有名な入場曲をBGMにしてテロップで「アントニオ猪木最大の敵と今闘っています。自分自身です」「元気ですかー! と言えるように頑張っていきます! ありがとー!」とファンにメッセージを送っています。 少し痩せた印象もある猪木さん(画像はYouTubeから) 猪木さん……(画像はYouTubeから) 猪木さんは2009年と2018年に腰の手術をして入院。また、2019年秋にも「心アミロイドーシス

                                                            アントニオ猪木、“リハビリ中”の現在の姿を公開 激励相次ぐ「猪木さんは不死身の漢や!」「負ける訳ないやないか」
                                                          • 政界引退したアントニオ猪木76歳が安倍首相の対北朝鮮外交を批判する理由 | 文春オンライン

                                                            アントニオ猪木は今年6月末、政界引退を発表した。参議院議員を計2期務め、12年にわたる政治生活だった。 政治家アントニオ猪木のもっとも知られた活動は北朝鮮との外交だ。師匠である力道山が北朝鮮出身だったため、その想いを受け継いで関係を深めてきた。訪朝回数は実に33回。日本の国会議員としてはもちろんトップだろう。 引退するにあたって、猪木氏がこれまで北朝鮮で何を見聞きしてきたのか、北朝鮮はいったい何を考えているのか、インタビューを行った。 平壌のホテルで金日成、金正日の肖像画をバックに会見に臨む ©共同通信社 「拉致問題解決」安倍政権の何が問題なのか? まず、6月に行われたトランプ大統領と金正恩委員長の歴史的な会談について。 「日本にこそ、アメリカ、北朝鮮、韓国を仲介する役割を果たしてほしかった。 今、日本の外交力は非常に弱体化している。もし安倍首相の周囲にしたたかな参謀が何人かいれば、日本も

                                                              政界引退したアントニオ猪木76歳が安倍首相の対北朝鮮外交を批判する理由 | 文春オンライン
                                                            • ストロング小林さん死去 74年にアントニオ猪木と「昭和の巌流島」の名勝負(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

                                                              アントニオ猪木氏と「昭和の巌流島」と呼ばれる名勝負を繰り広げたことで知られる元プロレスラーのストロング小林こと小林省三さんが死去していたことが分かった。81歳だった。 【写真】「昭和の巌流島」死闘を繰り広げたアントニオ猪木とストロング小林 近しい関係者によれば小林さんは昨年末に都内の病院で亡くなった。死因は不明だという。 小林さんは1966年に国際プロレスに入門。翌67年に日本初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。68年から素顔に戻り、国際プロレスのエースとして活躍した。 74年2月には国際プロレスを退団し、一時的に東京スポーツ新聞社の所属レスラーとなった。同年3月に新日本プロレス蔵前国技館で猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑戦。ジャーマンスープレックスで敗れたが、当時としては異例の日本人選手同士・団体エース同士のタイトルマッチは高い注目を集め「昭和の巌流島」と呼ばれた。 その

                                                                ストロング小林さん死去 74年にアントニオ猪木と「昭和の巌流島」の名勝負(東スポWeb) - Yahoo!ニュース
                                                              • 「もういいだろう、楽にさせてくれよ」 アントニオ猪木、入院治療中の弱音に叱咤激励の嵐

                                                                元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さんが3月28日にYouTubeチャンネル「最後の闘魂」を更新。長引く入院生活にどこか疲れた様子で、「もういいだろう、楽にさせてくれよ」と弱音を漏らしています。 サインの練習をしました 猪木さんは、白髪としわの目立つ痩せた顔に笑みを浮かべながら、現在の生活ぶりを報告。コロナ禍で人のいない病院に残され、弱気になってしまうこともあるといい、周囲の人々から“もういいやって思う自分”を支えてもらっているとのこと。 衝撃的発言(画像はYouTubeチャンネル「最後の闘魂」から) こもり気味の声で「もういいだろう、楽にさせてくれよ、っていう」と力なくこぼす一方で、「まぁ、けがはしょうがないと思ってね」「けがと手術の数なんて自分の歳よりはるかに多い」と、自身の78歳という高齢を引き合いに出し冗談めかして語りました。 猪木さんは、2009年と2018年の2度にわた

                                                                  「もういいだろう、楽にさせてくれよ」 アントニオ猪木、入院治療中の弱音に叱咤激励の嵐
                                                                • ハーリー・レイスさん死去 猪木、馬場らと激闘 - プロレス : 日刊スポーツ

                                                                  「ミスタープロレス」「ミスターNWA」と呼ばれたハーリー・レイスさんが1日(日本時間2日)、肺がんによる合併症のために死去した。76歳だった。同日、WWEなどが発表した。3月に肺がんを告白し、先月にはイベント出席の移動中に病状が悪化して入院していたという。 60年代から本格的にプロレス界に進出したレイスさんは68年2月、日本プロレスで初来日。ディック・ザ・ブルーザーと組み、ジャイアント馬場、アントニオ猪木組が保持したインターナショナル・タッグ王座に挑戦した。70年にも猪木、吉村道明組が保持したアジアタッグにも挑戦。72年には坂口征二のUNヘビー級王座にも挑戦した。 73年にドリー・ファンクJr.を下し、NWA世界ヘビー級王座を獲得。同年から全日本プロレスを主戦場とし、馬場、ジャンボ鶴田、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラスを挑戦者に迎え、防衛戦も行った。またWWEの前身WWF王者と

                                                                    ハーリー・レイスさん死去 猪木、馬場らと激闘 - プロレス : 日刊スポーツ
                                                                  • アントキの猪木、コロナに過去感染していた…抗体検査で発覚 詳細「全くわからない」/デイリースポーツ online

                                                                    アントキの猪木、コロナに過去感染していた…抗体検査で発覚 詳細「全くわからない」 拡大 モノマネ芸人のアントキの猪木が24日、ブログを更新し、新型コロナウイルスの抗体検査を受けた結果を報告。感染させるおそれのあるIgM抗体こそ陰性だったが、過去に感染していたことを示すIgG抗体が陽性だったといい、過去に感染していたことが判明したと明かした。 アントキの猪木は、今後も新型コロナの第2波が来ることを想定し、「俺たちの仕事は何の保証もない。まさに裸一貫。感染&発症したら仕事どころではない。まだまだ不安な世の中なので抗体検査をダーッしました」とつづった。 指先から血液を採取して検査をするといい、現在感染し、他人にも感染させる恐れがあるIgM抗体と、過去に感染したことを示すIgG抗体を調べたところ、IgM抗体こそ陰性だったが、IgG抗体がまさかの陽性。 「ということは過去に知らないうちに感染していた

                                                                      アントキの猪木、コロナに過去感染していた…抗体検査で発覚 詳細「全くわからない」/デイリースポーツ online
                                                                    • 「アントニオ猪木と闘うことで有名になれた」“あぶれ者”だったスタン・ハンセンを覚醒させた“猪木の手腕”「感謝の気持ちを持ち続けている」(堀江ガンツ)

                                                                      9・18日本武道館で行われた全日本プロレスの50周年記念大会に合わせて、“不沈艦”スタン・ハンセンが久しぶりに来日をはたした。 ハンセンは、1970年代半ばから2001年1月の引退まで約25年もの長い間日本プロレス界のトップに君臨し続けた最強外国人レスラー。現役時代の来日回数は実に131回を誇るだけに、その人気は今も健在で、日本滞在中は精力的にトークイベント等ファンとの交流を持ち、どこも盛況だったようだ。 9月17日には京セラドームのオリックス・バファローズ対福岡ソフトバンク・ホークス戦で始球式にも登場。トレードマークのロングホーンつながりでパワーを与え、それがバファローズのパ・リーグ逆転優勝につながった……と、プロレスファン的には勝手に思いたいところだ。 ちなみに、ハンセンといえば左腕から放つウエスタン・ラリアットが必殺技だが、始球式では右投げだったので、今回インタビューする機会があった

                                                                        「アントニオ猪木と闘うことで有名になれた」“あぶれ者”だったスタン・ハンセンを覚醒させた“猪木の手腕”「感謝の気持ちを持ち続けている」(堀江ガンツ)
                                                                      • 「藤井聡太七冠との対局後、羽生善治新会長が深夜に…」申請殺到! 将棋アマ免状は「長嶋茂雄、アントニオ猪木にも」田丸昇九段が知る“マメ知識”(田丸昇)

                                                                        写真のように、本人の氏名、段位ごとの文章、発行年月日は毛筆による手書きで、日本将棋連盟の会長(羽生善治)、名人、竜王(いずれも藤井聡太)の署名は自筆である。手すき和紙の大高檀紙に書かれた免状は気品と風格が溢れていて、取得者にはよい記念として珍重されている。 将棋の免状の文章は、将棋を愛好した作家の瀧井孝作が1950年代の頃に将棋連盟から依頼され、熟慮と推敲を重ねて格調の高い文章を、初段から九段までそれぞれ撰文した。 初段の免状の文章は、「夙ニ将棋ニ 丹念ニシテ 研鑽怠ラス 進歩顕著ナルヲ認メ 茲ニ初段ヲ允許ス」。 その意味は、日頃から将棋に真心を込め、研究を怠らないで進歩が著しいことを認め、ここに初段を許可する。 二段から四段までの免状の文章は、四段落で「進境顕著ナルヲ」「上達明ラカナルヲ」「練達ニ長ケタルヲ」など、文言が少し異なる。 プロとアマの免状では、違いが2点ある プロ棋士も昇段す

                                                                          「藤井聡太七冠との対局後、羽生善治新会長が深夜に…」申請殺到! 将棋アマ免状は「長嶋茂雄、アントニオ猪木にも」田丸昇九段が知る“マメ知識”(田丸昇)
                                                                        • アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」(原悦生)

                                                                          2022年5月22日、アントニオ猪木は青森県十和田市の蔦温泉にいた。周囲には八甲田の山々がそびえている。 猪木には、やっておかなければならない一つの人生の行事があった。長いこと自宅の仏壇に置かれていた妻・田鶴子さん(通称ズッコさん)の遺骨を墓に収めることだ。 青森県の山中の静かな温泉地にその墓は作られた。場所を決めたのは猪木だった。猪木の無類な世界観によって、あえて青森の蔦温泉に行きついたのかと、筆者は驚愕を覚えた。それは生まれ育った横浜でも、東京でもなく、ブラジルでもパラオでもアラビアの砂漠でもなかった。 「アントニオ猪木家の墓」の全貌とは 新しい「アントニオ猪木家」の墓は蔦温泉の近くに建立された。渓流沿いの小路から少し歩いて20メートルほど続く不規則な階段を上がると、正面には愛する蔦温泉で56歳の生涯を終えた明治~大正期の文豪・大町桂月の墓がある。隣にはこの健脚の「酒仙」大町と共に十和

                                                                            アントニオ猪木79歳はなぜ青森に「墓」を建立したのか? 病との闘いと亡き“ズッコさん”への思い「まだ、お迎えが来てくれないよ」(原悦生)
                                                                          • 猪木さん〝最後の食事〟はガリガリ君だった 1日早朝に容態急変 | 東スポWEB

                                                                            1日に79歳で死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名猪木寛至)の最期の様子が明らかになった。 関係者の話によれば、猪木氏は急に体調を崩したというよりも徐々に衰弱しこの日に至った形だった。数日前に一度危篤状態になったが、元気を取り戻し意識を回復。前夜の9月30日には夕食も食べたといい、最後に口にしたのは、赤城乳業のアイス商品「ガリガリ君 ソーダ味」だった。 関係者は「猪木さんは『ガリガリ』と呼んで大好きで、毎食後に食べていました。昨日も…」と明かす。 その後就寝し、1日早朝に目を覚ましたものの体調を崩し、24時間看護体制で猪木氏の身の回りの世話をしていたスタッフらに看取られ、永眠した。 関係者にはかねて医師から「その日は明日かもしれないし、2日後かもしれない。1か月後かもしれないし、2年後かもしれない」との説明があったそうで、周囲にその〝覚悟〟はできていたという。とはい

                                                                              猪木さん〝最後の食事〟はガリガリ君だった 1日早朝に容態急変 | 東スポWEB
                                                                            • 猪木ボンバイエ! : 素晴らしい日々〜Splendid days

                                                                              素晴らしい日々〜Splendid days 感動したこと…疑問に思うこと… 何氣ない日常を過ごすのも、感謝に満ちた日々を過ごすのも自分次第… その日々の思いを綴ります。 今日もこのブログに訪問して下さりありがとうございます!😊 今日から10月に入りました! ということは… 今年もあと残すところわずか3ヶ月、 もう今年の4分の3が過ぎた。 また捉え方によっては、 まだあと3ヶ月もある! に対して、あと3ヶ月しかない! まだ4分の1も残っている! に対して、あと4分の1しか残っていない! という観方もありますね。 ある現実は同じですが、 表裏一体、どちら側から見るかによって、 気持ちも、自分の体験する現実も変わってくるんですね。 そしてどんな見方をしようとも自分の自由なんです! またそこが面白いところでもあるのかも… さて、 そんな10月の初日、 ニュースの速報が… 「アントニオ猪木氏79歳

                                                                                猪木ボンバイエ! : 素晴らしい日々〜Splendid days
                                                                              • 【龍魂激論②前編】天龍も初めて知った! 坂口氏が明かす幻の「馬場&猪木コミッショナー設立」 | 東スポWEB

                                                                                【天龍源一郎vsレジェンド対談「龍魂激論」(2=前編)】ミスタープロレスこと天龍源一郎(69)がマット界のレジェンドと熱く語り合う特別連載「龍魂激論」。今回は天龍ですら頭が上がらない“世界の荒鷲”新日本プロレスの坂口征二相談役(77)が登場だ。坂口氏は新日本でアントニオ猪木、一方の天龍は全日本プロレスでジャイアント馬場というプロレス界の2大巨頭の元で全盛期を過ごした。2人だけが知るBI砲の秘話や経営者としての哲学、そして日本プロレス界の今後について前後編の2回にわたりお届けする。 坂口氏:よっ、久しぶり。 天龍:お元気そうで。 ――お二人は柔道と大相撲からプロレスに転向した経緯があります 天龍:一番お聞きしたかったのは、1967年当時に柔道日本一からの転向は、さぞ大変だったかと。 坂口氏:全日本選手権を取ってブラジルの世界選手権まで行ったけど、メキシコ五輪(68年)は柔道がなくなってね。将

                                                                                  【龍魂激論②前編】天龍も初めて知った! 坂口氏が明かす幻の「馬場&猪木コミッショナー設立」 | 東スポWEB
                                                                                • アントニオ猪木が難病を告白 喜寿を迎え「心アミロイドーシス」との闘い | デイリー新潮

                                                                                  昨年、少し耳が聞こえなくなって病院にかかったんです。そのときにいろいろな検査をしてもらい、心アミロイドーシスという難病に罹っていることが判明しました。それが昨年の秋ごろです。なんでも、心臓にアミロイドという悪い“膜”ができているらしい。そのため心臓の機能が落ち、全身に充分な血液を送ることが難しくなるそうです。 この数年、息が苦しいと感じても、単に老化が原因だと思っていました。アミロイドという変な病巣が関係しているなんて意識もなかったな。いまはそのための薬を飲んでいるけど、これがまたべらぼうに高い。薬代のためにまだまだ働かなくちゃいけないよ。 〈 “燃える闘魂”アントニオ猪木は1960年、力道山にスカウトされ日本プロレス入り。デビューから60年が経つ。“いつ何時、誰の挑戦でも受ける”を信条にスポットライトを浴び続けてきた。しかし、「元気ですか!」と叫ぶ、あの力強さとは裏腹の難病告白。今年2月

                                                                                    アントニオ猪木が難病を告白 喜寿を迎え「心アミロイドーシス」との闘い | デイリー新潮

                                                                                  新着記事