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ブックマーク / sk-44.hatenadiary.org (23)

  • 2009年のピンボール - 地を這う難破船

    ⇒目的は手段を正当化しません - halt. ⇒構造的暴力と個人の責任 - モジモジ君のブログ。みたいな。 ⇒http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091021/1256095792 コメント欄まで拝見したうえで――先のエントリともうひとつ前のエントリを翻すようではあるが、問題は多面的であり、改めて確認しておくべきかとは思う。トラックバックに対する私なりの大筋での応答としても。 ⇒暴力も責任も地続きなので線引きしましょう - 地下生活者の手遊び 結局のところ「他者危害」を「暴力」と言い換えるのは何のため? という話であり、それは、人権の根底にあり、またtikani_nemuru_Mさんが言われる「公権力の領域」に置かれる、他者危害禁止は「陵辱表現を脅威と感じる」ことを原理的に包括しない、というところに由来する。そのことは「純粋に技術的な」法の問題としてあ

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  • リンチ上等と反日上等 - 地を這う難破船

    絶句したので書く。 ⇒はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ ⇒はてなブックマーク - YouTube - 在特会・東京デモを侮辱する反日シナ人が即撃沈される!(21年9 27) ⇒はてなブックマーク - http://news.2ch.at/news/s/news2ch24160.jpg id:hisamatomoki これはひどい, これはひどすぎる, デモ, 社会, 在特会, 政治, 酷使様  最悪の事態にならなかったことは不幸中の幸い。/ とにかく、こういうバカなことやる連中は右も左も淘汰されるべきだけど。これだから「自称絶対正義」は。/ 日の丸を汚してるのは間違いなくこいつら はてなブックマーク - 【左翼ボコボコ】9・27外国人参政権断固反対!東京デモ hisamatomoki メタブクマ  参加者のところの情報(mixi)だけど、叩いて

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  • 生き延びるためのペテン - 地を這う難破船

    ⇒おサルの世間の真正性 - 地下生活者の手遊び まず、私たちはサルではないし、遺伝子の産物でもない。この大前提について確認しておきたいと思います。 自由と寛容を言祝ぐリベラルな市民社会は、ひいては公共は、価値的な人工物です。その価値に対するコミットは問われます。コミットなくして人工物は維持されないので。その人工物を抽象的な国家が代替する発想こそスターリニズムです。「その人工物を抽象的な国家が代替する発想」をtikani_nemuru_Mさんが一貫して退けておられることは知っています。 自由と寛容を言祝ぐリベラルな市民社会――ひいては公共――という価値的な人工物に対するコミットは共同性に対する批判を含意する。なぜなら、共同性が喚起してきた殺し合いの歴史を私たちは知るから。近代以降にあって、共同性とは政治的な動員の装置でしかない。そもそも「共同性」の観念が近代の産物なので。「自然」の観念が近代

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  • 寝室の市民権 - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090718/p1 「当の」云々、と大いに誤解を招く書き方をしたことは事実です。またNaokiTakahashiさんが反論として書いておられるわけではないことも重々承知していますが、弁明させていただきますと、私は真贋の話をしているのではありません。「いやそんなサディズムは偽物だ」「サドの文学作品を読んでみろ」ということを言っているのでは私はまったくない。そのような優越感ゲームで済む話ならどれほどよいか。 tikani_nemuru_MさんもApemanさんも、当然佐藤氏も、その問題意識ゆえに、かなり根源的なラインまで突っ込んできており、反論も厄介です。 tikani_nemuru_MさんとNaokiTakahashiさんの議論の中でSMという問題が示され、それに対してtikani_nemuru_Mさんは、相互

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  • 泣きと抜きの政治学 - 地を這う難破船

    ⇒id:seijigakutoさん、マジで言ってんのそれ? - あままこのブログ ⇒ポルノについての個人的な意見 - WinterMuteの日記 inspired byとしてリンクしますが、ほぼ独り言として。 『CLANNAD』を私はゲームどころかアニメもほとんど見ておらず、よって何も知らないのだが、人生と真面目に力説する友人の啓蒙にはよく触れていた。父になる男の成長物語で、男になることとは女性たちとの関係の中でまがりなりにも父になることだ、と。実際、友人はそうした問題と直面していた。 私はどういう話か知らないので聞くだけだったけど、それなら『莫逆家族』と同じだな、と思って、『莫逆家族』は私はとても好きなので頷いた。『莫逆家族』なんて家父長制肯定に決まっているのだが、あれを家父長制肯定として片付ける者を私は馬鹿と見なすだろう。『莫逆家族』の世界は歪んでいますね、って当たり前の話。イーストウ

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  • 懲罰としての去勢 - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - minori kitahara column 北原みのり氏の文章を久しぶりに拝見した。「模範的被害者」「非の打ち所のない被害者」というものを世の中は求める。その場所から減点法で個別の被害者の「落ち度」や「非」をカウントする。それは権力の作動で、「犠牲者は無垢でなければならない」すなわち無垢にあらずんば犠牲者にあらず。だから世の中が一方的に押し付ける「犠牲者」という観念は、個別の被害者にとって、スティグマでしかない。 社会は観念としての「犠牲者」を必要とする。その犠牲者は無垢でなければならない。硫黄島に星条旗を立てた兵士が雄々しく戦った国の英雄でなければならないように。「犠牲者」の存在は環の一端でしかなく、その権力の環から外れた者は誰も守らない。男女の仲は文脈に規定される。関係性は、そうした男女の仲を規定する文脈をずらしていくものとしてあるが、しかし男女の仲は今なお

    懲罰としての去勢 - 地を這う難破船
    randompole
    randompole 2009/06/21
    「現代の社会的な男性の通過儀礼は割礼ではなく去勢であって、だから他者にも去勢を望む。女性に対しても」
  • 欲望が問われるとき - 地を這う難破船

    ⇒リベラリズムと他者危害(追記アリ - 地下生活者の手遊び 流石と思ったけど――やはり私の見解とはこの点で決定的に相違する。 問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら(そういう表現者もとうぜんいるでしょう)、陵辱をテーマとした作品を作ればいいのです。 たとえ表現の自由に紐が付こうと、表現には紐が付かない。私はそう考える。Chim↑Pomのときも書いたけれど、原則論として、表現したい人は勝手に表現するのであって、その表現を社会的な文脈に位置付けるのは他者。「問題の深刻さや被害者の心情を知って、そのうえでなお表現したいことがあるのなら」などという紐は、およそあらゆる表現に対して付いてはならない。だから、雉と射手の存在を同時に肯定してなお事態を収拾する法の執行について述べた。 Chim↑Pomと陵辱エロゲの相違点は、現代アートと商業ということで、だから市場の性

    欲望が問われるとき - 地を這う難破船
  • 南京事件についてシュレディンガーの猫みたいな議論をしている人は何なの? - 地を這う難破船

    ポストモダンなの? 史学なめてんの? 一党独裁体制の中国に学問の自由がないことと日側資料の存在はまったく別の問題です。政治問題なのは大勢の人間が死んだ、「日軍に殺された」からです。箱の中のの生死の話をしているのではない。70年前の史実の話をしている。人の生き死にをめぐる史実について議論することは箱の中のの生死について議論することではない。 史実について議論するなら第一に資料の史学的な検討とその成果が前提で、南京戦史をスルーして量子力学の議論にしている人は何なのか。資料検討なめてんの? 現実の虐殺を量子力学の問題にしてしまうのがポストモダンということか。ポストモダニズムとデリダに謝るべき。改めて、東浩紀のスタンスはまずい。呆れたので書いた。 リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書) 作者: 東浩紀,大塚英志出版社/メーカー: 講談社発売日: 2008/08/

    randompole
    randompole 2009/06/07
    議論の敷居が下がって個人の呟きレベルまで可視化される社会では歴史は量子化された個人的感想の確率分布で記述され、観測される史実にはh/4π以上の誤差が含まれる。/ 量子力学的に解釈しようとして失敗。
  • NakanishiBさんへのレス - 地を這う難破船

    ⇒「特定ポルノ」という発想 - 地を這う難破船 NakanishiBさんが言いたかったことは伝わっていますよ。だからエントリで長く引用しました。他人の「不見識」を示して、貴方はそれをスルーするのか、という問いの立て方が私は好きではない。 私が指摘したかったのはtikani_nemuru_Mさんが今回の議論をはじめたきっかけはまさにこの「不見識」からでしょう。それはtikani_nemuru_Mさんが議論を進めるべきことではあります。しかし、この論点が明らかにされないままではまずい、これのについて知っているはずのs-k44さんはこの問題について態度を明らかにした上でtikani_nemuru_Mさんを批判すべきだと思ったのです。 「sk-44さんはこの問題について態度を明らかにしたうえでtikani_nemuru_Mさんを批判すべき」他人の議論の添削は結構ですが、私の態度は明らかにしました。

  • 「特定ポルノ」という発想 - 地を這う難破船

    ⇒表象は読み解かれなければならない - 地を這う難破船 スターリンと左翼と何か関係がありますか。今は21世紀ですが。佐藤亜紀が言う通り、スターリンにウヨもサヨも関係がない。左翼批判の含意はありませんよ。文脈もない。私が問題にしているのは、社会綱領の主張と社会意識の反映としての表象に対する綱領の主張を一緒くたにする考え方で、私は前者には同意しますが後者には同意しません。スターリンと指しているのは「一緒くたにする考え方」のことで、それは右翼も左翼も関係がない。 NaokiTakahashiさんが「道徳の問題」と言っているのは「一緒くたにするな」ということだと私は理解しています。「構造的差別の撤廃」という社会綱領の主張に対して、私もNaokiTakahashiさんもtikani_nemuru_Mさんも同意するもの、と私は考えています。自由な社会において綱領と法が不即不離ではないということについて

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  • 表象は読み解かれなければならない - 地を這う難破船

    ⇒言論・表現への法規制に抗するために - 地下生活者の手遊び 仰りたいことはわかりました。趣旨には同意です。「まとめ」の部分にはほぼ異論はありません。率直に言って、NaokiTakahashiさんのブログのコメント欄での応酬を拝見した限りは、もっと突っ込んだ議論を展開されるのかと思っていました。 「女を痴漢して強姦して孕ませて堕ろさせるゲーム」の表での流通が「人権侵害と認めるところからはじめ」るというのは、相当に強い議論です。DV等を見るまでもなく、児童虐待を見るまでもなく、そして人身売買を見るまでもなく、私的セクターにおいて、あるいは商行為の名のもとに、侵害されている人権の回復には強制力の執行を伴います。その強制力を市民は国家に付託しています。むろん数多の非営利団体が活動していますが、彼らは強制力もまた強制的な執行の権限も持ち合わせません。そうした社会を、私たちは選択しているし、私は「自

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  • 差別的であることは銀の弾丸ではない - 地を這う難破船

    エロゲが差別的って、当然のことです。ポルノってのはそういうジャンルで、文学ではないし文学的価値もない。「文学ではないし文学的価値もない」というカテゴリーとしてポルノというジャンルは位置付けされている。「文学的価値」という概念が無批判に社会に流通して銀の弾丸と化していることを改めて確認した次第です。 男流文学論 (ちくま文庫) 作者: 上野千鶴子,富岡多恵子,小倉千加子出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1997/09メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 10回この商品を含むブログ (14件) を見る 『男流文学論』というのが昔あって、そのコンセプトは「文学的価値」なる概念とその無批判な社会的流通に対する批判だった。文学と見なされている三島や吉行や谷崎の小説はかくも差別的で、時にポルノでしかない、と指摘し批判した。その批判を指して、君たち小説が読めていないよ、と言ったのは蓮實重彦だけど

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  • 姿勢としての倫理 - 地を這う難破船

    ⇒鉄管ビール - 玄倉川の岸辺 玄倉川さん、こんにちは。 殊更には「読ませたくなかった」のはその通りです。批判的言及や悪口や誹謗中傷ならともかく、そうではないものを御人には直接に読ませたくはないものです。いや、批判的言及の際もはてな外のblogに対して手動トラックバックを送らないことはあって、それは私の判断ですが。 「…誰のことだろうこれは、と思いました。」すみません。もっと普通に書きます。私は、玄倉川さんのことを、感情的な馴致を嫌い、他者に対する感情的な馴致やそれに阿った自己都合の言動を一貫して批判している人、と認識しています。感情的な馴致とは、物事を「なぁなぁ」にしてしまうことです。私は「なぁなぁ」にしてしまうことに対して、玄倉川さんのような批判的な視座を了解しつつも、肯定的なので、その点で「立場が違う」と書きました。 玄倉川さんが言われる「良心」とは「理性」とは、ひいては「人間」と

    姿勢としての倫理 - 地を這う難破船
    randompole
    randompole 2009/05/07
    政治・文学・リベラリズム・公共性と個人 / 積んだままにしてた『リアルのゆくえ』を読みたくなった。
  • ある人の死をめぐって - 地を這う難破船

    ⇒死者に敬意を払えない酷使様 - 解決不能 ⇒なんだかやたらとid:inumash氏が突っかかるので - 解決不能 ⇒正直、disりたいだけの人は相手にしたくない - 解決不能 ⇒inumashさんをぐじぐじ非難する・その3 - 徒労の雑記 忌野清志郎は私は微妙だった。男のくせに化粧してるカマ野郎は苦手で。ジュリーやショーケンのような美丈夫ならともかく、ちんちくりんの猿のような顔にチーク引かれても。 つまり、それが忌野清志郎という人だった。私のような者に真っ先に不快感を与えるべく、彼は――四半世紀前のことだが――『い・け・な・いルージュマジック』をTVで歌い狂った。そして、彼は同時にその不快感を「愛し合ってるかい」において包摂しようとした人だった。 私の好きな――ということは代表作ばかりだが――彼の歌はいつも、オレとオマエがただ愛し合うことの困難について、コミュニケーションの問題として、歌

  • 灰とダイヤモンド - 地を這う難破船

    ⇒【赤木智弘の眼光紙背】タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ! ⇒はてなブックマーク - 【赤木智弘の眼光紙背】タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ! ⇒http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090417/1239925575 ⇒赤木氏や有村氏のエントリおよびそのブコメを読んで 今更の話題だけど、更新の時間が取れなかったので。 人目を引いて真意が伝わらない言説は端的に駄目だし失敗だと思う。そして赤木智弘氏はその轍を踏んでばかりのように私には見えるんだが。 「子育てと喫煙が同じことのはずがないだろうjk」その通り。そして赤木氏がそのことをわかっていないはずもないだろうjk。「自称ワープアの極端なポジショントーク」と赤木氏の議論を約してしまう人も多いが、私はそうは考えていない。私の理解では、赤木氏はその初めての著作以来、言うなれば、この社会は一体感を失っている、という話

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  • ある自由主義者の肖像 - 地を這う難破船

    文字数制限に引っかかったので、過去の日付で掲示。 ⇒他者の差別を罵倒する人が、別の差別的発言を繰り返すってどういうこと? - 想像力はベッドルームと路上から ⇒http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090414/1239716730 以下、特に断りなき場合引用はinumashさんのエントリから。ここのところはそうでもないといえ(交際相手に感謝)、私もかつて長らく不能だった。それはさておき。 「男は男らしくあらねばならない」という観念を持っている人――と私はbuyobuyoさんのことを見てきた。要点は、言うなればこの場合の「男」がsexでなくあくまでgenderを指すこと。「男」であることとは、たとえば集団の暴力に加担しないこと、不正と不義に個として憤ること。そして「インポ野郎」という言葉はそのことに対応している。「男」なら、集団の暴力に加担してはならないし、不正と不義

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  • JAM - 地を這う難破船

    当に文学的想像力があるならば - モジモジ君のブログ。みたいな。 大変丁寧で真摯な応答、ありがとうございます。早速。 文学的想像力について (前略)「自由と自律の剥奪を描くことは、特定の政治的に抑圧された人々を描くことではない」。ええ、そのとおりです。特定の政治的題材を扱うにせよ、フィクションの世界を使うにせよ、なにを題材とするかは、この際、問題ではありません。そして、そこにもたらされるのは、もちろん、自由と自律の剥奪に対する文学的想像力でしょう。ただし。 グローバルに存在するスノッブな文明人は、パレスチナという固有の場所と固有の政治的に抑圧された人々には特段の用ないかもしれないが、個人における自由と自律の剥奪という問題意識には用がある。…… これはチョット待ってくださいよ、と思います。「個人における自由と自律の剥奪という問題意識に用がある」と「パレスチナという固有の場所と固有の政治

    JAM - 地を這う難破船
    randompole
    randompole 2009/02/10
    なんかかっこいい。/特定の誰かに対して書かれるsk-44さんの文章は読みやすいな。
  • 敵がいなけりゃはじまらない - 地を這う難破船

    タイトルはB'zの名曲から。 ⇒はてなブックマーク - はてな 議論をすることと喧嘩を売ることは違います。そして両方を要する問題意識が存在する。「喧嘩を売る」は私的行為なので、つまりコミュニケーションorディスコミュニケーションなので、ディスコミュニケーションとして帰結することは致し方ないとして、その私的行為が「ブックマーク」というインターフェイスを介することの意味を知らないはずもなし。擬似的な抗争の様相を呈することの意味についても。問題は、知的な対立と同時に擬似的な抗争が要請されること。存在する「政治」を敵対性において可視化させるために。 今回削除要請された人たちが議論をしていたことは疑いえない。議論が相互的な対話として成立しなかったのは「喧嘩を売ってきた」ことが理由ではない。「喧嘩を売ってきたから議論を断念した」と削除申立の当事者が説明していることは、主観の問題であって経緯の説明として

    敵がいなけりゃはじまらない - 地を這う難破船
    randompole
    randompole 2009/02/10
    "「人間世界の政治的敵対性」をそのものとして指し示すこと"
  • 「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船

    迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。 ⇒次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 ⇒hirokiazuma.com 私も足を運んでいました。 話には前段があって、私の事情の経緯説明から。 私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なこ

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  • ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論 - 地を這う難破船

    以下、きわめて単純化された整理と厳にお断り。 今更言うまでもなく、リヴィジョニズムとホロコースト否定論は区別さるべきもの。以前も書いたけれど、リヴィジョニズムすなわち歴史修正主義あるいは「歴史の見直し」とは、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立としてこの数十年来繰り広げられてきた知的営為であり、それはヨーロッパに発する近代批判の運動と期を一にしていた。 問題は、そうしたポストモダン・リヴィジョニズムが史学的なメイン・ストリームを超えて史学的立場それ自体を無限に相対化するものとして機能してしまったことにある。むろん、68年以降の近代批判の過程において史学的立場それ自体が相対化されることは悪いことではなかったし、そもそも歴史の必然であったろう、ヘーゲル的に言うなら(笑)。しかし史学的立場それ自体が無限に相対化されたとき、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立はメイン・ストリームを超え

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