前にGoogleの政治性について書いたときに、マックス・ヴェーバーの「事実をして語らしめる」を引いて書いたら*1、それ以来、検索で来る方がたくさんいらっしゃいます。 で、さっそくGoogleで検索してみたら、たしかにネット上じゃあまり見つからない。というわけで、専門家ではないけれど、ちょこっとだけご案内。 「事実をして語らしめる」というと、事実を事実として伝える、事実の裏付けをもって語る、という感じで、よいこととして理解されがちである。たしかにこれらは、普通に考えると悪いことではないし、多くの場合望ましいだろう。 しかし、ヴェーバーやその流れにある社会科学基礎論の文脈では、そのへんをもう少し突き詰めて考える必要がある。 ここで問題になるのは、教師が教壇から語る場合に、「事実をして語らしめる」のが正当かどうか、という点。議会演説など、他の場面での振る舞いはとりあえず論点になっていない点に注意