『我慢の人生』を続けていて、幸せになった人間はいない 回想け────楽園の頃 覚めない悪夢 回想け────楽園の頃 私は幼い頃、伊豆の韮山というところですがしました。 当時、母は専業主婦。 父は親友と二人で、地元で有料企業と言われる会社を経営していました。 1人娘の私は、両親の愛情を一身に受け、何不自由なく育てられました。 特に、父が私に向ける愛情、情熱は、波のものではありませんでした。 例えば、こんなエピソードがあります。 私が手術の小学校を受験するのに、願書を出しに学校へ行ったら、 「願書の受付は、先程、終了いたしました」 それを聞いた父は、 「試験も受けさせてもらえないなんて、裕子がかわいそうだ」 といい、すぐさま学校関係者に掛け合って願書を受理させてしまいました。 面接試験では、ほぼ父の独壇場です。 父のトークに、深く頷き、感嘆の声を上げる面接官。 試験の結果は「合格」です。 父が