昭和16年(1941年)、内田吐夢は中国大陸に渡り、それ以降、敗戦に至るまで、甘粕正彦が理事長として君臨する満洲映画協会(満映)に籍を置くことになります。その後、甘粕正彦と内田吐夢の間に最後に起きたある事件について、あるいはご存知の方も多いことかと思います。 以下、山田風太郎『人間臨終図鑑』上巻「五十四歳で死んだ人々」より引用。 昭和二十年八月、満州帝国が崩壊する日が来た。 八月十六日、彼〔甘粕〕は日本人全社員を満映会議室に集めて、「私は軍人で明日から本来なら日本刀で切腹すべきですが、御承知のような不忠不仁の者ですから、そういう死に方に値しないのです。……ほかの方法で死にます。長い間お世話になりました。心からお礼を申します」と、挨拶した。 九日にソ連軍が侵入して以来、彼のそれまでの魔王的な印象は憑きものが落ちたように消えて、おだやかな、また沈鬱な相貌に変っていた。 二十日の早朝、理事長室で