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ブックマーク / technique.hateblo.jp (6)

  • 「反知性主義」と、潜行的な知性 - Freezing Point

    上尾真道氏【《書評》:ジャック・ランシエール著、梶田裕、堀容子訳『無知な教師』】 書評文より(以下、枠線内はすべて上尾氏の文章からの引用)*1: 当代の知識人たちが寄稿するこの雑誌が、知性の代表みたいな風にして、(ポピュリズムの政治も含め)現代の民衆がいかにアホであるかについてごたくを並べていたらやだな、と思ったのだ。 左翼・リベラルの文脈で口にされる「反知性主義」という罵倒語は、 むしろ「それを口にする人の話は聞かなくてよい」の指標みたいになってますが、 この上尾真道(うえお・まさみち)氏*2の書評は、たんに他罰的な見下しとは違う、 むしろそういう「見下し」に疑問を呈する話になっています。 熟読しました。「反知性主義」について書かれた文章としては、 これまでに読んだもののうちで最も魅力的でした。 こんにちの「反知性主義」論の居心地悪さは、こうした「ほんものの知性」の擁護を、エリート主義

    「反知性主義」と、潜行的な知性 - Freezing Point
  • 親密圏にこそ制度的整備が必要 - Freezing Point

    一家5人死傷で逮捕の長男、「借金で家族とトラブル」 「父親の通帳を管理」(リンク先に動画あり) 「引きこもりの容疑者、口論絶えず…5人殺傷」(読売新聞) 「無職(30)がインターネット解除されて激怒し家族刺しまくる」(アルファルファモザイク) 今回の件で、ひきこもっていたとされるご人がどういう診断を下されるかは分かりませんが、関連する問題をやや一般化して取り出せば、 認知症・精神疾患や知的障碍等ではなく、意思能力に問題がないとされる者が、家族内の密室的な関係を利用して権利侵害を行なう といういきさつに、制度的な準備が必要に思えます。 「意思無能力」(林哲郎法律事務所)より孫引き: 「意思能力のない者(嬰児、白痴、泥酔者等)のなした法律行為は無効である。この点に関し、我が国の民法には明文の規定はないが(ス民18参照)、民法起草者は当然のこととして規定したようであり、通説・判例(比較的最近の

    親密圏にこそ制度的整備が必要 - Freezing Point
  • 目指すべき包摂性のスタイル - Freezing Point

    の難点 (幻冬舎新書) 作者: 宮台真司出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2009/04/01メディア: 新書購入: 28人 クリック: 233回この商品を含むブログ (227件) を見る「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」というエントリーに、多くのコメントをいただきました(ありがとうございます)。 以下では、反論というより、議論趣旨の先鋭化を目指します。 エスノグラフィーの手法としては普通だと思うけど。 http://b.hatena.ne.jp/bokudakenosunaba/20090504#bookmark-13270012 「社会学者なら、調査のためにヤクザと付き合っていても当然」というご意見だと思います。しかしそれだけなら、「研究者とヤクザの特殊な関係」を説明すればよいことです。 私が取り上げた箇所で宮台氏は、単に知的事業の説明をしたのではなく、「善意と信頼に

    目指すべき包摂性のスタイル - Freezing Point
  • 「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」 - Freezing Point

    宮台真司『日の難点 (幻冬舎新書)』pp.95-6より: そんな母親の構えのお蔭で「自分の母親は世間の母親よりもずっとスゴイ」と思えました。そうした母親の子であったせいで「浅ましい奴」や「セコイ奴」には絶対なりたくないと思うようになったのでしょう。これも「目的」や「手段」ではなく端的な「衝動=感染的模倣」だろうと思います。 もちろん、そんなふうにしてできあがった僕の構えが実利をもたらす面が確かにあります。それはスピノザも言っていることです。僕の場合、売買春やクスリのフィールドワークをする際にヤクザにケツ持ちしてもらってきました。お蔭でこの方面でたくさんの著作をものすることができました。 女の子がストーカーにつきまとわれて困っているというようなときも、警察に頼んだら(ストーカー規制法成立以前だったので)半年以上もかかるところを彼らが三時間で解決してくれることもありました。僕の研究に役立つ情

    「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」 - Freezing Point
  • 「すでに生きているコミットメント」はどこへいったのか - Freezing Point

    の難点 (幻冬舎新書) 作者: 宮台真司出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2009/04/01メディア: 新書購入: 28人 クリック: 233回この商品を含むブログ (227件) を見る「はじめに」より: 振り返ると、ポストモダン化を予兆して「境界線の恣意性」を問題にした二〇世紀的人文知(言語ゲーム論やシステム理論)から、一九九四年あたりから専門家に知られ二〇〇一年以降人口に膾炙(かいしゃ)した「コミットメントの恣意性」を問題にする二一世紀的人文知へと、転回したことになります。 「境界線の恣意性」とは、「みんなとは誰か」「我々とは誰か」「日人とは誰か」という線引きが偶発的で便宜的なものに過ぎないという認識で、先に述べた相対主義にあたります。かつて流行した「社会構築主義」や「脱アイデンティティ」といった物言いもこの系列に属します。「境界線の恣意性」はコミットメントの梯子外しをもたら

    「すでに生きているコミットメント」はどこへいったのか - Freezing Point
    reds_akaki
    reds_akaki 2009/05/03
    isbn:4195540550での大塚批判を良く使っている
  • 2005-11-16

    かねてから要望していた設定が可能になったようで、さっそく導入しました。▼ということで、当ブログでは新しいコメントを書き込むことはできませんが、これまでに書き込まれたコメントは表示されています。【過去には、コメント欄が盛り上がったこともあります】 開催間近。 【右写真*1参照】 *1:こちらより、許可を得て掲載 15日、発表にお邪魔してきました。 あらためて、考える課題多数。 北田 「「生き生き」している人は保守に多いのに、なぜ『デリダの遺言』では左翼の生き生きした人を批判しているのか?」 仲正 「左翼が保守と同じ「生き生き」によるポピュリズムをやっても負けるに決まっている。「わかりやすさ」を競うポピュリズムも同様に保守が勝つ。向こうは権力があり、数も多いのだから。これは全共闘の敗北からの教訓。保守への対抗軸として、左翼はオープンな議論の場を提供すべき。朝日や岩波は「わかりやすさ」に走るべき

    2005-11-16
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