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サルトルに関するsarutoraのブックマーク (44)

  • 「裕福な人が戦争を起し、貧乏人が戦争で死ぬ」 - まぐまぐ!イエスノー世論

    sarutora
    sarutora 2010/05/19
    サルトルの言葉らしいですが、出典分かりません(こら)でも言いそう。ここでもやっぱり「サルトル賞味期限切れ」ていうコメントが来てるw
  • Yahoo!スポーツ - 海外サッカー - ニュース

    sarutora
    sarutora 2010/05/17
    全然分からないけど、未だに「難しい哲学」の象徴ではあるてことかな?ノ賞は辞退してるけど>哲学者にしてノーベル賞受賞者、そしてフットボールファンでもあるジャン・ポール・サルトルの『嘔吐』しか知らないがね
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ベルギーに行った 先日、ベルギーに行きました。 マグリットの絵とルーベンスの絵を見るのが目的。 あまり時間もなく、ブリュッセルとアントワープを駆け足気味で巡ることに。 ミュンヘンから車で10時間近くかかり、なんでこんな無茶をしてしまったのかとも思いましたが、ヨーロッパの方…

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    sarutora
    sarutora 2009/11/08
    「良いことと悪いこと」あるいは「侵略と開発」は、植民地支配の両面ではなく上下構造/「侵略」「支配」に対置されるべきなのは「開発」という経済的出来事ではなく、朝鮮人民の「抵抗」「運動」という政治的出来事
  • サルトルの「人格」再々考 - Arisanのノート

    存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫) 作者: ジャン=ポールサルトル,Jean‐Paul Sartre,松浪信三郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2007/11/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 56回この商品を含むブログ (55件) を見るきのうも書いたサルトルの「人格」という語についてだが、『存在と無』をさらに読み返していくと、次のような文が出てきた。 前にも書いた、「純粋な反省」と「不純な反省」の区別というところで、対自である意識は、その不安定さを克服しようとして自身を「反省」するのだが、「純粋な反省」においては自分自身を対象化することができず、不安定な状態にとどまる(したがって、未来(理想)と外部に対する「不断の投企」が要請される)のに対して、「不純な反省」では、その元来対象化できないはずの自分(意識)自身を対象のように見なすことで、幻影的な安定

    サルトルの「人格」再々考 - Arisanのノート
  • 東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて

    少し前に出た東浩紀と大塚英志との対談である『リアルのゆくえ』(講談社現代新書、2008年8月)を読み、東の発言内容の酷さに驚いた。私は東の文章を大して読んでいなかったのだが、昔からこんななのだろうか。 枚挙に暇がないのだが、私が最も呆れた箇所を挙げておこう。 「東 ぼくが言っているのは、むしろ了解可能性の拡大を大切にしたいということです。たとえば、日のサヨクが2000年代になぜ急速に影響力を失っていったかというと、リベラルな人たちはリベラルではないということが大衆レベルで分かってしまったからです。リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベ

    東浩紀の嫌韓流容認論 | 私にも話させて
  • 筑摩書房 PR誌ちくま 2008年2月号 サルトル『存在と無』について 佐藤真理人

    サルトルはあまりに有名であり、その名を知らない人を見つけるとしたら苦労することであろう。しかし『存在と無』が爆発的に売れたかつてのサルトルブームの時代においてすら、どれだけの人がその書を読破し、内容を理解したかとなると、まことに心許ない。書棚に「積ん読」で終わった人が大部分ではなかろうか。小編『実存主義とは何か』や読みやすい小説・戯曲、そして簡単な解説書の知識でサルトルを受け取って済ませていたのが実情であろう。 しかしサルトルは第一級の哲学者であり、流行現象としての「実存主義」で片付けるわけにはいかない。彼の思想を根から理解するためには主著『存在と無』と格闘しなければならないのだ。そこでは哲学上のもろもろの難問や重要問題が独特の執拗かつ精緻な現象学的態度で分析されている。その分析を追っていくことはかなり辛い作業である。 私は学部・大学院を通じて、苦しみと楽しみが入り交じった奇妙な精神状態

  • 「要は勇気が無いんでしょ?」からはじまる自由の行使 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://anond.hatelabo.jp/20080816045217 http://d.hatena.ne.jp/asami81/20080821/masuda http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080822/1219377408 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080823/1219462148 コミュニケーションにはルールがあります。ですが、ルールから外れた行為もコミュニケーションなのです。ただ、ルールから外れたコミュニケーションは、そのルールが成立している社会においてしばしば行為者を不利にします。 ところで、ルールがあるということと、そのルールが「正しい」ということは別です。この増田は別に悪いことをしているわけじゃないじゃないですか。ただ、ルールに外れた行為をしただけです。行為としては、年収学歴で人を差別したり馬

    「要は勇気が無いんでしょ?」からはじまる自由の行使 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    sarutora 2008/08/25
    ↓頭では「読んだことないし別に興味ない」なのに口では熱烈サルトルなことをいいはじめる自覚症状のない恐ろしい病気! 感染源はtoledさんブログ
  • 『矢吹駆シリーズの今後の展開を予測する』

    笠井潔による格ミステリ 矢吹駆シリーズには、毎回、思想家をモデルとする人物が現れ、矢吹駆と議論をかわすのが、魅力のひとつとなっている。 <対戦相手が明らかになっているもの> 『熾天使の夏』……特になし 『バイバイ、エンジェル』……VS永田洋子(orマルクス) 『サマー・アポカリプス』……VSシモーヌ・ヴェイユ 『薔薇の女』……VSジョルジュ・バタイユ 『哲学者の密室』……VSマルティン・ハイデッガー+エマニュエル・レヴィナス 『オイディプス症候群』……VSミッシェル・フーコー 『吸血鬼の精神分析』……VSジャック・ラカン+ジュリア・クリステヴァ 『青銅の悲劇 ~瀕死の王』……特になし <対戦相手が不明のもの> 『煉獄の時』……VSソルジェニーツィン+ヌーヴォー・フィロゾフか? (タイトルからして、『煉獄のなかで』の著者が出てくるのでは、と。笠井的には収容所問題は、どこかで取り上げておきた

    『矢吹駆シリーズの今後の展開を予測する』
  • 公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ - やねごんの日記

    学生だったころ、しりあいから きいた はなし。 そのひとは 哲学科の 学生で、高校の倫理の教員免許をとるために、教育実習に いったのでした。たしか、カントかなにかを つかって、「自由とは なにか?」というようなテーマで、授業をやったんだそうです。 かのじょが いうには、実習さきの教師に「自由」についての授業をやりたいという計画を はなしたら、あらかじめ くぎをさされた、と。そのせいで、どうやって授業をくみたてたら よいものか、こまっちゃったよ、ということでした。 その実習さきの教師の いいぶんとは こうです。「とくに高校生たちのなかには、自由の いみを はきちがえるものが おおい。他人に めいわくを かけるのも自由だ、という あやまったかんがえを もっているものも すくなくない。だから、授業は きほんてきに あなたの やりたいように やっていいけれども、『自由には責任がともなうこと』また『

    公務の執行を妨害する自由は たいせつだよ - やねごんの日記
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    sarutora 2008/07/07
    ↓読みにくい言うてる者ども半年ROMれ!読みにくいじゃなくて読みなれてねーだけだろが
  • 2008-06-29

    「モロッコ流謫」四方田犬彦(図書館)を読む。面白い。 モロッコ旅行記。ポール・ボウルズを訪ねるなどして文人的にモロッコに迫る。情景描写も旅情をかきたてた。 ・ハルクス*1 黒いレース編みの手袋をしているかのように描かれた手への装飾絵。女性用。 ・緑の行進*2 モロッコの王ハッサン2世は西サハラを侵略する。1975年。 国際司法裁判所が西サハラの民族自決をモロッコに勧告した後に「緑の行進」と名付けられた西サハラへの示威行進を行い、モロッコ空軍により西サハラへのナパーム爆撃を繰り返す。モロッコが地雷を撒いた結果、パリ-ダカールラリーで爆破した車もあり。 モロッコの空港でモロッコと西サハラが違う色で塗られた地図は没収される。ミシュランは、その為モロッコ国内で禁書となっていた。 ・イスラム教 仏教やキリスト教と違い、イスラム教では聖職者という特別な階級を認めていない。イスラム教徒を証人として「神の

    2008-06-29
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    sarutora 2008/06/30
    >『存在と無』に対し「難しすぎる」と本人に文句を言ったらサルトルは本を取り上げてあちこちに書き込み入れ「ココとココだけ読めば大丈夫。複雑に書いておくのはその筋の専門家用さ」<実際拾い読みに適した本だよ
  • 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘などお待ちします。第2部【上の第1部に続きます】 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘などお待ちします。第2部【上の第1部に続きます】 « 某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント | 公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘やご意見をお待ちします。第1部 » ◯ ■1960年代後半に、先進各国で次々に反体制運動(異議申し立て運動)ないし大学紛争(学園闘争)が起こった。異議申し立ての主題は、ベトナム戦争だったり大学管理体制だったり授業料値上げだったりと一国内でも多様だったが、この多様性がこれらの闘争の共通性を逆に示唆していた。一口でいえば、実存的ないし実存主義的だったのである。 ■1966年に新聞上で戦われたミシェル・フーコーとジャン・ポール・サルトルの論争に、構図の一端を見出せる。サルトルが意味の獲得に向けて投企する主体の自由を賞揚するのに対し、フ

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    sarutora 2008/06/20
    >新聞上で戦われたフーコーとサルトルの論争<66年に別の時期別の雑誌でお互いを批判したが「論争」といえるほどのものかな。説明文は紋切り型サルトル批判をなぞるだけで納得いかないなあ。
  • Enemy of the Sun - FC2 BLOG パスワード認証

    ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 連絡は→http://b.hatena.ne.jp/CrowClaw/ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.

    sarutora
    sarutora 2008/05/24
    なるほど。サルトルの「餓えた子の前では…」なんてまさに典型だ。ただ、サルトルの膨大な言葉の中でこの言葉だけが極端に有名な気がするが、その理由もこのへんにあるのかもしれない。
  • ■ - land and ground

    サルトルの世紀 作者: ベルナール=アンリレヴィ,Bernard‐Henri L´evy,石崎晴己,三宅京子,沢田直,黒川学出版社/メーカー: 藤原書店発売日: 2005/06メディア: 単行 クリック: 6回この商品を含むブログ (15件) を見る サルトル関係の書物を紹介する以上、このもとりあげなくてはならないだろう。書はベルナール=アンリ・レヴィによる、サルトル「復興」の書である。とはいえ、正直なところ、個人的にはさっぱり面白いと思わなかった。要約する気にもならないので、かわりにいくつか書評をとりあげておく。興味がある方はそちらを参照していただきたい。 浅田彰「「サルトルの世紀」を振り返る」 永野潤「ベルナール=アンリ・レヴィ『サルトルの世紀』書評」 澤田直「新たなサルトル像」 なぜ、私には書が面白くなかったのだろうか。決して、内容が正確ではないとか、そのサルトル解釈が間違っ

    ■ - land and ground
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    sarutora 2008/05/13
    >だからこそサルトルを読まなくてはならないのだ。サルトル的なものを死滅させるために。そしてそれは、徹底的に非サルトル的な作業でなくてはならない。
  • 『パラダイス・ナウ』 - Arisanのノート

    大阪九条の映画館シネ・ヌーヴォで開催中の「パレスチナ映画祭」のなかから、『パラダイス・ナウ』を観てきた。 映画祭の案内は、こちらで。 映画のホームページは、こちら。 イスラエル占領下のヨルダン川西岸地区を舞台に、組織から指名されていわゆる「自爆攻撃」に赴いていく二人の若者の、葛藤と苦悩を描く。 主人公は、サイードとハーレドという二人のパレスチナの若者。自動車修理工として働いているが、生活の糧を得るのが精一杯で、希望のない占領下の日常であることが伝わってくる。 「占領下の日常は牢獄と同じだ」という台詞が後に出てくる。 しかし、そのなかにも家族との交流や、友情があり、出会いがある。 印象深い場面は、ナブルスの町を見下ろす高台の斜面で、二人が水タバコを吹かしているところだ。占領下の日常を生きて、抵抗組織に属している二人は、すでにどこか死を意識している節があるのだが、ラジカセでかかる民族音楽風のメ

    『パラダイス・ナウ』 - Arisanのノート
    sarutora
    sarutora 2008/04/23
    >回復・保障されるべきものは、決して「平和」ではない。それは、「尊厳ある生」ということ、全ての人に「この人生は生きるに値する」と実感させるような社会の実現ということである。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

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    sarutora
    sarutora 2008/04/15
    >スタティックなゴールとして設定されるものではなく、人間行動のダイナミズムそのものと一致するような意味での希望、これこそサルトルが語ろうとするところのもの
  • 値繰り - (元)登校拒否系

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    sarutora 2008/04/12
    誰もブクマしなてないのでします!宣伝ありがとうございます!
  • 長野規 - Wikipedia

    長野 規(ながの ただす、1926年1月13日 - 2001年11月24日)は編集者、詩人。『週刊少年ジャンプ』初代編集長。 来歴・人物[編集] 東京市京橋区(現・中央区)木挽町生まれ。父母は和歌山県出身。 青山学院中等部から早稲田大学予科を経て早稲田大学政治経済学部に在学中、学徒動員で召集され、東京都内で敗戦を迎える。1950年に2年遅れで大学を卒業。1951年、小学館に入社。後に子会社である集英社に回され、『おもしろブック』『こばと』『りぼん』などの編集長を歴任。 1958年、『週刊明星』創刊に伴い、同誌に副編集長格で参加。しかし、編集長の郷保雄の逆鱗に触れ、平社員に降格される[1]。 一時は退社を覚悟したが、陶山巌社長に引き止められて思いとどまり、『おもしろブック』の後身である『少年ブック』編集長に返り咲いた。 1968年、『少年ジャンプ』創刊に伴い、同誌初代編集長に就任。当初は週

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    sarutora 2008/03/31
    心情左翼行動右翼
  • ライオンブックスのうしおそうじ - 漫棚通信ブログ版

    こういうが発売されております。 ●手塚治虫『おもしろブック版ライオンブックス』1巻(2008年小学館クリエイティブ、3600円+税、amazon、bk1) 「おもしろブック版ライオンブックス」とは何か。ここは手塚自身の文章から引用してみましょう。 S社の編集長のN氏は、早大文学部出身者のサルトル信者で、骨の太い編集方針を打ち出して誰からも尊敬されていた。このN氏が、あるとき、ぼくに、手塚ワンマン劇場みたいなものを月刊誌の別冊に毎月つけたらどうかと思うが、描く気はあるかと、訊いてきた。もちろん、ぼくは、ファイトを燃やし、ライオン・ブックスと銘打って読み切り漫画を毎月三十ページ前後ずつ描いた。(手塚治虫『ぼくはマンガ家』) ライオンブックスは1956年から1957年にかけて、集英社の月刊誌「おもしろブック」の別冊付録として描かれた、格SF短編マンガのシリーズです。 戦後日SFというものが

    ライオンブックスのうしおそうじ - 漫棚通信ブログ版
    sarutora
    sarutora 2008/03/31
    >S社の編集長のN氏(=集英社の長野規)は、早大文学部出身者のサルトル信者で、骨の太い編集方針を打ち出して誰からも尊敬されていた。
  • サルトル『実存主義とは何か』を読んでみた - the deconstruKction of right

    sarutora
    sarutora 2008/03/04
    >ホームレスは「お前がそうでない人間になろうと投企しなかったからだ!」自己責任。<「状況」という概念を入れないとやっぱりこういう風に読まれてしまうか
  • 断言する快感と断言される快感 - 遠方からの手紙(別館)

    「ずばり言うわよ」 というのは細木数子女史の決め台詞であるが、この番組、3月で打ち切りになるという噂があるらしい。当であれば、実にめでたいことである。 そういえば、みのもんたには 「みのもんたの朝ズバッ!」 という人気番組がある。こちらは、一般庶民の皆様にかわって、世の中の不正や間違ったことをずばずば指摘するという頼もしい番組らしい。ちなみに、どちらの番組もTBS系列である。 さて、「ずばり」 という言葉を 「広辞苑」 で引いたら、こんなふうに書いてあった。 ずばり ① 刀で勢いよく切断するさま ② 相手の急所や核心を正確につくさま 「ずばりと言い切る」「そのものずばりだ」 うむうむ、なかなかずばりとした説明である。 ところで、こういう番組が人気を集めるのは、一方にあなたにかわって 「ずばり言ってあげましょう」 という人がおり、他方にわたしのかわりに 「ずばり言ってください」 という人が

    断言する快感と断言される快感 - 遠方からの手紙(別館)
    sarutora
    sarutora 2008/01/27
    >そういう関係を成立させているのは、「だれかにずばり言ってほしい」 という多数の匿名の欲望の存在なのだろう。そこにあるのは、無力な私に代わって、だれかに 「ズバッと言ってほしい」 という欲求であり